四十二話

 雪が降り積もっている。

 アカツキはブロッソと共に城から兵舎前の屋外演習場へと向かった。二人とも鎧の上に外套を纏っている。それでも訓練が始まれば身体は温かくなるだろう。

 兵士達は普段は整列し演習場にいるのだが、今日はその列が乱れていた。

「将軍、この雪の中でも訓練を行うのですか?」

 兵士の一人が意を決したように尋ねてきた。

「勿論だ。いかなる場合をも想定し訓練は行われる」

 ブロッソが応じる。

「しかし」

 兵士は脚の膝まで埋まる雪を見下ろしながら言った。

「確かに足はとられるだろうが、それも状況の一つとしてだ。訓練は通常通り行う。整列せんか!」

 兵士達は返答を聴くと不承不承という様子で隊列を整えた。

「では俺とアカツキ将軍の後に続いて走って来い。追い抜かせる者は追い抜かして見せよ」

 こうして調練はいつも通り始まった。

 そして朝靄が立ち込めるころに終わる。

 予想通り身体は温まったが、雪の負荷は想像以上だった。兵士達も疲れ切っている様子だった。

「よく頑張ったな。今日はこれで終わりだ!」

「ありがとうございました!」

 ブロッソの号令に新兵達が揃って敬礼した。

 しかし、寒気は強烈で身体を動かさなくなった瞬間、汗をあっと言う間に冷水に変えた。

 アカツキもブロッソも再度外套を羽織り城へと戻った。

 城の中でブロッソと別れ、アカツキは登城してきた日勤の責任者シリニーグとの稽古を終えると、風呂へ向かった。飯より風呂だ。この汗で冷え切った身体を骨の芯から熱くするのには風呂より他なかった。

 一階にある将軍専用の湯殿へ行くと、シリニーグとの訓練で遅れたためか、他の将軍達は一人もいなかった。

 貸し切りだ。その方が好都合だった。ヴィルヘルムやブロッソと風呂に入るなら会話も弾むが、他の見知った将軍達とは未だにどう接していいか分からず、己に似合わず気を遣ってしまうのだ。

 アカツキは丁寧に時間を掛けて身体を洗い、長い若干癖のある髪を毛先までしっかりと洗う。

 桶に湯船からお湯を汲んで五回頭から被って石鹸を洗い流す。

 室内の風呂と言うことで熱気はあったが、それでも少々肌寒い。アカツキは湯船へと降りた。ここに窓があれば外の様子も見られたが、暗殺防止のために壁に塗り固められていた。その代わりに換気用の通風孔が幾つか天井付近に設けられていた。

 アカツキは肩まで湯に浸かり溜息を吐いた。

 今日の訓練は兵士達にとって過酷過ぎたかもしれない。自分だって雪の中の戦いは経験したことが無く、先頭を走るのがやっとだった。

「しかし、どれぐらいの間、雪が降るのだろうか」

 アカツキは独り言ちた。その声が浴室内で反響する。

 と、入口の扉が開かれた。

「後、三カ月は降るだろう」

 聞き覚えの無い声だった。風呂場で高々と反響しているせいかもしれない。あまり親しくできなかった将軍の一人だろうか。

 アカツキは振り返る。

 巨躯の影が湯煙の向こうに見えた。

「アカツキ将軍」

「あ、ああ」

 アカツキは名を口にされ戸惑いを覚えた。それにしても大きな身体だ。クマの中でも大きな灰色グマのようだった。だが、腰はしっかりくびれを残していて、腹も引き締まっていた。

 謎の将軍は布に石鹸をつけると身体を洗い始めた。

 その背をジロジロ見るのも失礼な気がしアカツキは壁に身体を預け静かに風呂を堪能していた。

 謎の将軍は身体を洗い終えたようで湯船に浸かった。

「この温かさ、身に染み渡る」

 謎の将軍はそう言うとアカツキの方へ湯を掻いて近寄って来た。

 近くで見てその体躯の大きさに驚いた。魔族特有の緑色の肌は鍛えこまれた筋肉に刻まれていた。

 これだけの身体を持つ者が暗黒卿以外にいるとは思わなかった。遠方の守備にでも任じられていたのだろうか。

「アカツキ将軍、新兵の調子はどうだ?」

 初対面だと言うのに相手は馴れ馴れしく話しかけてきた。

「志願兵だけあって、気合はある。良い具合に育ってはきている」

 アカツキは隣に沈む巨躯に向かってそう言った。

 謎の将軍は頷いた。

 こちらを見ている謎の将軍は、左目に真一文字の傷がつけられ潰されていた。そして赤毛の逆立った頭髪が印象的だった。だが、鬼のような容貌では無い。どちらかというと物静かな印象を覚えた。

「陛下もブロッソ将軍とアカツキ将軍の調練に関しては褒めていたぞ」

「そうか」

「以前にグレアー、ハッキネンの二十万の連合軍を我が軍が撃退した戦でも、貴公の軍勢が新進気鋭で初陣ながら見事な活躍を見せたと言っておった」

「お前……いや、貴公はあの戦いにも参陣していたのか?」

 アカツキが言葉を改めて尋ねる。

「ああ」

 謎の将軍は頷いた。

「これまでも戦には苦労して勝ってきたが、あれは久々に絶望的な戦だったな」

「そうか」

 アカツキはため口をきいても良いものか思案しつつそれだけ答えた。

「あの戦はサルバトール、テレジア主従の功績も大きかったが、ヴィルヘルム隊とブロッソ、アカツキ隊が敵の片翼をもぎ取ったところが大きかった。その様子を馬上から見て、我も血が騒いだほどだ。実際、陛下もあれを見て防衛から攻撃へ命令を転じられた。片翼を壊滅させ迫りくる波のような軍勢に横腹を衝かれ次々呑まれていく様は眺めていて痛快だった」

 謎の将軍はそう言うと小さく笑い声を漏らしていた。

「そして戦後処理の際にアカツキ将軍、貴公が助けた忠烈の士ダナダン。彼の者は今は何処で何をしておるのやら。あれほど二君に仕えるほどを嫌った男だ。他国へ仕官することはないだろうが……」

「ダナダンの武勇は放って置くには勿体無いな」

 アカツキは思わず応じた。

「ほう、それほどか」

 謎の将軍は感心した様に言った。アカツキは頷いた。

「少なくとも槍の腕前は、俺の知るあらゆる武将の中でも断トツに秀でているだろう」

「アカツキ将軍がそこまで言うのなら本当なのだろうな。しかし、ならば尚更惜しいな。ダナダン自身も武芸以外に食べて行く道を見付けられているかどうか。……あるいは、傭兵に身をやつしたかもしれんな」

 アカツキは驚いた。その発想は無かった。二君に仕えず武勇を振るうことができる道といえば、この謎の将軍が言ったように傭兵になる事だろう。

「傭兵か!」

 アカツキが思わず感嘆すると、謎の将軍は笑った。

「嬉しそうだな、アカツキ将軍」

「あ、いや……」

 アカツキは慌てて笑みを引っ込めた。

 すると謎の将軍は立ち上がった。

「身体も芯から温まった。我はこれで失礼しよう。貴公とまたゆっくりと風呂に入れる機会があれば良いな」

 隻眼の巨躯はそう言うと去ろうとした。

 アカツキはその背に向かって思わず呼び止めた。

「待て、貴公の名は?」

 相手は振り返った。

「ズィーゲルだ。ではな、アカツキ将軍」

 ズィーゲルと名乗った将軍は去って行った。

 ズィーゲル? アカツキはその名をどこかで聴いたような気がしたが思い出せなかった。

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