第2話 妖怪となったカピバラと、カピバラカフェを始めます

 カピバラの様子が気になって、リビングの電気は点けっ放しにしていた。


 それでも外からの光で、室内は更に明るくなる。


 カーテンの隙間から射し込まれた光に頬を撫でられ、春眞はるまわずかに身動みじろいだ。


 そして。


 弾かれた様に上半身を起こした。その表情はすっかりと覚醒している。


「しまった! 寝ちゃった! カピバラは!?」


 春眞のその声で、秋都あきと冬暉ふゆきももぞもぞと起き出す。寝起きの悪い茉夏まなつは「うう〜ん」と呻き声を上げて、寝返りを打った。


「私もうっかり寝ちゃったわぁ。カピバラちゃんをひとりにしちゃうなんてっ!」


 秋都が慌てながらカピバラに手を伸ばした。


「くそっ」


 そう悔しげに吐き出したのは冬暉だ。


 すると。


「大丈夫ですじゃ。お陰さまでわしはこの通り元気なのですじゃ」


 そんな老人男性の声がリビングに響いた。


「え?」


「ん?」


「あ?」


 春眞、秋都、冬暉のいぶかしげな声が重なる。これはどこから発せられたものなのか。


 テレビを見るが、昨日帰って来てから付けてもいないので、当然画面は真っ暗なまま。オーディオ機器も沈黙モードだし、ドア近くのチェストには電話があるが、掛かって来ても掛けてもいない。こうした声のするものは他には無い。


「え? どこから聞こえて来た?」


 春眞が戸惑いながらリビングを見渡すと、また「こちらですじゃ」と声がした。


 春眞たちは恐怖すら滲んだ顔を見合わせ、声がした方向、カピバラを一斉に見た。


「そうですじゃ。儂ですじゃ。カピバラですじゃ」


 もごもごと動く口から滑らかにそんな台詞が滑り出した。


 春眞たちは呆然とそんなカピバラを眺める。そして次の瞬間には。


「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「ひゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 と揃って叫び声を上げていた。そんな大声を出されては流石の茉夏も起き出して、「何? 何?」と寝惚けまなこを春眞たちに注いだ。


「か、かか、か、カピバラがしゃ、喋った!?」


 そんな春眞のどもり声に、起き抜けの茉夏は「はぁ〜? 何言ってるのハルちゃん」と呆れた様に首を傾げる。


「いえいえお嬢さん、人間さまの言葉を喋られる様になりましたのじゃよ」


 またカピバラが口を開く。すると茉夏は「え? え?」と眼をしばたかせた。


「何? 何これ、どういう事?」


「ど、どうもこうも、え、本当にどういう事だ?」


 冬暉の戸惑いの声。


「ど、ドッキリとかじゃ無いわよねぇ?」


 秋都の若干怯えた様な声。秋都は心霊やら何やら、そういうたぐいが得意では無いのだ。


「でも確かにこの声はこのカピバラから聞こえてる……本当にカピバラが喋ってるのか?」


 春眞が恐る恐るカピバラを見つめると、カピバラは嬉しそうに小首を傾げた。


「はいですじゃ。助けてくださって、本当にありがとうございましたのじゃ」


「どういう事なの?」


「儂はもう歳で、いつあの世に行ってもおかしくは無かったのですじゃ。流れ流れてこちらに辿り着き、ご迷惑をお掛けしてしまうと解ってはおったのですじゃが、力尽きてしまいましてのう。そうしたら貴方さま方は親切にも儂を病院に連れて行ってくれて、そして最期まで寄り添ってくださろうとしてくれた。儂はもう嬉しゅうて嬉しゅうてですな。ご恩返しがしたい……と強く思っておりましたら、気付けば物の怪に変化しておりましたのじゃ」


