第5話 それは青年の転機

 男性は高槻たかつきに付き添われたまま、毅然きぜんとした足取りで春眞はるまたちに近付いて来る。


「何だ、播磨はりま旦那だんなじゃ無いか。一体どうしたってんだ」


 田崎たざきが驚いた様子で言う。これには春眞も吃驚びっくりする。播磨と呼ばれた男性は一体何者なのか。


 田崎に捕まえられたままの男は男性の登場で、また大きく震え始めた。表情を見ると、これは恐怖なのだろうか。大きく歪んでいた。


「私を狙ったこの子は、元はうちの子なんですじゃ。出て行き方からして今は別のところで世話になっていると思っていたのですが……」


 男性がそう言って項垂うなだれると、田崎は「ああ〜」と頭をいた。


「これから取り調べだが、何か理由が判った気がするぜ。じゃあ済まんが播磨の旦那、一緒に来てくれるか。軽く事情聴取したいからよ」


「分かりました」


「田崎さん、行き先は所轄しょかつですか?」


 高槻が聞くと、田崎は「おう」と応える。


「では後でお迎えに行きますから」


 高槻が男性に言うと、男性はふるりと首を振った。


「いやいや、私よりあまゆきくんを案じてやってくれ」


 男性のその台詞で、春眞はあまゆきの事を思い出す。いや忘れていた訳では無いのだが、男の事で一杯一杯だったのだ。


 男が髪の襟足えりあしの長い男性と制服の警察官に挟まれて、パトカーの後部座席に詰め込まれる。男性は田崎と覆面パトカーに乗り込んだ。


 そしてまたサイレンを鳴らしながら去って行く2台を見送って。


「高槻さん、あまゆきは」


 聞くと、高槻は春眞を安心させる為か、ふんわりと笑みを浮かべた。


「タクシーを呼んで茉夏まなつちゃんと、私たちの部下ひとりを付き添わせて動物病院に向かったよ。無責任な事は言えないけど、大丈夫だと思うよ。出血量は多かったけど、あまゆきくんはしっかりと呼吸をしていたからね」


「すいません、部下の方にご面倒をお掛けしてしまって」


 春眞が頭を下げると、高槻は「とんでも無い」と沈痛な表情で首を振った。


「こんな事に巻き込んでしまったのはこちらなんだから、むしろ詫びなければいけないのはこちらだよ。春眞くん、冬暉ふゆきくん、本当に申し訳無かった」


 高槻はそう言って、深く頭を下げた。


「高槻さん、あんた、播磨の人間だったんですね」


 冬暉が言うと、高槻は「ああ。もう解散したんだがね」と頷いた。


「詳しい事は戻ってから話すよ。まずは店に帰ろう」


 そうして春眞たちは並んで帰途に着く。パトカーが来た事で少し溜まっていた野次馬も、もう興味を無くしたと言う様に散り散りになって行った。




 店に戻ると、テーブルの上は綺麗に片付けられ、料理や酒の代わりに置かれていたのはその場にいるお客さま人数分の烏龍茶ウーロン茶のグラス。皆静かに椅子に掛けていた。


 カウンタを見ると、秋都あきととお客さまのひとりが並んで洗い物をしていた。秋都が頼む訳が無いから、お客さまが申し出てくれたのだろう。


 春眞が腕捲うでまくりをしながら「ありがとうございます。代わります」とカウンタに入ると、お客さまは「いえ、もう終わりますから大丈夫ですよ」と作業を続けてくれる。シンクを覗くと、確かにもう汚れ物は残っていなかったので、春眞は有り難く任せる事にした。


「じゃあ皆の分の烏龍茶入れておくね。兄ちゃんと冬暉も飲むだろ?」


「あらぁ、ありがとう〜」


「おう。サンキューな」


「ありがとうございます」


「ありがとうございます」


 グラスを5つ出す。高槻と手伝ってくれているお客さま、秋都と冬暉、そして春眞の分だ。


 氷を入れ、烏龍茶を注ぐ。これは市販品である。スーパーなどでも買える有名ブランドのものを業務用サイズで仕入れている。それを見栄えが良い様にガラス製のポットに入れ、冷蔵庫で冷やしている。


