カピバラカフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈

プロローグ

第1話 カピバラ拾いました

 その日、里中さとなか春眞はるまは学生時代の友人の結婚式、そして二次会に出席し、家路に着いたのはもう日も変わろうと言う遅い時間だった。


 翌日は仕事なので、酒は控え目にしていた。それでも良い気分で、ちらほらと街灯が照らす道を歩く。


 やがて住宅街の入り口に差し掛かり、家が見えて来る頃。


 その家の前に、ずんぐりと楕円形のものが置かれているのが見えた。頼れる光源が街灯しか無いので、その正体は判別出来ない。


 何だろう。そう思い、春眞は慎重に近付いて行く。


 それはまるで、竹箒たけぼうきの先を丸めた様なものだった。薄い茶色のごわごわした毛が項垂うなだれる様に流れている。


「……か、カピバラ!?」


 そう、カピバラだった。大きな、大人のカピバラ。


 犬や猫ならともかく、野良のカピバラなんて聞いた事が無い。いや、確か沖縄のどこかで野生のカピバラが確認されているらしい。


 しかしここは沖縄では無い。なら動物園かどこからか脱走して来たのだろうか。それとも誰かの飼いカピバラなのだろうか。


 カピバラは基本的におとなしい性質だ。触れ合える動物園で触った事があるが、カピバラは春眞が伸ばした手を静かに受け入れてくれた。


 それでも不測の事態が無いとは言い切れない。生きているのか死んでいるのかも判らない。春眞は恐る恐るカピバラの硬い毛に触れる。すると身体がわずかにぴくりと動いた。


 生きている。


 春眞はその身体をそっと撫でた。寝ているのか、その眼は閉じたままだ。


 どちらにしても、このままにしてはおけない。


「ちょっと待っててな」


 春眞はカピバラの身体をぽんぽんと優しく叩くと、カピバラの脇を通って家に入る。


「ただいま。兄ちゃん、茉夏まなつ冬暉ふゆき、家の前にカピバラがうずくまってるんだけど」


 そう中に声を掛けると、全員がリビングから顔を出した。


「カピバラ〜? 何言ってるのぉ?」


 オネエ言葉の長男、秋都あきと


「こんなとこにカピバラがいる訳無いじゃん」


 そう軽く言うのは長女の茉夏。


「酔って錯覚でも見たんじゃ無ぇの?」


 馬鹿馬鹿しい、そんな様子で言うのは三男の冬暉。


 それぞれの反応を示す春眞の兄弟たち。だが事実だ。


「本当だって。家の前。状況は良く判らないんだけど」


「ん〜? どれどれぇ?」


 秋都がラフな部屋着のまま外に出て、「あらっ」と声を上げた。


「本当にカピバラちゃんじゃ無ぁい。ちょっと、これどういう事? どうしたのぉ?」


 秋都がカピバラのそばに屈んで、その手をそっと伸ばす。カピバラは微塵みじんも動かず、撫でられるまま。


 その間に茉夏と冬暉も外に出て来ていた。


「本当だ! 本当にカピバラだ」


「はぁ? 何でこんなとこに?」


「判らないわねぇ。どちらにしても私たちじゃあどうしようも無いわ。動物病院に連れて行きましょう。運転は私が。春眞と冬暉はカピバラちゃんをお車に運んで。茉夏は深夜も営業している動物病院を探してちょうだい」