「物の怪って、妖怪って事?」


「はいですじゃ。猫又ならぬ、カピ又と言ったところですかのう。儂はカピバラにしてはかなり生きましたしのう」


 春眞は勿論まだ驚きはあるが、徐々にこの状況を受け入れ始めていた。


 秋都と冬暉も落ち着きを取り戻し始め、茉夏はまだあまり状況が飲み込めていない様で、首を傾げている。


「ん? このカピバラが喋るって事? 本当に?」


「本当みたいねぇ。流石に驚いちゃったわぁ〜」


 秋都が言って、ふぅと息を吐く。


「意味解んねぇけど、そう言う事なんだろうさ。有り得ねぇだろしかし」


「でも有り得たって事なんだね」


 茉夏がカピバラに顔を近付け、ひとりと1匹はしばし見つめ合う。


「凄いなぁ。現実にこんな事があるんだ。おはよう。ボクは茉夏だよ」


「茉夏ちゃんですかの。おはようございますですじゃ」


「あら茉夏、やけに落ち着いてるじゃ無ぁい〜?」


「落ち着いてるって言うより少しわくわくしてる。面白いじゃん」


「茉夏、こういうところは変にきもが座ってるよな」


 春眞が感心した様に言うと、茉夏は「えへ」と嬉しそうな笑みを浮かべた。


「ボク、超常現象とか心霊現象とか興味あるもん。妖怪とかも好きだし。このカピバラは妖怪になったんだよね?」


「そうですじゃ。妖怪ですじゃ」


「けど秋兄、どうすんだよ。妖怪でも何でもカピバラが元気になったのは良いとしてよ、このまま放り出す訳には行かねぇんじゃ無ぇか?」


「そうねぇ〜……」


 秋都が考え込むと、カピバラはふるりと首を振った。


「儂はまた旅を続けますのじゃ。石垣島から出奔しゅっぽんして幾年月、これまでそうして来たのですじゃ」


「石垣島? 沖縄の石垣島? そこから来たのか?」


「はいですじゃ。沖縄県の石垣島には、外国から持ち込まれたカピバラが野生化しているのですじゃ。儂もその1匹なのですじゃ。ですが儂はもっといろいろな世界を見て見たいと思いましてのう、思い切って島から出たのですじゃ」


「へぇ」


 春眞は何気無くそう返事をするが、何年も捕まりもせずに旅が出来ていた事に驚きである。寿命が近付き妖怪化したと言うが、生前も相当頭の良いカピバラだったのかも知れない。


 すると秋都が「そうだわっ!」と両手を打った。


「ねぇカピバラちゃん、私たちね、カフェを経営しているの〜。カピバラちゃんさえ良かったら、うちで働かない?」


「はぁ? 働くって何させんだよ」


 秋都の提案に冬暉が片眉をかすかに釣り上げる。


「カピバラカフェにするのよ〜。店内に放し飼い状態にしてぇ、お客さまには餌を買って貰って、触れ合ってもらうのよ〜。どうかしら」


「あ、それ良いかも! ボクたちも働きながら癒されるし、お客さまにも喜んでもらえそうだね!」


 茉夏が一も二もなく受け入れる。春眞も特に異存は無い。が。


「大丈夫なのかよ。喋る妖怪カピバラなんてばれたら、どうなるか判らねぇぞ。飼うだけならともかくよ」


 難色を示したのは冬暉だ。


「お喋りするカピバラちゃんなんて、知られたらそりゃあ大変な事になるわ。だからこそうちにいて貰うの。守るだなんて大層な事は言えないけど、不特定多数に見付かるリスクを負うよりは良いんじゃ無いかしら〜。って言う事もあるんだけどぉ、単純に動物のカフェをやってみたくなっちゃって〜」


「秋兄、今までそんな事言った事無ぇじゃねぇかよ」


「ええ。だって今思った事だもの〜」


「そんな気軽で良いのかよ!」


「良いの。折角の縁だもの、大切にしたいわ〜。ねぇカピバラちゃん、どうかしら。カピバラちゃんが私たちの家族になってくれたら嬉しいわ〜」


 おろおろとした様子で秋都と冬暉のり取りを見ていたカピバラは、秋都の笑顔を眩しそうに見つめ、少し考えた後、おずおずと口を開いた。


「あ、あの、本当にお世話になってよろしいのですかのう」


「勿論だよ! ボクも嬉しいな」


 横から茉夏の援護射撃。秋都も笑顔のまま大きく頷く。


「で、では、よろしくお願いいたしますじゃ」


 カピバラがそう言って小さく頭を下げると、秋都と茉夏は「やったぁ!」とハイタッチした。


 春眞はカピバラカフェの需要を考えるが、オーナーである秋都が良いなら構わない。秋都と茉夏がこんなに嬉しそうなのだから、春眞に反対する理由は無い。


 冬暉もそう思ったかどうかは判らないが、呆れた様に大きな息を吐いた。


「フロアに放し飼いにするんだったら、改装とかは無くて大丈夫なのかな?」


「そうねぇ〜。あ、餌の仕入れルートを調べなくちゃ〜。カピバラちゃん、一般的にこういう場合、餌は何が良いのかしらぁ」


「そうですじゃのう。その場が汚れ難いものですじゃと、きゃべつや薩摩芋が良いですかのう。笹の葉も好きですじゃ。そうですじゃのう、カピバラのキャフェーカフェと言う事でしたらの」


