第154話

 第二ピリオドが終わりハーフタイムとなった。

 スコアは30-38。

 インサイドで攻める作戦が功を奏してそこからの得点が増えたのだが、厳しいことに灯湖からの得点が0に抑えられてしまったため、総合的にこちらのスコアは伸びなかった。


 反対にライトニングは凛自身の得点と、凛がディフェンスを引き付けてからのキックアウトパスで、他の選手が得意のミドルを決めるといった連携からの得点を重ね、このピリオドだけで28点と大きくスコアを伸ばした。


 また、これで灯湖と凛の得点は5-21。

 この時点で既に覆すのが難しい差になってしまっていた。

 灯湖と凛の勝敗がそのままチームの勝敗になる、ということではもちろんない。

 しかしエース同士の戦いは、そう言っても過言ではないほどチームの勝敗に直結することが多々ある。


(どちらにせよこのままじゃまずい……)


 何も策を講じずに後半に入っても凛の勢いは止められない。

 それどころかさらにノってきてもおかしくはない。

 そう思った修はベンチに座る灯湖に声をかけようとした。


「渕上せんぱ……」


 その瞬間、修はハッと息を飲んだ。

 灯湖の全身から発せられる熱気が尋常ではない。


 20分もの間凛と直接対戦して肉体が悲鳴を上げているのだろうか。

 いや、それだけではない。

 今感じているこの熱は、体温という物理的な熱さだけではなく、灯湖が纏う特異な雰囲気によるものだ。


 他のメンバーも灯湖の異変に気づいたようで、視線が灯湖へと集中する。

 しかしその雰囲気に気圧されて誰も声をかけられなかった。


「……と、灯湖……?」


 口火を切ったのは晶だった。

 おそるおそる、心配そうな表情で灯湖を覗き込む。

 その声に灯湖は現実に引き戻されたようにハッとして顔を上げた。


「……どうしたんだ皆。そんなに目を丸くして」


 灯湖は何事もなかったように微笑んだ。

 しかし晶は表情を緩めずに重ねて尋ねる。


「大丈夫なの?」

「あぁ、大丈夫だよ。少し考え事をしていたんだ。すまない、後半の作戦の話だね。その前に、私の意見を言わせてもらってもいいかな」

「え? ええ、どうぞ」


 そして灯湖は表情を引き締め、じっと修を見つめて言った。


「後半もこのまま、私に相馬さんをマークさせてほしい」


 修は思わず目を見開き驚いた。

 灯湖は現実的な思考の持ち主だ。

 チームの得点差や、凛の攻撃は止められず灯湖の攻撃は抑えられているという事実、それらを理解していれば、灯湖の性格上作戦変更を申し出る可能性の方が高いと思っていた。

 しかし実際に灯湖が口にしたのは、修の想定と正反対の言葉だった。


 灯湖にやる気があるのは良いことである。

 だがこの判断はタイミングを見誤れば敗北に直結する重要なものだ。

 修はチームの指揮を執る者として、厳しい現実を突きつける。


「……正直俺は、後半はディフェンスを変えようと思ってました。相馬さんの得点は総得点の半分以上、相馬さんが絡んだ得点なら8割を越えます。結論を言えば、相馬さんにやられすぎです」

「あぁ、その通りだ。ひしひしと実感しているよ」


 しかし灯湖は苛立つ様子も気落ちする様子もなく、しっかりと修を見据えて頷いた。


「相馬さんを止められなければ負けるんです。俺は凪先輩を相馬さんのマークにして、全員今よりも一歩速く、相馬さんのカバーディフェンスに入れるポジショニングをするべきだと思います」

「うん。前半の出来を見ればそれが最善だと考えるのは道理だ」


 妙に落ち着いている灯湖に、修は違和感を覚える。

 灯湖程のプレーヤーなら、今チームが置かれている状況がわかっていないはずがない。


「それならなぜ、そんなことを言うんですか? 勝算でもあるって言うんですか?」


 修は声に少しの苛立ちを込めて尋ねた。


「いや、勝算と呼べるようなものはないよ」

「だったら……」


 なぜ、という言葉を言おうとしたとき、灯湖がそれを遮った。


「だけどね。私にだって意地はある」


 そう言った灯湖は依然微笑みを浮かべている。

 だがその笑みからは、何か得体の知れない凄みのようなものを感じた。

 言葉を詰まらせた修に対して灯湖は続ける。


「凪にキャプテンを変わってもらうというお願いをしたとき、私はこう言った。私は真のエースを目指す、そしてそれまで放棄していた責任をプレーで返す、と」


 もちろん修もはっきり覚えている。

 体育館のステージ横で、修と凪、晶を集めて灯湖が宣言した言葉だ。


「まだまだ何も返せていないどころかスタートラインに立ったばかりだ。なのに、いきなり完膚なきまでにやられてしまっている。しかも二つも年下の一年生にだ。自分に対して怒りを感じているよ。はらわたが煮えくり返る程にね」

