第86話 どこにでもある悲劇
戦線に復帰した自分を待っていたのは、更なる窮地だった。
その敵は、目の前で、ただ静かに蠢いている。
「(くっ!)」
しかし、迂闊に手を出すことができない。
もし、不用意に触れてしまえば、次の瞬間に待っているのは、死そのものかも知れないのだ。
生還する僅かな希望にかけるのであれば、今はただ見守るしかない。
★死神(待ち状態アイコン)×1が現れた★
油断したつもりは無かった。
だが、先日のダメージが若干残っていた可能性は否めない。
ほんの少し注意力が低下していたのだろう。
思えば、今日は呪文(キーボード)より召喚獣(マウス)を使うことが多かった。
表計算ソフトを使用していたときに、悲劇は起きた。
カチッ。
そんな音とともに召喚獣(マウス)を操作したとき、死神が現れたのだ。
保存操作をしたわけではない。
自動保存が動いているわけでもなさそうだ。
にもかかわらず、死神が、その不吉な姿を現し続けている。
たらり。
冷や汗が流れる。
命を示す砂時計の砂が残り僅かなような、円形の鎌が命を削り取るような、そんな光景を見ているかのようだ。
どくん・・・どくん・・・どくん・・・
心臓の鼓動が大きく聞こえる。
血管が破裂しそうな緊張感と、心臓が止まりそうな緊張感が、交互に襲い掛かってくる。
「(ダメだ!)」
とてもではないが、耐えられそうにない。
☆★☆★☆★☆★☆★
ガコン・・・カシュ・・・ゴクゴク
落ち着くつもりでポーション(缶コーヒー)を飲みに来たが、逆効果だった。
かえって焦りがつのり、一息に飲み干してしまった。
だが、時間を置くのは悪い手ではないのだ。
死神に出会ってしまったときは、とにかく動かないことが重要なのだ。
そうすれば、再び息を吹き返す可能性があるのだ。
わずかに、召喚獣(マウス)を動かしてしまったがために、その可能性を潰し、致命傷を受けてしまうことはありえる。
しかし、逆のケースもある。
すでに致命傷を受けてしまっているパターンだ。
そのときは、いくら時間を置こうが死神から逃れることはできない。
一度消えた命(編集作業)は二度とは戻ってこないのだ。
その上、待っていた時間までもが、追い打ちのように無駄になる。
カコッ
缶をゴミ箱に入れて、覚悟を決める。
今から戻って、死神が消えていたら、素直に喜ぼう。
だが、そうでなければ、諦めて蘇生(作業のやり直し)を頑張ろう。
☆★☆★☆★☆★☆★
椅子に座って、ロックを外すために、パスワードを入力する。
一瞬の間の後、運命の状況が眼前に展開される。
「(ガクン!)」
「せ、先輩、どうしました~!」
覚悟はしていたことだが、やはりショックは大きかった。
自分は死神から逃れることはできなかった。
思わず全身から力が抜け、後輩から心配そうな声をかけられてしまった。
「いや、EX○ELが固まっちゃって・・・」
「ああ~、大きいファイルを編集するときとかに、そうなることありますよね~」
確かに、そういう傾向はある。
だが、そういうときは逆に慎重にもなる。
言い訳にはならないが、今回はそうではなかったのだ。
「そんなに大きいファイルじゃないんだけどなぁ」
「ああ~、小さいファイルでもなりますね~。計算式や図形を編集するときとか~」
つまり、どんなときでも起こるということだ。
いつもは、それこそ1セル編集するたびに保存しているのだが、今日は油断した。
30分の作業が夢幻に消えた。
「まあ、内容は覚えてるから、強制終了して、もう一度編集するよ」
「手伝いましょうか~」
「大丈夫だよ」
手伝いを申し込んでくれる後輩を断って、もう一度同じ作業に取り掛かる。
☆★☆★☆★☆★☆★
「お先に失礼します~」
「お疲れ」
後輩が帰っていった。
カタカタカタ・・・カチッ
自分の作業はもう少しだ。
カタカタカタ・・・カチッ
二度と同じ悲劇は繰り返さない。
こまめに保存しながら作業を進める。
「ふぅ」
予定より1時間多い残業だった。
死神に出会わなければ、無かったはずの残業だ。
今日はいつもより、どっと疲れた。
冒険者(サラリーマン)は、ほんの一瞬の気の緩みが生死を分ける。
それを感じた一日だった。
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