第172話
翌日の昼休み。
セミの鳴き声が響き渡る中庭の隅で、修は平田からの報告を受けていた。
「やっぱり山下さんがいじめられてるのは確定だ。修が見たっていう悪口が書かれてるメモも事実だったし、昨日の朝登校したら上履きがなかったらしい。他にも文房具とか、いろいろなくなってるものもあるってさ」
平田が山下本人から聞き出したという情報を伝えられ、修は激しい怒りといじめの犯人に対する嫌悪感で胸がきゅっと締め付けられた。
「……それで、どうするつもりなんだ? 先生には言ったのか?」
窓枠にもたれかかって腕を組み、難しい顔をしている平田に修は尋ねた。
「いや、言ってない。山下さんがそれを望んでないからな」
「? どうして……」
「事を荒立てたくないってことらしい。このまま我慢していれば、いずれ向こうも飽きて何もしてこなくなるだろうって」
そう言って平田は重いため息を吐いた。
こういったことに詳しくない修でさえ、それは考えうる限りでもかなりの悪手であるとわかる。
「それは……あまりにも楽観的すぎるんじゃ……」
「ああ。犯人によっては、無抵抗なのをいいことに、もっとエスカレートする可能性だってある。本人にもそう言ったんだけど……。『大丈夫だから』の一点張りだった」
「山下さん、どんな感じだった?」
「ずっと笑ってたよ。気にしてないような感じでさ。でも、あれは確実にやせ我慢だよ……。あんなことされて、平気な人間なんていない」
「そう、だよな……」
修は悪口の書かれた紙切れを見つけた瞬間の山下の顔をはっきりと目撃している。
驚きで目を見張り、みるみる泣き出しそうな表情になりながら、逃げるように教室から出ていった。
本当に強い精神力を持っていて、まったく気にしていないなら、あのときあんな表情にはならなかっただろう。
今もきっと辛くて、苦しくて、心は深く傷ついているはずなのに、心配させまいと無理して笑顔を作っている。
「相手に心当たりは?」
「ないって言ってた。まぁ、人を疑うことを知らないような子だからな……。俺の方では一応、何人かに目星は付けてある。憶測でしかないけど、目を光らせてて損はないはずだ」
「そうか……。ちなみにそれって?」
そう尋ねると、平田はゆっくりと首を横に振った。
「お前は知らない方がいい。今言ったけど、あくまで憶測だし、容疑者に嗅ぎ回ってるのを気づかれたくないしな」
確かに名前を聞いてしまえば、修は今後その人物を怪しんで見てしまうだろう。
それで勘付かれてしまうといけないし、平田の憶測だけを根拠に犯人扱いしてしまうと、もし無関係ならば失礼な話どころではない。
「とりあえず報告はそれで終わり。俺は今後も山下さんの周りで怪しいやつがいないか見張っておく」
「わかった……。引き続き頼む」
本当はそんなふうに平田に丸投げはしたくなかったが、昨日部活に集中することを決めた。
修はそわそわする心を抑え、平田に軽く頭を下げた。
「ああ」
そう返事をした平田の声に、修は少しの違和感を覚えた。
いつもより暗くて固いような声。
表情も強張っており、顔色も少し悪い。
(……まぁ、こんな胸糞悪いことに関わってたら、さすがの平田でもそうなるか……)
自分も今似たような雰囲気になっているだろう。
そう納得して、修は平田との話し合いを終えた。
しかし翌日になった頃、平田の異変はさらに明らかになっていた。
顔色はさらに悪くなり、一瞬生気が抜け落ちてしまったかと思うほど青白い。
そしてそれとは正反対に、両目は赤く血走りギラついていた。
修は危機感を覚え、すぐ空き教室に平田を呼び出した。
「なんだよ。悪いけどまだ犯人の尻尾は掴めてねぇぞ。卑怯者のクソ共め。コソコソしやがって……!」
苛ついたように舌打ちをする平田の口調はいつもよりも数段荒々しい。
やはり様子が変だ。
「平田、お前大丈夫か?」
そう問う修に、平田は不機嫌そうに眉をひそめた。
「は? 何がだよ?」
「何がって……。顔色悪いし、すげぇイライラしてるし……。ちゃんと休めてないんじゃないか?」
「……別に、これくらいどうってことねぇよ。いじめを受けてる山下さんの苦しみに比べれば、屁でもねぇ」
平田は休めていないことを否定しなかった。
