第16話 神凪カルマと竜の女王の旅立ち
翌朝。二人は予定通りに出発した。
「竜族の王の住処に立ち入る度胸がある奴なんて、そうはいないだろうけどさ。万が一でも、帰ってきたときに塒が荒らされていたら、おまえも気分が悪いだろう?」
宝物庫兼寝室と浴室の扉の固定を解いた後、カルマは全ての扉に鍵魔法(マジックロック)を掛けた。そして最後に、地中の岩盤から錬成して巨大な石の扉を創ると、回廊の入口を塞いで封印を施した。
「アクシアの魔力に反応するように仕掛けをしたから。おまえが『解錠(アンロック)』と念じれば、封印も鍵も全部解けるよ」
「ああ、カルマ。ありがとう……それでは出発するとしようか?」
少しだけ余所余所しい感じで、アクシアは応える。
当初、アクシアは自分で移動すると主張していたが、カルマに理屈で諭されると反論できなかった。
本来の竜の姿に戻れば、カルマの移動速度にもある程度は対抗できるが。人の姿で使用できるのは普通の飛行魔法程度であり、カルマに『かったるい』と言われれば逆らう術はなかった。
「じゃあ、しっかり捕まってろよ?」
塒に帰ってきた日と同じように、アクシアはカルマに横向きで抱き上げられて、首に腕を回す。昨日言われた台詞を思い出すと少々気恥ずかしかったが、努めて平静を装った。それでも頬が少し赤いことに、カルマは気づかないフリをする。
上空二千メートルに達すると、カルマは短距離転移を発動した。
一秒に一回発動する短距離転移で点から点へと動くのだから、それだけでも他者が認識すことは難しい。さらにカルマは認識阻害系の能力を多重発動していたから、強力な魔法的手段を用いても、二人を発見することは不可能だった。
「なあ、カルマよ……そこまで警戒する必要があるのか? 其方であれば、たとえ襲撃を受けようとも容易く対処できるであろう?」
襲い掛かってくる馬鹿がいれば力で捻じ伏せれば良い。正に竜族の王に相応しい考え方に、カルマは苦く笑った。
「そういう訳じゃなくてさ、半分は習慣みたいなものかな? 残り半分の理由は目立ちたくないだけだ。相手に警戒されると、やり難くなるからさ」
カルマは予告した通りに南西に向けて移動した。二分と経たないうちにアクシアの版図の外に出るが、そのまま直進を続ける。
周囲の景色は険しい山岳地帯から、起伏のなだらかな丘陵地帯となり、その色も岩肌が露出する褐色から、木々が生い茂る緑に変わった。さらに進むと、平地を埋め尽くす広大な森林地帯に入る。
「そろそろか……アクシア、地上に降りるぞ?」
突然浮力を消失させて、上空二千メートルから落下する。
空気抵抗によって、アクシアの赤く長い髪が逆立ちのようになるが、カルマは構わずに地上ギリギリまで落ちてから、逆向きに加速して速度を殺すと森の只中に降り立った。
「……これでは降りるではなく、落ちるではないか?」
自身も高速で空を駆けることを好む赤竜の王アクシアが、この程度で動じることはない。何故つまらぬことをとするのだと疑問の視線を向けるが、カルマは『何だ、気に入らなかったのかよ?』と惚けた感じで肩を竦めるだけだった。
「あとはゆっくり行くからさ。おまえも自分で移動したいだろう?」
抱き抱えられていた身体をカルマが解放するのに合わせて、アクシアも首から腕を解く。
カルマが移動に費やした時間は五分程だったが、周囲の景色は全く見覚えのないものに変わっていた。アクシアは自らの版図から遠く離れたのだなと、今さらながら実感する。
しかし、それよりも――アクシアはまじまじとカルマを見た。
移動中、カルマは一切途切れさせることなく短距離転移魔法を発動させていた。一秒に一回発動したとして、五分間で実に三百回になる。カルマが消費したであろう魔力は莫大なものだった。それでも、カルマの様子には特に変化がないのだ。
敵にしなくて本当に良かったなどとアクシアは思わない。カルマの強さに惹かれたのは確かだが、強さを恐れてつき従った訳ではないのだ。我は驚くのではなく、誇らしく思うべきだなと、アクシアは思わず笑みを浮かべる。
「何だよ、話を聞いていなかったのか? ぼーっとしてたら置いていくぞ?」
「ああ、すまない……そうだな、我も自分で動きたい。だが、カルマよ? 人の姿で歩いて行けるほど、もう目的地は近いのか?」
「いや、さすがに歩いたら、まだ半日は掛かるな。俺だって、そこまで悠長なことをする気はない。ここからは飛行魔法で移動するからさ、ついて来いよ?」
多重認識阻害の効果範囲を広げて、半径一キロの空間を包み込む。これで二人の距離が多少離れても、他者に発見される可能性はなくなった。
カルマはふわりと地上から十センチほどの高さに浮上する。何を始めるのかとアクシアが興味深そうに見ていると、カルマは突然加速した。まるで氷の上を滑るように、高速で木々の間を摺り抜けていく。
「お、おい、待ってくれカルマよ!!! ゆっくり移動するのではなかったのか?」
「十分、ゆっくりだろう? このくらいの速度なら、おまえもついて来れるよな?」
揶揄うような口調のカルマに、アクシアは挑むように笑った。
「……良いだろう!!! 我の力を見せてやる!!!」
地上ギリギリの低空飛行など、アクシアの発想にない行動だった。
慣れない動きに最初は戸惑うが――すぐに感覚を覚えて、先行するカルマの後にピタリとついて行く。
背後からの気配を感じて、カルマは楽しそうに笑った。
「さすがは太古の竜だ――これなら手加減しなくても大丈夫だよな?」
その言葉の通りに、カルマはさらに加速する。
木々の僅かな隙間をギリギリで擦り抜ける動きに、二人の距離は一気に開くが、アクシアも加速して追いかける。
一瞬の間に、見失いそうなほど距離が開いてしまったが、アクシアは五感をフル回転させて木々を躱しながら、カルマの後を必死に追い掛ける。そして――
不意に木々が途切れて視界が一気に広がった。
森から飛び出したアクシアは、周囲一帯に広がる緑の風景に思わず目を奪われる。そこは、まるで緑色の海のような風に流れる美しい草原だった。
「……!!!」
アクシアが魅入られたように言葉を失って止まると、すぐ隣にカルマが立っていた。
「なあ。なかなか悪くない景色だろう?」
いつの間にか煙草を咥えて、ゆっくりと煙を吐いている。
「……この光景を我に見せるために、わざわざ森を抜けたのか?」
アクシアの声は少し震えていた。
カルマは気づかないフリで欠伸をする。
「いや、それはさすがに買い被り過ぎだな……仕掛けをしているときに見つけた草原のことを思い出してさ。この景色を森を突き抜けた瞬間に見たら面白いかなって。単純に自分が見たいと思ったから、試しただけだよ」
「ああ……そうか。其方らしいな……」
全く素直じゃないなと、アクシアは苦笑する。
カルマは伸びをすると、煙草を消滅させた。
「さあ、もう目的地は近いから。このまま草原の上を滑って行こうか?」
「ふむ……全く悪くない考えだな」
二人が草原の上を滑空して移動すると、前方に街並みが見えてきた。
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