第39話 ブラウン大司教
「だったら逆に聞くけど――枢機卿以外の誰が、これだけ大胆な事件を引き起こしながら証拠を隠蔽することができるのよ? 大司教クラスなら互いに足を引っ張るために密偵を送り込んでいるから、教会内部に情報が漏洩することは防げないし、総司教が犯人だとしたら、もっと別のやりかたを選ぶはずだわ。だから消去法で考えれば――枢機卿を疑うしかないわよね?
「しかし……確たる証拠もなしに枢機卿を疑うなど……」
幹部たちの言いたいことも良く解る。彼らはクリスタの立場が悪くなることを懸念しているのだ。
クリスタは王家の血筋である公爵家の第一公女ではあるが、公爵自身ではない。対して枢機卿は自身が伯爵であり、彼の妻はラグナバルの太守であるジャレット侯爵の妹なのだ。
クロムウェル王国は絶対王政ではなく、王家と貴族、教会勢力の微妙なバランスの上に成り立っている。教会内の地位を考えれば、枢機卿の方に軍配は上がるだろう。
「そんなに心配しないで……皆だから私の考えを伝えたのよ。今の段階で枢機卿と正面から事を構える気はないわ。焦っても意味はないことくらい解っているから」
部下たちを安心させようと、クリスタは輝くばかりの笑みを浮かべる。彼らが本心からクリスタを気遣っていることは理解している。
エリオネスティ公爵家を飛び出して、見方によっては好き勝手に我が儘に生きるクリスタを、教会の主流派から外れる覚悟や、公爵家の後ろ楯を失う覚悟を以てつき従う者たちなのだ。彼らに対する責任を放棄する訳にはいかないとクリスタは思う。
「……今日のところは、このくらいで終わりにしましょう。皆はそろそろ巡回を始めてくれる? 私も夕方には合流するから」
魔法を解除して、クリスタは執務室を後にした。
廊下に出ると、偶然居合わせたという感じでブラウン大司教と鉢合わせになる。
「これはこれはエリオネスティ騎士団長、また会議ですか? 昨日賊を捉えたばかりだというのに、白鷲騎士団の方々は生真面目ですな」
穏やかな笑みを浮かべる壮年の大司教に、クリスタも笑みを返す。
「ええ。勤勉だけが、私たちの取り柄ですから」
「何をご謙遜を……聖公女殿下と白鷲騎士団こそ、正教会の誉れですよ」
好好爺然としてはいるが……ブラウンはかなりの野心家だった。クリスタと話をしている間も、彼女の背後にいるエリオネスティ公爵の顔色を伺っている。
こういう性格であれば、パルマの事件に関わる上層部の人間がブラウンだと部方たちが疑うのも解らなくはないが。クリスタが集めた情報からは彼の関与は読み取れない。そして何よりも――そんな大それた事などできない小者だと、クリスタはブラウンを評価していた。
正教会の力もクロムウェル王国では絶対ではない。下手なことをすれば、王国内におけて正教会自体の存続すら脅かすほどの行為を、貴族の後ろ楯を持たないブラウンが、リスクを承知で行うとは思えなかった。彼にとっては正教会における権力こそ全てなのだから。
「ブラウン大司教、それでは私は失礼します……」
無難な感じで話を受け流して、クリスタはブラウンと別れた。
彼女が向かったのは大聖堂の東の外れにある自室だった。
小さな応接間にベッドルームだけと、クリスタの私室は彼女の地位を考えれば余りにも質素だった。しかし、もっと上等な部屋を進められても、様々な理由を付けて固辞してきた。貴族の暮らしがしたいのなら、公爵家を飛び出して正教会に加わってはいない。
護衛すら置かないこともクリスタの望みであり、竜殺しのクリスタに言われては、部下ちも引き下がる他はなかった。
部屋に入るとクリスタは、もはや習慣となった『沈黙』と『不可視』の魔法を発動させる。これでは警戒し過ぎだと部下たちに言えないかなと自嘲するが、現実問題としてクリスタの部屋はブラウン大司教の手の者によって監視されているのだ。無論、今回の事件とは全く関係なく、ブラウンの小さな野心を満たす材料を探すためにだ。
ようやく一人きりの空間を手にいれると、クリスタは鎧も外さずにベッドに身を投げる。
自分だけサボるのは皆に悪いとは思ったが、一人になって少し頭を整理したかったのだ。
「私も最近、独り言が増えわね? 覗き見くらいなら適当にあしらうんだけど……」
事件の背景にあるものは大よそ解ってきたが、クリスタたちが置かれている状況は大して好転していない。結局のところ、目の前の事件を解決するには、戦力が圧倒的に不足しているのだ。
仮に一対一であれば、クリスタは大抵の相手に勝つことができる。たとえ天使であろうとも、力でねじ伏せて捉えることは可能だろう。これは奢りでも自信でもなく客観的な判断だった。
しかし、他の白鷲騎士団のメンバーは違う。仮に正面から戦う機会があったとしても、小隊一つで天使の一人を捕らえることができるか微妙なところだろう。勿論、力づくでどうにかできる状況を作り出すには、それ以上の戦力が必要なことも解っている。
他に教会内部の協力を得るこはが難しいと解っていたから、クリスタは形振り構わず、各地の貴族たちに協力を求めていた。本当は切りたくない幾つかのカードをあえて切ることで彼らと交渉していたが、未だ色よい返事は一つも返ってきていない。
原因は王国全体に広がる疑心暗鬼だろう。しかも、獣人に狙われることを危惧する類いの貴族たちには、すでに加害者の手が回っているのだ。対岸の火事に対してなら、自らリスクを負って協力する者が少ないのも当然だった。
「こんな状況だと彼女……アクシアがもし危険な存在じゃないと解ったら、協力をお願いしたいところね」
総合的な実力までは解らないが、魔力だけで測ればアクシアはクリスタすら凌いでいる――そんな相手に実際に会うのは始めての経験だった。かつて倒した竜ですら、魔力では当時のクリスタに劣っていたのだ。
「……アクシアって、いったい何者なのかしら? 単純で真っ直ぐで可愛い人だと思うけれど……不思議な迫力があるわよね?」
アクシアと直接話をしてみて、裏表のない信用できる性格だと思ったが。同時にこれまでクリスタが同年代に感じたことのない威厳というべきか、精神的な強さを感じるのだ。
「単純に私よりも強いから? それとも……」
「へえ……おまえがアクシアを気に入るなんて意外だな?」
不意の声に、クリスタが反射的に起き上がって身構えると――
カルマが扉に寄り掛かって立っていた。
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