 カフェをオープンさせる時に、茶葉を買って煮出すなりする事も考えたが、市販品の方が手間が掛からない事、そして一定の味が提供出来る事を優先した。


 烏龍茶を入れ終わる頃には、洗い物が終わる。手を拭いたお客さまと秋都が出て来るのと、春眞が烏龍茶のグラスとポットをテーブルに運ぶのはほぼ同時だった。


 空いている椅子や、今夜は使わなかった椅子を壁際から持って来て銘々めいめい座る。春眞は少なくなったお客さまのグラスに烏龍茶を継ぎ足し、自分も椅子に掛けてグラスを傾けた。


 走った所為せいか喉が乾いていた様で、春眞はそれを一気に飲み干してしまった。見ると冬暉のグラスも空になっていた。春眞は冬暉と自分のグラスに烏龍茶を追加してやった。


 さて、ひと心地着いたところで。


「この度は、本当に申し訳ありませんでした」


 烏龍茶で喉を潤わせた高槻が立ち上がり、深く頭を下げる。他のお客さまも全員立って、高槻に続いて腰を曲げた。


「今この場におられない茉夏ちゃんにも、後でお詫びをさせてください。私どもの所為で危険な目にわせてしまい、本当に申し訳無い」


「そぉんなにお気を遣わないでくださいな高槻さぁん。冬暉と私は荒事に慣れていますからぁ。ささ、皆さまお座りになってくださいな」


「まぁな。秋兄は元警察官だし、俺は現職警察官ですから」


「ああ、そうだったのか」


 高槻が立ったまま眼を見開く。


 そうなのだ。男の乱入で驚きこそすれ冷静だったのは、このふたりが警察組織にいた、そしているからなのである。


 元警察官の秋都は刑事事件や暴力団犯罪などに当たる刑事課に所属し、現警察官の冬暉は生活安全課に所属している。


「さっきの田崎さんとの会話で、冬暉くんには気付かれているね。私たちは播磨組という暴力団の、播磨は組長、私たちは構成員だったんだよ」


「暴力団!?」


 春眞は心の底から驚いて腰を浮かす。高槻の事をそう知っている訳では無い。あの播磨と呼ばれた男性や他のお客さま方は今夜が初対面だ。


 だが、高槻は勿論他の人たちにも荒々しい印象は一切無く、途中で中止と言う形になってしまったが、この宴会もとても和やかなものだった。


 酒の提供もそれなりにあったが、誰ひとりとて悪い酔い方をしている人はおらず、始終穏やかな雰囲気だった。それこそ一般人である会社員同士などの飲み会よりも余程だ。


 そんな人たちと暴力団は、明らかに繋がらない。反社会的組織である暴力団。拳銃や違法薬物など、そんな犯罪に繋がる様なもののイメージが春眞にはあった。


「と言っても、私たちは拳銃や薬などの犯罪には手を染めてないんだけどもね。しかも、さっきも言ったけどもう解散しているんだよ」


 高槻はそう言って苦笑する。


「不動産業だけだったんだ。繁華街はんかがいとか歓楽街かんらくがいのね。そうだなぁ、これを話すべきかな?」


「お話、勿論お伺いしますわぁ。なので高槻さん、まずはお座りになってくださいな」


「ああ、そうだね。ありがとう」


 高槻が座ると、他の面々も次々と腰掛ける。あの男性がいない今、高槻が1番偉いのだろう。何とも社員教育が行き届いている。……社員?


