二十八話

 その日も、アカツキやほとんどの将軍に仕事が振られなかった。

 各戦線が硬直状態な上に、領内で兵士を募っているところだった。

 戦の気配はあるがまだ遠い。

 ヴィルヘルムが広報担当となり、城下や各領地に兵士募集の呼びかけに出向くよう言われたきりで、あとのまばらに集った将軍達はそのまま玉座から引き上げてきた。

 アムル・ソンリッサは頑なに徴兵をせずあくまで志願者を募り待っていた。

 今は夜、魔族が活発に動く時間だ。

 残念な事にシリニーグは日勤を終え家へ戻っている。

 アカツキは部屋へ戻った後、演習場へ出向いた。

 そして先客がいることに気付き入り口で足を止めたのだった。

 ヴァンパイアのサルバトールが必死に剣を振るっている。その相手は暗黒卿だった。

「閣下!」

 馴染みの無い女の声が聴こえた。

 赤毛の若い女だった。剣を佩いている。眼光も真っ赤だった。そのためこの女がヴァンパイアなのだと分かった。

 サルバトールは奮戦虚しく後退を余儀なくされ最後は端に追い詰められて降参した。

 アカツキが気付いたのは、暗黒卿は片腕で大きな剣を操っていたことだった。手加減していたのだ。それとも片方が義手だからだろうか。そうしたのが自分であったためか、何故か知らぬが罪悪感が湧いて来たのであった。

