アルヴス武具店

 その日、世界オヴィーリスに激震が走った。何故ならば、突如としてこの日に『世界冒険者組合ギルド』から到底信じられない、まるで嘘のような報道ニュースがあったからだ。


 《SS》冒険者ランカー、『炎鬼神』ラグナ=アルティ=ブレイズが弱体化し、その上少女となってしまった────と。


 この報道と共に世界中に配られた一枚の記事とそこに載っている写真が与えた衝撃と動揺は、『世界冒険者組合』の予想を大いに上回り、尋常ではない混乱を齎すこととなった。


 嘆く者。怯える者。不安を抱く者────当然のことだろう。この世界には魔物モンスターの脅威に満ちており、そして世界を滅ぼさんとする『厄災』もいるというのに、それらに対抗できる存在モノが一つ失われてしまったのだから。


 だが、この世界規模の影響を出した危機的状況を、逆に好機を捉える者たちもいた。


 最強という唯一無二の名誉を求める者。心の奥底に野望を秘めた者────そういった者たちが、この事態を受けて今、一斉に動き出す。


 そう────この日この時、世界は激動の一歩を踏み出したのだ。




















「へいらっしゃい!ここはアルヴス武具店……って、ウインドアじゃねえかよ。久しぶりだな」


「お久しぶりです、アルヴスさん。相変わらずここは寂れてますね」


「お前さんのクソ真面目なツラも相変わらずだっての。……で、そっちの嬢ちゃんが今噂で持ち切りの……」


「……ええ、そうですよ」


 早朝の、予期せぬハプニングの後。僕と先輩は気まずい空気の中朝食を済ませて、ここ────一般的なものから表向きには出せない裏事情のある武器や防具も売っている(という噂が囁かれている)『アルヴス武具店』に訪れていた。


 この店は僕がまだ駆け出しの冒険者ランカーだった頃からの行きつけである。この店の店主──アルヴス=オルトマギスさんとの付き合いは意外と結構長い。


 知り合った頃と全く変わらない、毛髪が死滅ハゲた頭に手をやりながらアルヴスさんが複雑そうに呟く。


「まさか、あの『炎鬼神』の旦那がこんなお嬢ちゃんになっちまうとはなぁ。こうして実際目にしても、いやはや信じられねえっていうか何ていうか……」


「ああ?何だお前、文句あんのか?」


 アルヴスさんの嘆きをこちらの文句と受け取った先輩が、不機嫌そうに顔を歪め真紅の瞳で睨みながら、彼に食ってかかる。


 ……しかし。口が裂けても到底言葉には出せないが、その迫力は皆無であり。睨みを利かせているその姿はむしろ可愛いらしく、そして微笑ましかった。


「い、いやいや文句だなんて滅相もありませんよ旦那」


 そしてそれはアルヴスさんも同じことらしく、口ではそう言いながら平謝りをしているが、その顔は心なしか半笑いのように見える。しかし、残念ながら先輩がそのことに気づくことはなかった。


「……なら、まあ別にいいけどよ」


 不服そうな表情を浮かべながらも、アルヴスさんの申し訳程度の謝罪を受け取って、そう言いながら大人しく引き退る先輩。その様子に僕は僅かに苦笑しながらも、わざわざこの店に訪れた理由を伝えるべく僕は口を開き、アルヴスさんに言った。


「実は今日、先輩の武器を調達しにここへ来たんですけど……アルヴスさんから見て、今の先輩でも上手く扱えそうな武器ってありますか?」


「今の旦那でも扱えそうな得物……得物、なあ」


 僕の要望を受け、アルヴスさんは何とも言えない微妙な表情を浮かべながらも、黙って先輩を頭の天辺から足の爪先までじっくりと、それこそ舐め回すように眺める。


 ──……ん?


