第4話 心臓に悪い出来事

 しんと静まり返る店内。拳銃の様なものを握っている男はがたがたと全身を震わせ、男が履いているエンジニアブーツが木製の床に当たってかたかたと乾いた音を立てた。


 冬暉ふゆきが表情を引き締めたまま、また1歩男に向かって足を出す。すると男は「ひっ」とおびえた様な声を上げて肩をすくめた。


「お客さま」


 冬暉がまた言うと、男は「ひ、ひぃ」と言いながら、それでもかざす腕を固定させようと真っ直ぐに伸ばした。その先にあったのは。


 高槻たかつき、いや、その横の男性、春眞はるまがこの一団の中で1番階級が上だろうと察した男性だった。


 高槻がそれに気付いたか、素早く男性を庇うかば様に前に立つ。すると男性はそれをそっと押しとどめた。


 一体何だ。拳銃らしきものを突き付けられていると言うのに、高槻も男性も、そして周りも冷静だった。秋都あきとと冬暉もそうだ。このふたりは解る。だが他はどうだ。何故こんなに落ち着いていられる。


 茉夏まなつを見ると、流石さすが狼狽うろたえて眼をしばたかせていた。怯えも見える。


 茉夏はその外見は女子力が高いが、格闘技の経験者なのである。しかも強い。段を取らないのは「そうすると実践に使えないでしょ?」だった。


 例えば男の手に握られていたのがナイフなら、真っ先に駆け付けるのは茉夏だろう。しかしそうでは無い。


 この拳銃が本物であったら、いくら腕に覚えのある茉夏であっても、そして秋都と冬暉であっても一溜ひとたまりも無い。足が早く眼と耳が良いだけの春眞はこの場では役に立たない。


 ……いや、本当にそうか? 春眞の俊足しゅんそくで飛び掛かったらどうにかならないだろうか。


 いや駄目だ。拳銃を無効化しなければ意味が無い。どうする。どうしたら良い。


 その時、男性が一歩前に出た。自分が的になっている、判っている筈なのに。


 するとそれに反応したのか、男が咆哮ほうこうした。


「う、うわあぁぁぁぁぁ!!!」


 その瞬間、ぱぁん! と派手な音が響いた。


 それと同時に、男性の前に何かが飛び出した。茶色い楕円形の何か。


「あまゆきちゃん!?」


 秋都の声が響いた。


 あまゆきだった。あまゆきが男性をかばう様に、その身をひるがえしたのだ。


「あまゆき!?」


「あまゆき!!」


 茉夏と冬暉の声も続く。それはどれも悲鳴だった。春眞は呆然としてしまい、声を上げる事も出来なかった。


 あまゆきの身体がぼとりと落ちる。男性の足元で、あまゆきはゆるりと血を流し始める。拳銃は本物だった。あまゆきは男性の代わりに撃たれたのだ。


「ああ……何と言う事じゃあ……」


 男性は悲痛の面持ちでその場にしゃがみ込み、震える手をあまゆきに伸ばした。


はじめ、動物病院じゃ。タクシーを呼ぶんじゃ」


「はい!」


 高槻がスーツの内ポケットからスマートフォンを取り出し、電話を掛ける。


「お世話になってます、播磨はりまの高槻です。タクシーを1台……」


 いつも使っているタクシー会社なのだろう。そうしている内に、男は先程よりも震えを大きくし、「あ、あああ、ああ」と言葉にならない呻き声を上げ、じりじりと後ずさる。その手には拳銃がまだしっかりと握られていた。しかし銃口は床に向いていた。


 あまゆきは勿論心配だ。秋都と茉夏もあまゆきの元に駆け寄っている。「あまゆき!」「あまゆきちゃん、しっかり!」と声を掛け合って、沈黙するあまゆきの身体を優しくでる。


 誰が持って来たのか、あまゆきの流れ出る血は大きなバスタオルが受け止めている。それがじわりじわりと少しずつではあるが、真っ赤に染まりつつあった。


「冬暉!」


 秋都の厳しい声が響いた。


「おう!」


 冬暉の威勢いせいの良い返事。それで春眞が我に返る。それは、男も。


 男が転がる様に駆けて店を出て行った。春眞は一瞬遅れ、それでも男を追う為にその足を動かした。ぐん、と前に出る。地をる。


「春兄! 馬鹿野郎ばかやろう!」


 冬暉の声が追って来る。だが春眞は足を止めなかった。


 カフェを出て左右を見ると、男はカフェから見て左方向、駅に向かって走っていた。慌てているのだろう、何とも不恰好な後ろ姿だった。まるでかえるの様だ。


 春眞は全速力で駆け出す。時間が遅めなだけに人通りが多く無い事も幸いした。到達した駅前付近にはそれなりに人の流れがあったが、すぐに追い付いてしまった。


 さて、しかしどうしよう。つい衝動的しょうどうてきに追い掛けて来てしまったが、拳銃はまだ男の手にある。下手に手出し出来ない。関係の無い人を巻き込む訳にも行かない。春眞は男と一定の距離を取りながら付いて行った。