「閣下!」

 ヴァンパイアの若い赤毛の女はサルバトールに駆け寄った。

「大事ないテレジア。我々の身体を傷つけられるのは光の者共が使う聖なる魔術と、聖水、トネリコのみ」

 ニンニクは効果が無いと言うことか。アカツキはどこで覚えたのかも知らない知識を思い出していた。

「そして今は亡き異形の戦士……」

 サルバトールが悔し気にあるいは惜しむかのようにそう言った。

「そうだな……」

 暗黒卿も剣を下げ、サルバトールと同様に言った。

 重たい空気を感じ、アカツキは邪魔するのも野暮だと思い引き上げようとした。だがヴァンパイアの女が目敏く気付いて声を上げた。

「そこで見てるのは何者だ!?」

 ヴァンパイアの女は剣を抜いた。

 暗黒卿とサルバトールがこちらを見る。

 アカツキは溜息を吐いて仕方なく演習場へ足を踏み入れた。

「このにおい、お前は人間!?」

 ヴァンパイアの女が驚いたように言った。

「テレジア心配いらぬ。今は我らの味方のアカツキ将軍だ」

 サルバトールが言った。

「人間に屈する膝は持ち合わせておりません」

 ヴァンパイアの赤毛の若い女、テレジアは挑むようにそう言うと真っ赤な眼光で睨み付けて来た。

 ヴァンパイアの視線を見つめ返せば金縛りにあう。だが、そんなことは起こらなかった。つまり――。

「もとは人間の女か」

 アカツキが言うとヴァンパイアの女はテレジアは激昂した。

「私を人間と一緒にするな! 私はサルバトール閣下の忠実なしもべ!」

 そして驚いたことにテレジアはアカツキに襲い掛かって来た。

「サルバトール、ヴァンパイアは並みの武器では傷つかないはずだな?」

 アカツキが問うとサルバトールが言った。

「そうだ、だが――」

 ならば。

 アカツキは斧と剣を抜いて肉薄するヴァンパイアの女の勇ましい一撃を斧で薙いで、剣で斬り付けた。

 刃は女の服を引き裂いたが、そこから覗く肌から血は出ていなかった。

 ヴァンパイアの身体は噂通り鋼のようだ。特別な物以外全てが通用しない。

「まだやるか?」

 アカツキが女に問うとテレジアは怒りの雄叫びを上げて斬り付けて来た。

 予想以上の正確無比な一撃をアカツキは片腕の斧で弾き返した。

「何故、両手を使わない!? 私を侮辱しているのか!?」

 ヴァンパイアの娘テレジアはそう叫ぶと牙を覗かせた。

 全く、頭に血が上りやすい女だ。

 アカツキがそう嘆息したときに、そこまでだとサルバトールが宣言した。

「テレジア、もう良い。それに奴は人間だが、先程も言った通り、今だけは我らの味方だ。もっとも印された首の数を終えれば敵になるのだろうがな」

「当然だ」

 アカツキは応じた。そう、当然なのだ……。

 ヴィルヘルム、シリニーグ、ブロッソ、アムル・ソンリッサの顔が浮かんでくる。

 ちっ、本当に俺は毒されてきたみたいだ。

「お前達の稽古の邪魔をするつもりはなかった」

 アカツキが言うと暗黒卿がバイザーの下りた鉄仮面の下で含み笑いを漏らした。

「そこまで気を遣わずとも良い。アカツキ将軍、せっかくの機会だ。サルバトール閣下の相手をしてみてはどうだ?」

 サルバトール閣下? あの暗黒卿がまるで主君に対する言い方なのが気になった。

「アカツキ将軍、手合わせ願おう」

 サルバトールは長剣を振るって睨んできた。

「……良いだろう」

 アカツキも特にやることも無く、もともと演習場で汗を流すつもりだったため、その申し出を受けた。

 両者は演習場の真ん中で対峙した。

「閣下を傷つけたら私が許さない!」

 テレジアが声を荒げて言った。

 俺の持っているのはただの斧と、形見とはいえただの剣だ。サルバトールに効能を示す物では無い。

「お、やっているな」

 ブロッソが興味深げにノッシノッシと歩いて来た。

「二人とも準備は良いか?」

 暗黒卿が言い、アカツキは両手を下げたまま、サルバトールはごく自然に構えていたが、その顔は笑みに溢れていた。

「始め!」

 暗黒卿が宣言すると同時にサルバトールが天井付近まで跳躍し、一刀の下に突き刺そうとして来た。

 アカツキはその獲物を見付けた猛禽の急降下のような一撃を避けた。

 そしてサルバトールに斧で斬り付ける。

 サルバトールは身軽に体勢を立て直しながら剣で受け止めた。

 アカツキはそのまま流れる様に左の剣で斬り付けたが、サルバトールは避け、アカツキの懐に飛び込んでいた。

 その早さにアカツキは驚いた。

 武器が追いつかず足で蹴り飛ばした。

「よくも閣下を足蹴に!」

 テレジアが怒りの声を上げる。

 サルバトールは縦に一回転し着地した。

「器用だなアカツキ将軍」

「それはお前の方だろう」

 アカツキが言葉を返すとサルバトールはニヤリと口元を歪めた。

「血沸き肉躍る。久々の感覚だ。行くぞ!」

 サルバトールが腰だめに剣を構え一直線にアカツキに向かって来る。

 そして真正直にそのまま突き出すのかと思いきや、後ろに飛び退いた。アカツキが振るった斧は空を斬った。

 斧の重量に身体が流される。サルバトールが今度こそ剣を突き出してきた。

 アカツキは斧から手を離し身体の流れのまま更に素早く横に回転して剣でサルバトールの一撃を辛くも受け止めた。

「おおっ!」

 ブロッソが声を上げる。

「斧を拾う時間をくれてやろうか?」

 サルバトールが言ったが、アカツキは頭を振った。

「俺にはこの剣一本さえあれば充分だ」

 アカツキはダンカン分隊長の形見カンダタを右手に持って相手に備えた。

「ならば行くぞ!」

 そう言って気迫と共に放たれたサルバトールの乱撃は目を見張るものがあった。

 だが、アカツキも全てを追い弾き返す。

「これで決めてやる」

 サルバトールが高速の突きを繰り出した。

 アカツキは全神経を目に集中させ剣を振るい、際どい一撃を弾き返した。サルバトールの手から剣が離れた。

「しまった」

「勝負あり。アカツキ将軍の勝ちだ」

 暗黒卿が宣言した。

「次はこうはいかぬぞ」

 サルバトールが言った。

「そうかもしれないな」

 アカツキも素直に感想を述べた。

 テレジアはギャーギャーうるさかったが、ブロッソと暗黒卿が続いて手合わせをするのを見ると静かになった。

「アカツキ将軍、お前は我らが目標にしていた異形の戦士に届く器かもしれん。強くなって、我らを喜ばせよ」

 サルバトールが好意的にそう言った。

「異形の戦士とやらがどれほどかは知らぬが、言われずとも俺はもっと強くなる。暗黒卿を超えるぐらいにな」

 アカツキが応じると、サルバトールは軽く笑った。大人しくしていたヴァンパイアの娘テレジアがギャアギャアまた騒ぎ始めた。どうやら彼女の前でサルバトールは勿論、暗黒卿を軽んじる様な発言は控えた方が良いらしい。

 サルバトールと共に暗黒卿とブロッソの試合を観戦しつつ、アカツキは久々に心の中が満たされるのを実感したのだった。

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