8月3日-1-
習慣とは怖いもので、無名島での暮らしに誰もが慣れてきているように感じる。
順応になっているとも言える。
拉致されてから数日までと今現在とでは、住人の表情は、やや明るくなっている。
アタッシュケースを取りに行くだけの単調な作業もそつなくこなし、のそのそと自宅へ帰る。
まだ暑い。
八月三日か・・・
腕時計には日付けも付いている。
腕時計・・・
数日前にアタッシュケースの中に入っていた。おそらくは安物の腕時計だけど、時間が分かるようになったのは凄く有難い。
帰路の途中にも、アタッシュケースを発見した。
だが、二つケースを持って歩くのは、なかなかどうしてしんどいのでスルーする。
もはや、アタッシュケースに有難みなんてないのも事実。
日にちが進むたびに生活が潤っていく気がする。自給自足で生活をする必要も無ければ、奪い合いなんて事も起きやしない。
まぁ、明日から急にピタッと支給が止まればそうはいかないが、今の所はその心配もない。
いつものように人通りの少ない細道を通り、帰路につこうとした時、黒田と井上さんに遭遇した。
嫌だなぁって思った。
恐らく、僕が悠里と芹香の三人で暮らしている事も知っているだろう。
この狭い島じゃ、色々と筒抜けになっていてもなんらおかしくはない。
狭い細道だし、気づかなかったフリをするのも無理がある。
先手必勝でお辞儀をした。
「やぁ、久しぶりだね!」
黒田はご機嫌な笑みを見せ言った。
リア充感溢れる微笑みに、機嫌を損ねさせないように、ニヘラと笑って僕は返した。
「どうもっす!」
「君もこの島で楽しくやってるのかい?」
「えっ?まぁ・・ぼちぼちっす?」
「浅川さんと大室さんだったか?二人は元気にしているのかい?」
やはり、三人で一緒に暮らしている事はばれてしまっているみたいだ。
「あっ、多分・・はい!」
どっちつかずの返事で答えると、黒田が僕の肩に手を回し、顔を近づけると耳元で囁いた。
「羨ましいじゃないかぁ~色々と楽しくやってんだなぁ?」
色々と楽しく・・・
こいつは下卑た事でも考えてるのか?
そんなんじゃないが、周りからみたら分からないもんだわな。
「んなんじゃ無いですよぉ~」
自慢のひきつった笑顔で答えた。
年下の黒田に敬語で返す自分が嘆かわしい。
「隠さなくていいだろ?二人共、抱いたのか?」
直球で、聞いてくる黒田に嫌悪感が募る。
勧誘してきた時とは違い、ここでの生活に順応になっている。
脱出を諦めたのか、もしくは無名島での暮らしが思いのほか楽しいのか、僕の知っている黒田ではない。
「い、いやいや・・・んな訳無いじゃないですかぁ?」
「ん~、勿体ないだろ?あんな可愛い二人と一緒にいるんだから!」
そう言ってから、僕の頭をぐりぐりしてくるクソ田。
距離感が近すぎて虫酸が走る。
馴れ馴れしいだろ・・・僕の顔面を殴った事を忘れてんのかこいつは!
「はは・・や、止めて下さいよぉ~」
取り繕った笑みで僕は言った。
反感を買わないように、細心の注意を払って対応しなくてはいけない。
井上さんは数歩下がった所で、地蔵のように突っ立っているだけだ。
よく見ると顔が赤くなっていないか?
僕と黒田のBLちっくな現場に赤みがさしているとかじゃなくて・・・
なんか、顔面を殴られた跡みたいなのが見受けられる。
「い、井上さん?顔どうしたんですか?」
くだらない黒田の質問を逸らしたいから井上さんに問いかける。
井上さんは焦った様子で手を振った。
「あっ、ちょ、ちょっと転んでしまってね!」
そんな返し方あるかよ。
もしかして、こいつに・・黒田に殴られたのではないのか?
「井上さんは案外ドジだからなぁ!」
そう言って、はははと笑う黒田に、嫌々ながらも笑い返す僕。
手を離した黒田に僕は小さくお辞儀をして、
「んじゃ、失礼します!」
と、告げるとゆっくりと歩き出す。
「あぁ!またな!」
黒田はご機嫌な笑顔で言った。
それにホッとする僕。また捕まって、君達の所に案内やら、僕達と一緒にとか言われたらたまったもんじゃない。
黒田の気が変わって、呼び止められる前に早足で細道を抜けた。
黒田が僕の知っている黒田ではなくなっていた。今のあいつが、本来のあいつなんだとは思うが、それにしても変わりすぎだと思う。
集団テロみたいに、人を集めて脱出しようと考えていた黒田だが、今の黒田は無名島での暮らしを存分に楽しんでいるように見えた。
実際、君も楽しくやってる?みたいな事を言ってたし、あいつ自身、楽しんでいるのだろう。
娯楽も無い無名島で何が楽しいのか・・・
あいつ・・・
もしかして、無名島に拉致された人の中で、自分好みの女性を襲ったりしているんじゃないだろうか?
主催者側も言っていた。
誰と何をしようと自由みたいな事を言ってはいた。
だったら、人を殺したり、犯したりしてもいいって事になる。
モラルとか以前に、無名島にはそんな概念は存在しないのでないか?
そんなの弱肉強食で、力がある者が島の支配者になれるに決まっている。
黒田みたいな力自慢の脳筋には、無名島での暮らしは最高なのかもしれない。
だけど、本当に、黒田が誰かを襲っていたとしても僕にはどうする事も出来ない。
僕には力は無い。
根暗で、根性も無ければ甲斐性も無い。
見て見ぬふりでやり過ごすのが僕の処世術。
この件に関しては、見て見ぬふりをする他ないだろう。
実際、黒田が誰かをレイプしていようが僕には関係ない。
無名島から解放されたら捕まるだけだしな。
無名島から解放・・・
本当に出来るのかな?
考えるとまた、深みにはまってしまいそうになる。
自宅周辺の一軒の家の前で、歯を磨きながら手を振ってくるおっさんがいた。
「こんひひわ~」
「どうもっす!」
おっさんの名前は安田さん。
名前を知ったのは昨日だけど、悠里と二人で外に出ようとした時に、安田さんも外に出ようとしていた。
持ち前の明るさで、悠里が自己紹介を始めて、安田さんも名乗ったので知った。
島内ではぽつんと離れた場所に三軒あって、僕が内一軒に住み、その翌日にもう一軒に住んだのが安田さんだった。
安田さんは一人で暮らしている。
こんな離れた場所を拠点に考える辺り、僕と一緒でコミュ障なのかと思ったが、どうやらそうじゃないらしい。
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