第163話(おまけ)

「すごいね…………」


 試合が終了のブザーが鳴り終わった瞬間、隣から声が聞こえた。

 まるで無意識的に口から漏れてしまったかのようなその声に驚いて、広沢飛鳥はその声の主に顔を向ける。


 笹岡西高校三年、キャプテンの二木空。

 普段はいつも無邪気で、何をするにも楽しそうにニコニコ笑っている先輩が、潤んだ瞳でアリーナの栄城バスケ部を見つめていた。


「空さん……?」


 様子がおかしい空が心配になり、飛鳥はおそるおそる声をかけた。


「あの女の子が目立ってたけど、それを抜きにしても相手チームだって結構強いよね……。でも灯湖たち、対等以上にやり合ってた」


 空は飛鳥の心配に気づいていない様子で話を続ける。

 放心状態のようにも見えたが、ちゃんと会話ができるようなので少しだけ安堵しつつ、飛鳥は空の言葉に答えた。


「……そうですね。良い試合でした」


 その女の子――凛も後半は灯湖が抑え、たった一度だけだったが汐莉も上手く止める健闘を見せた。

 トータルで見ても、ライトニングの得意とするミドルシュートをフリーではほとんど撃たせず、オフェンスはインサイドを主軸とした堅実な攻めを徹底していた。


「灯湖たち、全国目指してるって言ってた。信じてなかったわけじゃないけど、今日の試合で伝わってきたよ。本気なんだ、って……」


 そう話す空の目からは、羨望のような感情が込もっているように見えた。


「……空さんも、あんなふうにやりたいですか?」


 だから反射的にそう尋ねてしまった。

 空の瞳が揺れ、表情の動きが一瞬止まる。

 しかしすぐにふにゃっと笑いこちらの方を見た。


「そ、そういうわけじゃないよっ。ただ、カッコいいなーって思っただけっ」


 いつものような元気な笑顔。

 だが、飛鳥にはその笑顔が本心を隠すためのものであるということはお見通しだった。


 空は確実に自分も栄城のように本気のバスケがやりたいと思っている。

 これはそういう目だ。

 二年以上部活でもプライベートでも共に過ごしていればそれくらいわかる。


(おバカそうに見えて、ちゃんと空気読んだりできるんだよね……)


 空が本心を打ち明けないのは、きっと後輩たちに気を遣っているからだろう。

 あるいは失ってしまうのを恐れているのか。


「空さんがそうしたいなら、私はその……つ、付いていきますよ」


 言っている途中で少しクサいセリフのような気がして、恥ずかしさからつっかえてしまった。

 空から目を逸らして一度咳払いをして仕切り直す。


「一年の子たちだって、空さんの勧誘で入ってくれたわけですし。多少のわがままなら聴いてくれると思いますよ。栄城みたいに全国~ってのは無理かもですけど、ベスト4目指して、とかなら……」

「……でも、付いてきてくれないかも」


 空がとても暗い声で言ったので、驚いて空の顔を見た。

 俯いていてよく見えなかったが、少し泣きそうな顔に見える。


(後者だったか……)


 飛鳥は一瞬昔のことを思い出す。

 まだ笹西バスケ部が同好会で、部員が二人しかいなかったときのことを。


「……そうかもしれません。でも昔の……と、あの子たちは違います。気持ちを伝えてみても良いと思いますけど」

「………………」


 空は俯いたまま黙ってしまった。

 きっと心の中で葛藤しているのだろう。

 その姿を見て胸にきゅっと締め付けられるような痛みが走った。


「……とりあえずこれだけは覚えておいてください。私は空さんに同好会に引っ張り込まれたときから、空さんとは一蓮托生だと思ってますから。私にはいつでもやりたいこと、言ってくださいよね」


 飛鳥は言っていてまた恥ずかしくなったが、顔を赤くしながらも今度は空から目を逸らさなかった。

 空がふと顔を上げこちらを見上げる。

 その表情は、まだ少しの恐れを感じるが、嬉しそうに微笑んでいた。


「……うん。ありがとっ」


 それを見た飛鳥は安心して頬を緩める。


「お二人さん」


 するといきなり背後から声をかけられ、驚いた二人は跳び上がってしまった。

 振り向くとめぐみが腰に手を当てて立っている。


「栄城のオフィシャル手伝ってあげるんでしょ? みんなもう行きましたよ」

「わあっ、ごめんっ! すぐ行くよっ」


 空はすぐに駆け足でスタンドから階段に向かっていった。

 少し不自然な態度なのは、今話していたことに関係が深い一年のめぐみがそばに来たからだろうか。


(いや、それよりも気になることがある)


 飛鳥はめぐみをじっと見据えて尋ねた。


「めぐみ、今の話聴いてたでしょ?」

「居間の話? とうとう二人で同棲でも始めるんですか!?」

「真面目に訊いてるんだけど」


 おちゃらけるめぐみに飛鳥は表情を崩さずに言った。

 雰囲気を感じとったのか、めぐみは真顔に戻ったあと、小さくため息を吐いた。


「だって、話しかけるタイミングがなかったんですもん。盗み聞きしようと思ってたわけじゃないですよ」

「別に聴いた聴かないで怒るつもりはないよ。ただ、聴いてたなら確認したいだけ。どう思う?」

「どう思う……とは?」

「空さんがもっと上を目指したバスケがやりたいって言ったら。めぐみは……めぐみたちはどう思う?」

「…………」


 めぐみはすぐには答えなかった。

 数秒間視線を下に泳がせ、考える素振りを見せる。


「……めぐみたちはって、私は私の考えしかわかりませんよ。他の子の意見はそれぞれに訊いてください。……ただ、私は……」


 そしてまた少し間を空けた。

 めぐみも普段おちゃらけているようで実は思慮深いというか、とにかくしっかりとした考えを持っている子だ。

 きっとまた色々と考えを巡らせているのだろう。

 そんなふうに思っていたら、急にニカッと笑顔になって言った。


「ま! 私は楽しけりゃなんでもいいですよ! 行きましょ。皆から文句言われちゃいます」


 そしてめぐみは飛鳥に背を向け階段に向かった。

 飛鳥は離れていく背中を見つめながら心の中で呟く。




(その『楽しい』が人によって違うから、苦しむ人だっているんだよ……)

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