 流石、長兄の秋都は判断が早かった。前の職業も関係があるのか。


「分かった!」


 茉夏は家の中に駆け入る。


「分かった」


「はいよ」


 春眞は濃色のうしょくのスーツだったので、ジャケットを脱ぎ淡色たんしょくのネクタイを外して、クラッチバッグと一緒に家の中に放り込む。


 冬暉と協力して、春眞が頭側、冬暉が尻側を両腕で抱える様に持ち上げる。カピバラは完全に脱力している様で、ずしっとその重さが腕にのし掛かった。


「結構重ぇんだな、カピバラって」


「そうだね。兄ちゃん、後ろのドア開けて」


「はぁい」


 裏の駐車場から車を回して来た秋都が運転席から降りて来て、後部座席のドアを大きく開ける。春眞たちは出来る限りそおっとカピバラを乗せた。


「ふぅ」


 一仕事終えたとばかりに溜め息を吐く冬暉。だが。


「なぁに全部終わった様な顔してんのよぅ。まだまだこれからよっ!」


「解ってるよ」


 秋都に軽くたしなめられ、冬暉はふんと鼻を鳴らした。


 その時、スマートフォンを片手に茉夏が家から飛び出して来た。


「24時間営業の動物病院があった! 隣の駅だよ」


「じゃあ行きましょう。助手席でナビよろしくね〜」


「はーい!」


 茉夏は元気に返事をし、さっさと助手席に乗り込む。シャツにハーフパンツ、サンダルを引っ掛けただけの格好だが、気にはならない様だ。


 冬暉も似た様な格好だが気にしていない。


「あ、冬暉、リビングから私の財布持って来て〜。幾ら掛かるか判らないからね〜。あなたたち現金いくら持ってる?」


 冬暉がリビングに入り、財布をふたつ持って来る。ひとつは秋都のもの、もうひとつは冬暉ものだろう。


 春眞の財布はクラッチバッグの中だ。放り出したジャケットに隠れたそれを掘り出し、財布を取り出して中を確認する。


「多めにある。全員分合わせたらどうにかなるんじゃ無いかな」


「オレは今日下ろして来たとこだからよ」


「ボクは明日行こうと思ってたから、少ししか無いよ。だから財布持ってない」


 茉夏は女性なのだが、一人称が「ボク」なのである。


「まぁ大丈夫かしらね。いざとなればコンビニのATMがあるし。じゃあ行くわよ! 冬暉、戸締りよろしく〜」


「抜かり無ぇよ」


 2階部分は使っていなかったので大丈夫。リビングは電気を消し、窓が閉まっている事を確認したと言う。


「じゃあ大丈夫ねっ! 春眞、冬暉、後ろ乗れるかしら?」


「俺、カピバラをひざ枕するよ」


「ああ、じゃあオレも膝に乗せたら行けるな」


 そうしてふたりは両サイドから後部座席に乗り込み、どうにかこうにかカピバラを膝の上に乗せた。


「じゃあ行くわよ〜」


 そうして里中家唯一の車、紺色のワゴンはするりと走り出した。




老衰ろうすいですね」


 カピバラを運び込んだ時には「カピバラ!?」と困惑した年若い獣医は、流石に診察時になると落ち着きを取り戻し、淡々と作業をこなした後、静かにそう言った。


「老衰、ですか」


 秋都が反芻はんすうすると、獣医は「はい」とまた静かに頷いた。


「何年生きたかは判りません。ですが筋力も内臓もかなり弱っています。診察中もおとなしいもので、眼も開けませんでした。今夜が山かも知れません」


「そうですか……」


 秋都は、そして後ろで控えていた春眞たちも項垂れる。


 ついさっき見付けたばかりのカピバラだ。何の義理がある訳では無い。だがこうなってしまった以上、このカピバラはもう里中兄弟と無関係では無いのだ。


 折角出会ったのに、もうその灯火が消えようとしているなんて。


「拾ったカピバラとの事ですが、どうされますか? このまま入院させますか?」


 獣医の問いに、兄弟は顔を見合わせる。春眞は小さく頷き、茉夏は大きく何度も頷く。冬暉はそっと眼を伏せた。


「入院しても治療法がある訳では無いんですよね?」


「そうですね。病気ではありませんので」


「なら、出来るなら連れて帰っても良いですか? これも何かの縁かも知れません。出来れば看取ってあげたいんです」


 秋都が言うと、獣医は「そうですか」と了承してくれた。


「亡くなるのがいつになるのかははっきりと言えません。もしかしたら介護が長くなるかも知れません。それでも大丈夫ですか?」


「はい。私たちは仕事柄ずっと傍にいれますので。でも動物の介護ってどうしたら良いんでしょう」


 秋都がやや不安げに言うと、獣医は「そうですね」と慣れた調子で説明をしてくれる。


「カピバラのトイレは水中なんですが、一般家庭でのご用意は難しいでしょうし、何よりこのカピバラはもう殆ど動けないでしょうから、おむつをしましょう。犬のもので代用できるでしょう。そして……」


 そうして兄弟は、獣医の説明に聞き入った。




 白いおむつをされたカピバラを家に連れ帰り、使い古したバスタオルを数枚用意する。


「今夜はとりあえずこれで我慢して貰いましょう」


 リビングにバスタオルを重ねながらある程度の広さを確保し、そこにカピバラを横たわらせ、掛け布団代わりにバスタオルを背中に掛けてやる。


 また春眞と冬暉で車から降ろし、担いで家の中に入れた。その間に秋都と茉夏が寝床を用意したのである。


 今夜が山だと言われたので、各自部屋に戻る気にはなれず、各々おのおの適当に寝具を持ち込んで、カピバラを囲う様に陣取った。春眞もスーツを脱いで部屋着に着替えた。


 やはりカピバラはただただ動かない。春眞たちはそんなカピバラに優しく手を伸ばした。


「しんどいかなぁ。でも少しでも頑張って貰いたいな。折角うちに来てくれたんだから」


「だよね。もし本当に今夜っちゃうにしてもさ、安らかに逝って欲しいな」


「そうよねぇ。ほんの短い期間かも知れないけど、カピバラちゃん、あなたはうちの家族よ」


 冬暉も無言でカピバラの背をそっと撫でている。


 そうしてカピバラをいたわる里中兄弟は。


 気付けばカピバラに手を伸ばしたまま、すっかりと眠りに落ちていた。

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