 この先にはコインパーキングが何軒かある。目的をげた後の逃走手段として車を用意されていたら、いくら春眞の俊足でもどうしようも無い。


 いや、あんな事をしでかした男が、行儀良くコインパーキングを使うだろうか。駐車違反だろうが何だろうがカフェの前に停めるのでは無いだろうか。


 考えが纏まらないままそうして走っていると。


 男の足がつんのめる様に止まった。素早く振り返り、拳銃を掲げる。それはがくがくと大きく震えながらも、春眞に向かっていた。


「な、何だよぉ! お前何なんだよぉ!」


 男は裏返った声でそう叫ぶ。これは下手をすれば生命の危機の筈なのに、男があまりにも浮き足立っているからか、春眞は妙に冷静でいられた。


 しかし男に何を言ったら良いのか判らず、春眞は唇を引き結んだ。


 そのまま数秒も向き合ったまままんじりとする。春眞も男も動けない。周りの人は何事かと眼を丸くしながらも、ふたりの横を通り過ぎて行く。


 その時。


「春兄!」


 冬暉が追い付いて来た。はぁはぁと息を荒くしている。全力で走って来たのだろう。


「頼むから、危ない事、しないでくれ……!」


 絶え絶えに言いながら息を整えている。


「ごめん。つい」


「つい、じゃ無ぇよ。心臓に悪いから本当に勘弁してくれ。が、春兄のお陰でこいつを足止め出来た事も事実だから、そこはサンキューな。おい、お前」


 冬暉は声を低くして男に言い放つ。男はまだ震えて拳銃をかかげたままだ。


「おい!」


 今度は怒気どきを込めて怒鳴る。すると男は「ひいぃ!」と怯えた声を上げ、そして。


 ぽろりと拳銃を取り落とした。


 その瞬間、冬暉の足が地を蹴った。一瞬遅れて春眞も飛び出す。だが男に飛び付くのは春眞の方が早かった。両腕を使って男の胸元にしがみ付く。そこにすぐに追い付いて来た冬暉が男の両腕を取ってたばねてひねると、もう男は身動きが出来なくなる。


「離せ! 離せよぉ!」


 男はそう叫びながら身を捩る。しかし春眞と冬暉、ふたり掛かりでおさえられているのだから、そう簡単には自由にならない。


「おとなしくしろ!」


 また冬暉が怒鳴る。そうしながらも無防備になった拳銃は冬暉がしっかりと足で踏んで抑え、その威力を殺していた。


 サイレンが聞こえて来たのはその時だった。見えたのは普通車の屋根に警光灯が付いた覆面パトカーと、普通のパトカーが1台ずつ。


 春眞たちのすぐそばに止まり、開いたドアから出て来たのはスーツの男性がふたり、警察官の制服を来た男性がふたり。前者は覆面パトカーから、後者はパトカーからだ。


「おうおう里中、休みだってのに面倒な事だなぁ」


 ベージュのスーツを着たパンチパーマの男性がそう鷹揚おうように言い、その手元で手錠ががちゃりと乾いた音を立てた。


田崎たざきさん、お疲れさまです」


 冬暉が男を拘束したまま言うと、田崎と呼ばれた男性は「おう」と気安く返事をする。


「里中の眼の前ってんだから現行犯だな。ほらよっと」


 田崎は冬暉から男の両腕を引き継ぐと、即座に両手に手錠を掛けた。すると流石に観念したのか、男は項垂うなだれておとなしくなった。


 そこでようやく春眞も男から離れて、ふぅと大きな息を吐いた。我ながら良くやったもんだ。


 冬暉が身をかがめて足元の拳銃を取り上げ、もうひとりのスーツ姿の、髪の襟足を長くしている男性に渡す。


 拳銃は確かに怖かった。だがそれが無くなってしまえば、ひょろりとした小柄な男にそう怖さは感じなかった。


 相手が屈強くっきょうな男であったなら、流石に尻込みしただろう。そもそも追い掛ける事すら出来なかったかも知れない。


「兄ちゃんありがとうな。里中、こちらは?」


「俺のふたり目の兄です」


 紹介され、春眞はぺこりと頭を下げた。田崎はそれを受けて、軽く頷く。


「ああ、お前4兄弟だったな。そういやもうひとりの里中は元気か?」


「はい。お陰さまで」


「おう。いや、それ以前に被害はどうだ。発砲したんだろ、こいつ」


 田崎はそう言って、男を拘束している手を乱暴に動かした。すると男が「うぐ」と呻き声を上げる。


「人間は全員無事です。ですが、うちの店の看板動物が、ちょっと……」


 冬暉はそう言って軽く苦笑する。すると田崎は「ああ」と顔をしかめた。


「動物だと器物破損扱いだもんなぁ。大事にしてやってくれ」


 冬暉は「はい」と応える。


「で、こいつの狙いは誰だったんだ」


 田崎が言ったその時、春眞の背後から「私ですじゃ」と声が届いた。


 振り返ると、そこに立っていたのは高槻に付き添われた、あの男性だった。

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