第6話 これが全ての始まり

 青年が連れて行かれた先は、中年男性が言った通り焼肉屋だった。古くて狭い店で、換気扇が効いているのかいないのか、店内はもうもうとけぶいていた。


 席は一杯だったが、中年男性はこの店の常連の様で、そして客にも知り合いが多いのか、カウンタの客が詰めてくれて、大人ふたり座れるスペースが空いた。


 店員がそこに背凭せもたれの無い木製の椅子2脚と七輪を出してくれて、ふたりはそこに掛ける。と言っても青年は中年男性の両腕で肩を抑えられて押し込まれる様に、だが。


 カウンタではあるのだが、奥行きがあって、七輪を置いても充分なスペースがあった。中年男性はにこにことメニューを開く。


「まずは飲み物を頼もう。君は何が良いかな?」


 青年は不機嫌な姿勢を崩さないまま、中年男性の問いにも無口でそっぽを向く。だが中年男性は気分を害する風でも無く、「じゃあ生ビールで良いかな? 大将、生ビールふたつね」と注文をしてしまう。カウンタの中の大将と思しき中年の男性が「はいよ!」と威勢良く応えた。


「じゃあお肉も任せて貰おうかな。この店はね、赤身も勿論美味しいんだが、ホルモンが特に新鮮で美味しくてね。じゃあ大将、まずは上塩タンを4人前頼むよ」


「はいよ!」


 大将は忙しなく動き、間も無く若い女性店員が生ビールを運んで来た。


「お待たせしましたー!」


 ふたりの前に置かれる中ジョッキ。それはまさに青年が求めていたものだった。だが最悪の出会いをしてしまったこの中年男性を前に、素直に手が伸ばせない。


「じゃあ乾杯しよう。ええと、何に乾杯しようか。何でも良いか。じゃあ君の前途にだ。乾杯!」


 青年の前に置かれたままのジョッキに中年男性が自分のジョッキを軽く重ね、ぐいとあおった。


「ぷはぁ! やっぱり生ビールは美味しいね!」


 そう言って満足そうな息を吐く中年男性。そうされてしまうと青年も我慢が出来なくなって、乱暴にジョッキを取るとそれを傾けた。


 酒を欲していたし喉も乾いていた。青年は琥珀こはく色のそれをごっごっと音を立て、ジョッキの半分以上を飲み下した。


 そして自然に出てしまう「ぷはぁ!」の溜め息。それを見た中年男性は嬉しそうに顔をほころばせた。


「良い飲みっぷりだねぇ。お代わりもじゃんじゃんしてくれて良いからね。あ、肉が来たね」


 店員が「お待たせしましたー」と運んで来てくれた皿には、厚みのある上塩タンが綺麗に並べられていた。


「さぁ焼こうか。1度に沢山焼くんじゃ無くて、食べ切れる量だけを焼くのが良いんだ。さぁどんどん食べてくれ」


 中年男性がトングを使って手際良く肉を焼き、強い炭火の短時間でしっとりと焼き上がった上塩タンを青年の小皿に置いてくれる。


 青年はお腹も空いていた。美味しそうな肉を前に我慢は難しい。青年は既にビールを飲んでしまっている。ならもう意地を張るものでも無い。青年は割りはしを割った。


 楽しく食べて飲んで喋って、なんて事をしてやるつもりは無いが、この旨そうな肉は鱈腹たらふく食ってやろう。それこそおっさんが破産するぐらいに。


 そうしてレモン汁を付けて食べた塩タンは甘くてジューシーで、大層美味しかった。




 青年が目覚めた時、部屋は暗かったが閉じられたカーテンの隙間から明るい光が差し込んでいた。


 最初は寝惚け眼をしょぼしょぼさせていたが、次第に違和感に気付く。まずはベッド。青年はベッドどころか畳の上に直接敷いた、敷きっぱなしの煎餅せんべい布団で寝ていた。こんな大きなふかふかのベッドで眠った事など過去に無い。


 実家は親に買い与えられたベッドではあったもののシングルで狭く、マットレスや布団も安物だった。


 流石に覚醒かくせいした青年が周りを見回すと、青年の畳敷きの6畳1間とは雲泥うんでいの差。クリーム掛かった壁紙はがれても破れてもおらす、天井にもしっかりと壁と同じシートが貼られていて、ベニヤ板き出しで染みがあるなんて事も無い。


 ベッドサイドに置かれていた時計は、センスも質も良いもの。決して数100円で買える様な安っぽいものでは無かった。


 この部屋にあるのはベッドとサイド、そしてカーテンくらいだった。何ともシンプルだ。


 だが問題はそこでは無い。ここは何処どこなのだ。


 青年はそろりとベッドから降りると、まず自分の全身を確かめた。着ていたものは何とも上品な寝巻きだった。白と水色の細いストライプ。確かに男物ではあるのだが、青年には少し小さく、中途半端に手首と足首が出ていた。


 そっとドアを開けると、そこに広がっていたのはまたセンスの良いリビングだった。ソファの背凭れから白髪混じりの頭が覗いていて、青年に気付いたか、ゆっくりと振り返った。