「!」


 そこで修は気づいた。

 灯湖は落ち着いた表情で喋っているが、腿の上に置かれた両手は固く握り締められ、小さく震えている。


 そしてさらに理解した。

 灯湖のこの妙な雰囲気は、自分の内から湧き上がってくる感情を必死に留めている、その漏出なのだ。


「エースとして、このまま引き下がる訳にはいかないんだ」


 そして灯湖はすっと微笑みを解き、真剣な表情になる。


「君もさっき言っていただろう。私に勝ってもらう必要があると。私だってそう思っている。チームとしても、私個人としても、この先へ進むためには、勝たなければならないんだ。頼む永瀬君、私にやらせてくれ」


 誰から見ても強い意志が宿っているとわかる声で、目で、灯湖は言った。

 修はその視線に射抜かれ、一瞬言葉が出なくなる。


 灯湖が言っているのはすべて精神論だ。

 修もそういうのは好きだし、むしろ勝つために必要な要素だと思っている。

 だが今の状況では精神論では覆る可能性が低い。


 今、勝つために必要なのは現実的な作戦だ。

 修はそう理解しているはずだった。

 だが。


(弱いんだよな……そういう目に)


 思い出すのは、幾度も修の心を動かした、ある少女の瞳。

 答えを求めるように修を見つめるメンバーの中には、その少女の視線も混じっている。


「……わかりました」


 修は観念したようにため息をついた。


「後半もこのまま渕上先輩に任せます」


 それを聴いた灯湖はくいっと口角を上げる。


「ありがとう」


 そう言う灯湖の表情は、「何かやってくれるはずだ」と修に期待感を抱かせるものだった。


 そして灯湖は「集中させてほしい」と言って目を閉じ、瞑想のようなものを始めた。

 その間に修は他のメンバーに細かい修正や指示を伝える。


「試合前に相手に合わせるとか言って速攻を禁じましたが、もうそんなこと言ってられる状況じゃなくなったので解禁します。相馬さんは渕上先輩が抑えてくれるので、皆さんはひたすら点をとってください。細かいところで言えば……」







 やがてハーフタイム終了を告げるブザーが鳴り響いた。

 体を休めていたメンバーたちはそれを聞いて立ち上がる。

 しかし灯湖はまだ目をつぶって座ったままだ。


「灯湖! 始まるよ!」


 晶が声をかけてようやく灯湖ははっと目を開き立ち上がった。


「あんた、大丈夫なの?」


 凪が眉間に皺を寄せて心配そうに尋ねる。


「あぁ。大丈夫だ」


 短い返答だったがそれを聴いた凪は


「……そう。ならいきましょう」


 と、表情を緩めてコートに入っていった。

 他の者もそれに続く。


 細かな指示は与えたとは言え、根本的な作戦は前半から変わらず継続である。

 本来ならコーチとして何か打開策を講じなければならないはずだったが、結局灯湖を信じて任せるだけになってしまった。


 コートに入っていく五人の後ろ姿を、修は難しい表情で見つめる。

 すると隣に座っていた汐莉が修のTシャツの裾をくいくいっと引っ張った。


「大丈夫だよ永瀬くん。灯湖先輩、さっきはああ言ってたけど、多分勝算があるんだと思う」


 と、汐莉は自分のことのように自信満々な表情で言った。


「なんでそう思うんだ?」

「見て」


 そう言って汐莉はスコアシートを差し出してきた。

 この試合の得点やファウルなどを細かく記した記録用紙だ。

 ベンチメンバーである一年生三人で交代しながら書いていたものである。

 修はそれを受け取って目を通した。


「ポイントのところ。最後の方、凛ちゃんの得点が止まってる」

「え?」


 修は慌ててポイントの欄に視線を移す。

 そこには誰が何点のシュートを決めたのかがナンバーで記入されているのだが、汐莉の言う通り第二ピリオドの終盤、凛のナンバーは記入されていない。


「私見てたんだけど、終わりの3分間、凛ちゃんが絡んだ得点はあるけど、凛ちゃんが直接決めた得点はないんだ」

「!」


 修は自分の把握していなかった情報に驚いた。

 凛のペネトレイトを起点に他のメンバーにシュートを決められていたので、凛に良いようにやられていると思っていた。


(……凛ちゃんは自分でいけるときはパスを出さない)


 もしそれが、凛がだとしたら。


(凛ちゃんが攻めあぐねてる……? 渕上先輩のディフェンスを突破できなくなってるのか……!?)

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