問題に入れ込むあまり、精神的に強いストレスを感じているのだろうか。
「昨日は、山下さんへの嫌がらせはあったのか?」
すると平田は苦虫を噛み潰したような顔になり、右手で乱暴に髪をかきむしる。
「あったよ。昨日の放課後、ずっと巡回してた。教室、ロッカー、下駄箱、自転車……考えられるとこ全部な。けど、ちょっと離れてた隙に、机に落書きがされてた。よく見ないと気づかねぇような小さい字でな」
平田はクソッと吐き捨てた後、拳を机に叩きつけた。
幸いその落書きはシャーペンで書かれていたので、平田がその場で消したらしい。
だがマークしなければいけない場所が多すぎる。
平田が一つの場所を見張っている間、他の場所は完全にフリーになってしまう。
犯人だって人目を盗んで行動しているはずなので、そのやり方では犯人側に分があるのは明白だ。
「やっぱ一人では限界があるって。先生に相談しよう。その方が絶対いいよ」
修がそう提案すると、平田は充血した目でギロリと睨んできた。
その迫力に、修は思わず怯んでしまう。
「山下さん本人がそれを望んでないのにか? そんなことしたら、彼女は余計に傷ついちまう」
「け、けど、今のやり方で山下さんを助けられるとは思えない!」
平田の迫力に圧されまいと、修は反射的に語気を強めた。
しかしその瞬間。
「うるせぇよ! 何もわかってねぇくせに口出ししてくんじゃねぇ!!」
聞いたことのないような大声で平田が叫んだ。
あまりの驚きに、修は体が硬直するのを感じた。
狭い教室内がしんと静まりかえる。
すると平田がハッとした表情になり、修から目を逸らす。
「ご、ごめん……言い過ぎ……た」
「い、いや……」
修はそれしか言葉を返せなかった。
それくらい平田が怒鳴ったことにショックを受けていた。
「今のは……俺が悪い。修は心配してくれてんのに……。マジでごめん……!」
平田は自らの行いを悔いるように顔を歪め、片手で頭を抱えた。
その姿がとても痛々しく見え、修は言いようのない不安に襲われる。
「平田……本当に大丈夫か? 今のお前は、ちょっと……普通じゃないように見える」
修の問いに平田はすぐには答えなかった。
数秒経ったあと、頭に当てていた腕をだらりと下げる。
平田は弱々しい笑みを浮かべていた。
「普通じゃない、か……」
そう呟く平田の笑みには一体どういった感情が込められているのか、修は理解することができず、ただ見つめることしかできなかった。
「……平田。この間『こういうのは慣れてる』って言ったよな。昔何かあったのか? その……いじめ関係のことで」
平田の笑みがふっと消えた。
俯いて床に視線を向けている平田の目は、焦点が合っていない。
「それは…………言えない。言いたくない」
平田の感情を無理やり押し殺したような無表情に、修の背筋に悪寒が走った。
彼の過去にあった出来事は、もしかするととてつもなく深刻なものだったのかもしれない。
「平田、俺は山下さんのことももちろん心配だけど、それ以上にお前が心配だよ。上手く言えないけど……なんか、このままお前が壊れちゃうんじゃないかって……そんなふうに思えて仕方がない」
平田はまた黙りこくってしまった。
眉間に力を込め、唇を噛み締めている。
やがて決心したような、はたまた諦めたような複雑な表情で、平田は修の方を見て、そして口を開いた。
「まだ、大丈夫だから。もう少し俺にやらせてくれ。頼む」
その頼み事を聴いて修は困ってしまった。
平田のことは心配で、止めなければならないと思っている。
しかし平田からはこの問題に対する強い意志のようなものも感じるため、彼を尊重してあげたいという気持ちもあった。
そして何より、修のことを救ってくれた平田の力を信じたいとも思った。
「……ヤバいと思ったらすぐに止めるからな。それで、先生にも話す」
観念したようにため息を吐いたあと、修は言った。
自分が平田のストッパーになればいい。
(俺が、絶対に平田に無理はさせない)
修は決意のこもった視線で平田を見つめた。
それを感じとったか否かはわからないが、平田は安心したような笑みを浮かべる。
「あぁ、それでいいよ」
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