狂源追想(その九)

「……はあ」


 時刻は午後二十一時辺り。日もすっかり暮れて、あんなにも明るかった空は夜の帷が下りて。今や月や無数の星々が顔を出している。そんな夜空の真下にて────俺ことライザー=アシュヴァツグフは独り、オールティアの広場にいた。


 この広場には噴水があって、今俺はその近くの長椅子に腰かけ、項垂れている。それは何故かというと────今夜である。


 そもそも俺は今日まで旅人の身であった訳なので、当然この街に自宅などあるはずもなく。だがこれからはこの街に住まうのだから、その問題がどうにかなるまでの当面は宿屋ホテルでの滞在でやり過ごそうと考えていた。


 ……が、しかし。その方法も今夜だけはできなくなってしまった。別に金がないからという訳ではない。旅の道すがら、金銭面に関して問題がないよう、しっかりと稼がせてもらったのだから。


 では何故できないのか────実に簡単な話である。空いている部屋が、なかったのだ。これではいくら金に余裕があろうが、泊まる部屋がないのならどうしようもない、


 ──俺としたことが……『大翼の不死鳥』に向かう前に、予約を入れておくべきだった。


 自分が想定していた以上に、冒険者試験が長引いてしまった。とはいえ、それを理由にする訳にはいかないのだが。


 オールティアにある宿屋は一つだけ。別に小さくはなかったが……まあ運が悪かったとしか言い様がない。


「…………」


 輝く星々で彩られた、満月浮かぶその夜空を見上げつつ。俺は懐に仕舞い込んでいたそれを、グィンさんから手渡された冒険者であることの証明────冒険者証ランカーパスを取り出し、宙に掲げる。




『いやあ、驚かされたよ。まさか本当に《S》ランク試験を突破してしまうとはね。おめでとう、アシュヴァツグフ君。そしてどうか誇ってくれ。《S》ランクからの登録は、『大翼の不死鳥』どころか全大陸の冒険者組合を含めても、君が初なのだから』




 と、感激に打ち震えながら、その言葉と共にこれをグィンさんは渡してくれた。そのことを思い出して、俺は力なくため息を吐く。


「ラグナさんがいたら、これ以上にないアピールになったのかもしれないな」


 グィンさんには申し訳なかったが、あの時の俺はそうずっと思わずにはいられなかった。……しかし、これで遂に。遂にとうとう、俺は本当の本当に第二の出発点スタートラインに立てたのだ。そのことだけは、素直に喜ぶべきだ。


 ──さて。とりあえず今日はどうするか……今夜だけ森で野宿でもするとしようか。


 ここまで旅を続けた俺に、野宿に対しての躊躇などもはやない。何十回と続ければ抵抗など嫌でもなくなる。


 結論を出してから数秒もしない内に、決意を固め。俺は椅子から立ち上がる────直前。






「……あら?そこにいるのは、ライザー様なのですか?」






 という、今日耳にしたばかりの、まだ記憶に新しい聞き覚えのある声がした。


 その声がした方に咄嗟に顔を向けて見れば。こちらの顔を覗き込む、白金色の髪と瞳をした、片手に買い物カゴを持つ女性が立っていた。その顔を見た俺は、呆然と呟く。


「君は、シャーロット……シャロか?」


 するとその女性は────シャーロット改めシャロは、笑顔を浮かべて俺に言った。


「はい。シャーロットです。ライザー様に命を助けて頂いた、シャロですよ」

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