 恐らく最初こそは歴とした武具商人として、僕の要望に見事応えようとしてくれていたのだろう。だが、アルヴスさんの視線は次第に先輩の露出された肌に集められ、それは生足や臍────そして今最も関係ないであろう先輩の胸へと注がれる。浮かべているその表情こそ真剣そのものであったが、嘆かわしいかつ腹立たしいことに、それは別の意味の真剣さなのだろう。


 普通ならばこんな無遠慮かつ思慮の欠けた野郎の視線を受けて、不快感を抱き抗議の声を上げない女性はいない……と、少なくとも僕は思う。


 けれど今現にその視線を受けている先輩は元男で、であるからしてそれに対して不快に思うこともなければ、抗議の声を上げることもない。


 そんな先輩の様子に僕は軽い頭痛を感じながらも、わざとらしく咳払いをした。


「アルヴスさん?」


 気持ち低めに、多少の威圧感を声に乗せて。僕は遠回しの注意として先輩の身体を熱心に眺めるアルヴスさんの名を呼ぶ。すると彼はハッとしながらも、慌ててようやっと先輩から視線を外して、僕にその顔を向けるのだった。


「お、おおっとすまんすまん。いや客から直々に要望を出された商売の手前、失敗する訳にはいかねえからな。くれぐれも見誤らない為にな。ガハハッ」


「……まあ、僕としては確かな武器を見繕ってもらえればそれでいいので、貴方のその姿勢についてはとやかく言うつもりはありませんけど。ええ、はい」


 どう聞いても言い訳としか思えないアルヴスさんの言葉を、僕は何とか好意的に捉えられるよう努力し、彼にそう言う。


 ……だが、やはり知らず知らずに態度に出ていたのだろう。少し気まずそうにしながらも、アルヴスさんはちょっと待ってほしいと断ってから、そそくさと奥の方に消えた。恐らく今の先輩でも扱えそうな武器を倉庫から取り出しに向かったのだろう。


「……クラハ。何でお前怒ってんだ?」


「え?あ、いや……き、気にしないでください。決して先輩に非がある訳ではないので」


「……じゃあ、まあいいか」


 僕の煮え切らない返事に対して、納得はしてくれなかったようだが、先輩はそう言い。それ以上の言及をすることはなかった。


 それから特に会話をすることもなく、僕と先輩が待つこと数十分後。大きめの皮布を抱えて、アルヴスさんが戻って来た。


「俺から見て、とりあえず扱えそうな得物は幾つか持ってきたぞ」


 言いながら、台の上に皮布を広げる。その中に包まれていたのは、彼の言葉通り鞘に収められた数本の短剣や、僕の得物である長剣ロングソードと短剣の中間と呼べる中型剣ミドルソードだった。


「切れ味はどれも同じみたいなモンだから、どれを買うのかは使い勝手で決めてくれ……と、言いたいとこだが。俺が薦めるとしたら無難に短剣だな。軽くて取り回しが利くし、何本か携帯すれば投擲武器にもなるしで、戦い易いと思うぜ」


 流石は武器防具を取り扱うだけあって、アルヴスさんの言葉は正しく、僕も頷かざるを得ない。確かに短剣であれば以前と同じような動きを先輩は取れる訳だし、いざとなれば遠距離攻撃の手段があるというのも大きい。そして何より、応用が利く。


 ……だが、しかし。


「…………」


 当の先輩は、皮布を下敷きに台の上に並べられたそれらの得物を、何とも言えない微妙な表情で眺めていた。


「先輩……?」


 その様子を訝しげに思いながら、僕が声をかけた瞬間。先輩は唐突に視線を上に移して、口を開いた。


「あれがいい」


 そう言いながら、先輩が指を差したのは────僕の得物と似た、一般的な鉄剣アイアンソードであった。


「「…………」」


 瞬間、沈黙に包まれる店内。数秒後、僕とアルヴスさんは無言で互いの顔を見合わせた。


 ──無理ですよね?