 カピバラがそっと眼を閉じる。するとカピバラの周囲に風が舞い上がった。


 それは強い風量では無かったが、タオルケットや寝具の端がはたはたとはためいた。


「え、何!?」


「ちょ、ちょっと!?」


 春眞たちが驚きの声を上げて、咄嗟とっさに腕を顔にかざす。そして風が落ち着いた時、その場にいたのは。


 小さな小さな、まるで産まれて間もないであろうサイズの仔カピバラだった。


「ええ!?」


「あらぁっ!」


「可愛い〜!!」


「はぁ!?」


 それぞれの驚きを前に、仔カピバラは「ふぅ」と小さな息を吐く。その時付けていたおむつがはらりと落ちた。


「巧く行きましたカピ。カピバラカフェで皆さまに癒しなどをお届けするのなら、子どもの姿の方が良いと思ったのですカピ」


 姿だけでは無く、その声も小さな少年の様なものに変化していた。


「カピバラちゃん? 変身とか出来たのぉ?」


「変身と言いますよりは、年齢を好きに出来る様なのですカピ」


「語尾がカピ……」


 春眞が呆然と呟く。しかし。


 ああ、確かに仔カピバラは可愛い。とても可愛い。成体では竹箒たけぼうきの様だった毛も、茶色い艶々とした毛並みになり、撫で心地はとても良さそうだ。カフェに出るのなら、確実に仔カピバラの方が喜ばれるだろう。


「本当に可愛いなぁ! 可愛い! 可愛い!」


 茉夏が満面の笑みで仔カピバラを撫で回す。仔カピバラは迷惑そうな顔ひとつせず、その両手を受け入れる。


「ねぇ、ところでお名前は何て言うのかな」


「儂に名前は無いのですカピ」


「一人称は儂のままなのかよ」


「じゃあボクたちで付けてあげなきゃ。何が良いかなぁ」


「そうねぇ〜。うちの看板カピバラになるんだから、可愛い名前を付けてあげたいわねぇ。春眞、冬暉、貴方たちも何か考えてよぉ」


「カピバラの名前ねぇ。そうだなぁ。看板なら、店の名前に関係する様な?」


「カピバラの名前って何付けたら良いんだっての」


 春眞は真剣に考えるが、冬暉はそうごちる。


「お店の名前からでも良いわよねぇ。シュガーちゃんとかパインちゃんとか? それか、私たちの名前が四季になってるからぁ、ええとぉ、英語でシーズン、他の言語だとぉ」


「カフェに出て貰うんだろ? 可愛い親しみやすい名前が良いんじゃ無いか?」


 春眞の意見に、秋都も「それもそうねぇ」と頷く。


「儂はどんなお名前でも嬉しいのですカピ。お名前なんて初めてなのですカピ」


 仔カピバラはそう言ってわくわく顔。おっと、これは下手な名前は付けられない。


 店の名前、季節、四季、兄弟の名前……様々な情報が春眞の脳内に渦巻く。そして徐々に整理されて、弾き出されたワードは。


「あまゆき」


「あまゆきちゃん?」


「あまゆき。ハルちゃん、どういう由来?」


「俺たちの名前から文字を取ったんだよ」


「あ、ま、ゆ、き。ああ、あ、ま、ゆき? ユキちゃんの名前から2文字? ずるい!」


「狡かねぇよ」


 茉夏の理不尽とも言える抗議に、冬暉は忌々しげに口を尖らせた。


「あまゆきちゃん、あまゆきちゃん。うん、良いかも〜。カピバラちゃん、良いかしら〜」


「勿論ですカピ! 嬉しいですカピ!」


 仔カピバラ改めあまゆきは、本当に嬉しそうに眼を細めた。


「俺が名付け親になっても良いか?」


 春眞が言って頭を撫でると、あまゆきは気持ち良さそうにうっとりとした表情になった。


「はいですカピ。ありがとうございますカピ」


「じゃああまゆきちゃんにはもう念の為もう少しお休みして貰って、元気になったらカピバラカフェ、始めるわよ〜。プレート新しく作らなくちゃね!」


「ボク、笹の葉の仕入先調べてみるよ。衛生的にも野菜とかよりそっちを餌にするのが良さそうだしね」


「儂はいつからでも大丈夫なのですカピ。どうぞよろしくお願いするのですカピ」


「うん、こちらこそよろしくね」


 こうして、兄弟が経営するカフェ・シュガーパインは、カピバラカフェ・シュガーパインとして再スタートを切る事となったのだった。

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