35.奪還作戦(5)

 姉が赤西竜也の肩に触れた瞬間だった。


「うぐっ、身体が……」


 赤西竜也の全身の動きが止まる。


 左腕を大きく振り抜いた状態で固まった。

 顔の筋肉も動かせないようで、驚きとあせりを浮かべたままの表情で沈黙してしまった。


「赤西!」

 身体を動かせない中沢美亜が声だけを上げる。


 姉は深く息を吐いた後、こちらを向いた。


「瑞樹、久しぶりね。こんなところで会うとは思わなかったわ」

 そして、悲しそうな顔をした。


 吸い込まれそうな瞳。

 夢にまで見た本物の姉の姿に、心臓がトクンと鳴る。


「姉さん……」


 加賀瑞樹は、姉に言いたいことや、訊きたいことがたくさんあった。

 でも、あまりにも多くありすぎて、何から言えば良いのかわからない。結局、何も言葉が出てこない。


 姉がゆっくりと歩いてくる。


「どうして、来ちゃったの?」

 憐れむような表情で姉が問いかける。


「もうすぐ、世界は滅びる。その時、どうせみんな死ぬの。なのに、残念ね……」


 落胆した声と蔑むような視線。


「ここに来なければ、幸せに死ぬことができたのに」


 その顔には、哀しみと憐れみが満ちていた。


 ―――姉さん、何を言ってるの?


 加賀瑞樹には、姉の言葉の意味が全く理解できなかった。

 約5年ぶりに再会した姉は、以前とは別人のようだった。


「あなたたちは、これが欲しかったんでしょ」

 姉は立ち止まると、軍服のポケットから小さな四角い機器を取り出した。


 それは、USBメモリだった。


「ACCの研究データ」


 その言葉で、加賀瑞樹は自分が研究データを取り戻しにきていたことを思い出した。


 姉は細い親指と人差し指でUSBメモリをつまみ、加賀瑞樹に見せつけるように掲げた。

「もう私たちには、これは必要ない」


「それじゃあ、返してくれる―――」

 加賀瑞樹の言葉をさえぎるように音が鳴った。


 パリン。


 USBメモリが、砕け散る。

 指の力だけで、押しつぶされてしまったのだ。


 その時、中沢美亜の声が聞こえた。

「小僧、逃げろ! もう作戦は失敗だ。加賀菜月は強すぎる」


「あらあら。まだ完全に固まりきってなかったの? ACCは、アビリティの効果に対する耐性が強いのかしら」

 姉が中沢美亜に視線をやり、首をかしげる。


 そして、姉は再び加賀瑞樹に冷たい視線を向けると、両手を前方に掲げながら唱えた。


「エアリアルソード」


 白い光とともに、姉の目の前に純白の剣が現れる。


 姉は、それを両手で握り、振りかぶる。


「瑞樹、さようなら」


 その姉の凍ったような眼光に、加賀瑞樹は思わず一歩後ずさった。

 頭の中には中沢美亜の『逃げろ』という言葉が響く。


 ―――逃げる? 失敗?


 昨日、船の中で中沢美亜がメンバー全員に向かって、「万が一、作戦が失敗した場合、自分の命を守ることを最優先にして脱出すること」と命令していた。


 自分の命が最優先。


 つまり、たとえ、仲間を見捨ててでも自分だけは助かろう、という意味だと思っていた。


 でも、それは違った。

 やっと今、わかった。


 もし自分が死んだとしても仲間にだけは生きて帰ってもらいたい、という中沢美亜の願いだったのだ。


 ―――美亜さんに言われた通り、今すぐ逃げようか?

 鴨野田さんは死んだ。拓さん、美亜さん、赤西さんですらも、やられてしまった。

 敵の本拠地の真っ只中にいる僕たちには、援軍なんてない。

 間違いなく、みんな殺される。

 もう作戦は失敗した。終わったんだ。

 せめて僕だけでも脱出して、みんなが殺されたことを伝えなきゃ。

 誰かが連絡しなければ、みんなの死が無駄になる。


 ―――だから、早く逃げなきゃ。みんなを見捨てて。


 あの日までの自分だったら、そう考えて逃げ出すだろう、と加賀瑞樹は思った。


 ―――初めてアビリティを使ったあの時、僕はみんなを見捨てようとした。

 でも、心が痛かった。苦しかった。涙があふれたんだ。

 そのあとも、ずっと後悔した。みんなを見捨てて逃げようとした自分が嫌だったんだ。


 そう。

 ずっと今まで、目の前の現実から目をそむけて逃げてきた。逃げ出してばっかりだった。

 人間関係からも。勉強からも。人生からも。

 そして、自分の本当の気持ちからも。


 ―――僕が一番嫌いなのは、逃げてばっかりの僕自身だ!


「もう、僕は逃げない! 姉さんを止める!」


 覚悟を決めた加賀瑞樹は叫んだ。


「静止のアビリティ発動! レオズシクル!」


 体中から漆黒の光があふれ、闇の大鎌が生まれる。


 加賀瑞樹は黒い光をまといながら会議用の机に飛び乗ると、そのままの勢いで宙に跳びあがり、姉を目がけて一直線に大鎌を振り下ろした。


 2つの刃が激しく衝突した。


 雷のような閃光が走り、衝撃波が光の後を追うように周囲に広がる。

 そして、建物全体が大きく揺れた。


 加賀瑞樹は、ぶつかった反動で1歩後方に下がったが、再び前に跳び、2撃目を撃ち込む。


 刃と刃が正面からぶつかり合い、力勝負になる。


「姉さん、なぜ家を出て行ったの?」

 加賀瑞樹は必死に大鎌を押しながら訊いた。


「瑞樹は、知らなくていいことだわ」

 姉が、じわじわと押し返す。


「僕は、姉さんのことが好きだった」

 加賀瑞樹は力一杯振り切り、姉を刃ごと押し飛ばす。

「ずっと一緒にいたかった」


 すぐに姉は体勢を整えると、再び、斬りかかってきた。

「私とは一緒にはいられない」


 加賀瑞樹は、その姉の刃を大鎌で受け止める。

「どうして?」


「私には、やらなければならないことがあるの。どうしても!」

 姉は重い一撃を浴びせてきた。


 加賀瑞樹は受け止めきれず、数メートル後方に吹き飛ばされる。

 ぶつかった会議用の椅子が散乱する。


 加賀瑞樹は、ひざをつきながらも、ゆっくりと立ち上がった。


 自分の手足を見ると、包んでいた黒い光が消えかかっていた。

 どうやら、そろそろエネルギー切れのようである。


 今日は、アビリティを使い過ぎてしまった。

 体力も精神力も疲弊してしまった今の状態では、これ以上、『静止のアビリティ』を継続するのは難しそうだった。


 ふっと、手に握っていた大鎌が消えた。


 前を見ると、姉が狂気じみた表情で1歩ずつ近づいてくる。


「私はね、ずっと良い姉を演じていたの」


「演じていた?」


「そう。瑞樹の前では、私は良い姉だったでしょ?」

 背筋が凍るほど、冷たく笑った。

「本当はね、あなたが邪魔だったの。ずっと、あなたの存在が邪魔だった。だから、私は家を出た」

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