 ──無理だな。


 以心伝心。言葉に出さずとも、僕とアルヴスさんの意見は合致する。


 今の先輩に、あの鉄剣は持てない────けれど、その事実をはっきりと先輩へ告げる勇気を、生憎僕は持ち合わせていなかった。


 なるべく遠回しに、先輩を傷つけないように。僕は慎重に頭の中で言葉を選び、意を決して口を開いた。


「あの、先輩。そのですね、アルヴスさんは今の先輩が使っても充分戦えると判断して、これらの武器を持ってきてくれた訳で」


「けど、あっちの方が強そうだぞ?デカいし」


「い、いや先輩。武器の性能というのは何も大きさや見た目で決まるものではなくて。どんなに名のある一流の鍛冶師が打った武器でも、個人それぞれの使い勝手で大きく左右される……というか……」


 そこまで言って、僕は己が取り返しのつかないことをしでかしてしまったと自覚した。何故ならば、この僕の言い方では──────


「……へえ、なるほどな。クラハ、つまりはお前……俺にはあの剣は使い熟せねえって言いたい訳だ」


 ──────と、受け取られてしまうから。先程こうならないようにと、注意していたというのに。やはり弁の拙い僕には、荷が重い役回りだったということか。


「そっ、そういう、訳じゃ……」


 慌てて言い繕おうとしても、僕を見る先輩の眼差しは厳しい。


 ──くッ……!


 一体どうすればいいのかと、一体どの選択肢が正解なのかと僕は焦る。こうなってしまうのだったら、いっそのこと変に誤魔化さず正直にそうと伝えるんだった……。


 しかし。突如予想だにしない助け舟が僕に出された。


「……わかりやした。じゃあ旦那、こうしましょうぜ」


「ん?」


 僕と先輩のやり取りを傍観していたアルヴスさんが、唐突に口を開いたかと思えばそんなことを言い出す。そして彼は先輩が指差した鉄剣を手に取って、恐る恐ると先輩の眼前に差し出した。


「一度、持ってみてください。それで旦那が持つことができたら、文句も何も言わずお渡ししますよ。……無償タダで」


 それは、ある種の挑戦状のようなものだった。挑発と言ってもいい。アルヴスさんのまさかの提案に、先輩はむすっとした表情から一転、ニヤリと小悪魔めいた可愛らしい笑みを浮かべた。


「はっ、言ったなこの野郎。上等じゃねえか。後悔しても知らねえぞ?」


「男に二言はありません。旦那、さあどうぞ」


 アルヴスが差し出した鉄剣の柄を、先輩は自信満々に握り込んだ。


「ふん。こんなの楽勝楽しょ────


 ゴトンッ──そして、アルヴスから受け取ったその瞬間。鉄剣に引っ張られるようにして先輩の体勢が崩れた。


 ────…………」


 鉄剣の先端を床につけたまま、先輩は微動だにしない。


「……く、ぅぅ……ッ」


 ……いや、よく見れば、鉄剣を持ち上げようとその華奢な腕をぷるぷると健気に震わせていた。











「まあ、こうなるとはわかってたさ」


「……ええ、そうですね」


 そう言い合って、僕とアルヴスさんは互いに頷き合う。……僕がそうであるように、彼もまた罪悪感に苛まれていることだろう。


 結論を述べてしまうと、先輩はあの鉄剣を持ち上げることはできなかった。先輩自身、どうにかこうにか持ち上げようと数分間、粘りに粘っていたのだが……その頑張りが最後まで報われることはなく。全くと言っていい程に鞘に収められたままの鉄剣の先端が床を離れることはなかった。


 そうして結局、先輩は鉄剣を持ち上げられなかったのだ。そして先輩はというと凄まじい程にその機嫌を崩し、何も言わず店内に幾つか置いてある椅子に座り、顔を俯かせたまま、微動だにしなくなってしまった。


 慰めの声をかけようにも、今では逆効果でしかない。どうすることもできず、居た堪れない気分に陥る中、唐突に思い出したようにアルヴスさんが声を上げた。


「おっと。そういや、そうだった……よし、ウインドア。ちょっと待ってろ」


「え?あ、はい」


 一体何を思い出したというのか。アルヴスは僕にそう言って、再びカウンターの奥へ消える。


 そして数分後、彼はまたこの場に戻って来た。


「いや実はな、最近珍しいブツを仕入れたんだよ」


「珍しいブツ、ですか?」


「おう。それがこれなんだが」


 そう言いながら、アルヴスさんは手に持っていた拳大の包みを台の上に置き、それを開く。その中にあったのは────独特な光沢を放つ、鈍く重々しい鉄色の塊であった。

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