「おはよう。良く眠れたかな?」


「あんた……」


 あの中年男性だった。またにこにこと昨日と変わらぬ笑顔を浮かべている。


「昨日、焼き肉の途中で寝てしまったんだよ。酔い潰れたと言うよりは、疲れていたんだろうね。君の家が判らなかったからうちに連れて来たんだよ」


 また借りを作ってしまった。だが青年は礼を言う事もせず「ちっ」と舌打ちする。昨日よりはすさんだ気持ちも幾分か落ち着いているが、この中年男性相手にはずっと反発して来た様なものだから、素直に接しようと言う気にはなれなかった。


「朝ご飯は食べられそうかな? と言ってもトーストとカップスープぐらいだがね。ひとり暮らしとなるとどうも手を抜いてしまって駄目だねぇ。それか、先にシャワーを浴びるか? 夕べはパジャマに着替えさせる事はどうにか出来たんだけど、流石にシャワーまでは無理だったよ」


 言われ、青年は「……シャワー」とぽつりと呟く。


「うんうん。バスタオルなんかは脱衣所にあるから好きに使ってくれ。風呂場はこっちだよ。朝ご飯はその後だね」


 そうして中年男性は、青年を風呂場に案内してくれた。




 シャワーを浴びてさっぱりした状態で、トーストとスープの朝食を摂る。食パンはふっくらと厚みのあるもので、トースターでこんがりと焼かれた表面にはたっぷりとバターが塗られていた。


 スープは湯を注いで混ぜるだけで完成するコーンポタージュだ。3食入りで200円程度のスープが、青年にとってはとても美味しく、身体に染みた。


 リビングで中年男性と向かい合って、バターが染み込んだトーストをもそもそと食べる。


「好みでジャムを塗ってね」


 そうして出してくれた苺ジャムとマーマレードがテーブルの真ん中に。中年男性はトーストを半分ほど食べたところで苺ジャムに手を伸ばし、ひと口分ほどを付けて旨そうにかじり付いた。


「あ、そうそう。昨日言ってた事ね、知り合いにお願いしたから」


「は?」


 中年男性の言葉に、青年は間抜けな声を出してしまう。昨日の事は途中からの記憶が飛んでいた。酔い潰れた訳では無いだろうと中年男性は言っていたが、はやり酔っ払いはしていた様だ。


「君、言っていたじゃ無いか。「俺みたいなゴロツキはどうせろくな生き方は出来ない。暴力団の下っ端がお似合いだ」って。だからうちを暴力団にしようって」


「はぁ!?」


 青年は流石に驚いて声を上げた。暴力団にする? 何を言っているのだ。


「覚えていないか? ほら、うち繁華街はんかがいとか歓楽街かんらくがいに不動産持ってる会社だから、暴力団の知り合いも多いんだよね。その伝手でね。と言っても犯罪とかね、そう言う危ない事はしないけどね。だから君のお気に召すかどうかは判らないけど、れっきとした暴力団だよ。君言ってくれたよ。うちが暴力団になったら、鉄砲玉でも何でもやってくれるって。ま、そんな事は勿論お願いしないけど」


 そう平然と言う中年男性を前に、青年は呆然とする。


 一体この中年男性と自分は、昨日焼き肉を食べながらどんな話をしたのだろう。少なくとも堅実けんじつそうなこの中年男性が暴力団なんて物騒なものになろうと言うのだから、中年男性にとっては余程の事を青年は言ったのかも知れない。いやそれ以前に、どうして青年の為にここまでしてくれるのか。


「おっさん、何でそこまで」


 青年が言うと、中年男性は笑って言った。


「だって放っておけないじゃ無いか。こう見えてもね、私は人を見る眼はあるつもりなんだよ。話をしていても感じたよ。君は頭が良い。勉強も出来たんじゃ無いか?」


 確かに中学までの勉強は楽しかった。高校に入ってあまり良く無い友人と付き合う様になってからは、学校も休みがちになってしまったが。


折角せっかく良いものを持っているのに、それをかせないのは勿体無いよ。だから私の会社に来ないかって言ったら、君は真っ当な会社勤めなんて性に合わないなんて言うもんだから、ならうちを暴力団にしたら良いねって。君も乗り気だったよ」


 昨夜、酒が回って来てからは、どうやら青年は上機嫌で饒舌じょうぜつになった様だ。そうで無ければそんな結論には至らないだろう。青年は頭を抱えた。


「今日はゆっくり休んで貰って、そうだな、明日は月曜日だから、明日から出社して貰おうかな。給料の説明とか福利厚生なんかはその時にね。表向きは不動産会社の社員、その実は暴力団員だ。何だかわくわくするね!」


 男は能天気なのか豪胆ごうたんなのか、何とも楽しそうに破顔する。青年はどうしたら良いのか判らず、食べ掛けのトーストを前に、呆気に取られていた。


「ああ、うっかりしていた。そう言えば自己紹介もしていないね。私は播磨はりま穣伍じょうごと言う。君の名前は?」


「……高槻たかつきはじめ


 呆けたままに応えてしまう。中年男性は満足そうに頷いた。


「じゃあどうぞよろしくね、高槻くん」


 これが高槻と播磨の、そして全ての始まりだった。

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