 そうして高槻は氷が溶け始めた烏龍茶で唇を湿らすと、口を開いた。




 ある日の夜、警察署からひとりの青年が出て来た。青年は不機嫌そうに警察署の壁を蹴り、正面玄関で警備の為に立つ制服警察官に「おいっ!」ととがめられながらも舌打ちし、門を抜けて行く。


 しょうもない喧嘩けんかじゃ無ぇか。なのにあんなこっぴどく怒りやがってあの野郎。


 青年は心中でそう愚痴ぐちて、ぶらぶらと歩いて行く。


 その警察署は繁華街の近くにあった。青年は吸い寄せられる様にそちらに足を向ける。


 ダメージジーンズの後ろポケットに手を突っ込むと、じゃらりと小銭こぜにの音がした。今の所持金はいくらだったか。札の1枚ぐらいは無かっただろうか。


 そう思い他のポケット、そしてだらし無く着ているジャンパーのポケットも探るが、札どころか紙切れの1枚も出て来なかった。


「ちっ」


 青年はまた舌打ちする。これではビールの1杯も飲めやしない。そう思いながらも小銭をてのひらで広げると、500円硬貨が1枚と100円硬貨が3枚。ああ、これなら安酒だったら何とか在り付けそうだ。


 その小銭をまたポケットに突っ込み、歩く。派手なネオンに彩られた通りは、上機嫌な酔っ払いや楽しげな人たちが行き交う。それもまた、青年のかんさわった。


 ちっ、鬱陶うっとうしい。


 自分が最悪な気分なのに、どうして周りはこんなにも幸せそうなのか。そんな理不尽な事を思いながらもまた舌打ち。


 この繁華街で青年が知っている中で安く飲める居酒屋に向かっていると、前から歩いて来た、会社員と思しきスーツの若者と肩がぶつかった。


 若者は酒が入っている様でやや赤ら顔だったが意識ははっきりしている様子で、「あ、すいません」と謝ってくれる。だがそれが青年の限界だった。


「ああ!?」


 そうドスの効いた声を張り上げ、若者の肩を鷲掴わしづかみにする。


「え、え?」


 若者は何が起こっているのか判らないと言う様に眼をしばたかせ、ぽかんと口を開ける。その間抜けな顔も青年の逆鱗げきりんに触れた。


巫山戯ふざけんなてめぇ、謝って済むと思ってんのか!」


 怒りの中で、丁度ちょうど良いこいつから慰謝料として幾らか金を取りゃあ良い、そんな下衆げすな事を考え、こぶしを振り上げた。若者が「ひっ」と裏返った声を上げ、恐怖で顔を歪めて眼をきつく閉じる。


 しかしその拳は、青年の自由にならなかった。いつの間にか誰かに強く掴まれていたのだ。袖から覗くその筋肉質な腕を辿って行くと、そこにいたのは青年よりは小柄ではあるものの屈強くっきょうそうな中年男性だった。


 中年男性はその力強さとは不釣り合いの柔和にゅうわな笑みを浮かべ、言う。


「いかんいかん。短気を起こしてはいかんぞ。ほらほらお兄さん、行って大丈夫だぞ」


 言われた若者は心底安堵あんどした表情で、何度も中年男性に頭を下げながらその場を逃げる様に去って行った。


 中年男性は「うんうん」と頷きながら若者を見送る。青年は「ちっ、折角せっかく金蔓かねづるが」とその背中を睨み付けた。


 そしてその視線はそのまま中年男性に注がれる。


「おいおっさん、何してくれてんだ!」


 そう怒鳴り付けるが、中年男性は怖がりも驚きもしない。ただただ微笑するだけである。


「ふむ、腹が減っておるんかの? そうだな。腹が減ると機嫌も悪くなるな。よし、私がご馳走ちそうしよう。行こうか。焼肉は好きか? うん、若い者には焼肉だな」


「は、え?」


 中年男性は間抜けな表情に変貌へんぼうした青年の返事も待たず、腕を掴んだまま青年を引きる様に大股おおまたで歩き出した。


 それが、青年と中年男性の出会いだった。

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