第139話

「本当にすみませんでした!!」


 勢いよく深々と頭を下げる優理に、皆それぞれ違った表情を浮かべた。

 ほっとした顔、呆れた顔、嬉しそうな顔や、それらが混ざったような複雑な表情の者もいる。


 そんな中、キリッとした厳しい表情を崩さない凪が「ほんとに大丈夫なの?」とでも言いたそうに、ちらりと修に目線を送ってきた。


「伊藤さんはもう大丈夫です。皆に心配をかけたこと、すごく反省してるみたいですし」


 その問いに答えるように、修は顧問と部員たちに向け、確信を持って宣言した。


「ちょっと精神的に不安になって、取り乱してしまいました……。でも、もう大丈夫です! サボった分は頑張って取り返すので、もう一度練習に参加させてください」


 優理は頭を下げたまま、大きな声で懇願する。

 その体は少しだけ震えているように見えた。

 実は皆の前に戻る直前、優理はとても不安になっていた。

 あんな形で一度出ていってしまったのだから無理はない。


 修はそんな優理に「心を込めて勢いで謝ろう。フォローはするから」と背中を押したのだが……。

 きっと今、優理は怖くて皆の顔が見られないのだろう。

 だからずっと頭を下げたままなのだ。


 その優理のつむじをじっと見つめていた凪が、肩をすくめてふっと微笑んだ。


「伊藤。顔を上げて?」


 優理は一瞬ぴくっと反応したあと、おそるおそる顔を上げる。

 その表情は少し青ざめており、口を真一文字に固く結んでいた。


「反省は充分伝わったわ。次のメニューからまた入りなさい」

「! ありがとうございます!」


 安心で優理の頬が緩んだ。

 他の部員の表情を窺うと、皆一様にあたたかな表情で迎えてくれるようだったので修もほっと息を吐いた。


「では、一分後に次のメニューに移りますね」


 修はそう言ってタイマーをセットしにいく。


(ふぅ、なんとか一件落着だな……)


 パネルを操作し終えた修は、なんとなく皆の様子を眺めた。


「二人とも、ごめんなさいね」

「ぜんぜん気にしてないよっ! 優理が元気になって良かったねっ!」

「まぁ、そもそもうちは既に一年が迷惑かけてるんで……」


 凪はキャプテンとして後輩のことを空と飛鳥に謝罪していた。


「いやぁ、一時はどうなることかと思ったっすよ~」

「無理ないよ! 練習めっちゃキツいもん! 実はあたしも脚ガックガクでさぁ。凪と永瀬、ありゃ鬼だよ」

「晶、練習メニュー作りは一応私も入っていたんだが」

「あぇ!? そうだったっけ……」

「良かったね、涼」

「別に……戻ってきて、当然……だし」

「頬緩んでるけど?」

「……菜々美、うるさい」


 栄城の部員は優理の元に集まってわいわい盛り上がっていた。

 きっと優理が気負わずに練習に戻れるようにしてくれているのだろう。

 優理も嬉しそうだ。


 するとその中で一緒に笑っていた汐莉と目が合った。

 汐莉は反射的に目を逸らすが、少し間を開けたあと再びこちらに視線を戻し、そしてつかつかと歩み寄って来る。


「ど、どうしたの?」

「ウリちゃん、あんなに取り乱してたのに、すっかり元気になってるね」

「あ、あぁ」

「永瀬くん、ウリちゃんになんて声かけたの?」


 そう尋ねる汐莉の表情からはどうにも思考が読み辛い。

 まるで自分で無理やり心情を面に出さないようにしているようだ。


「大したことは言ってないよ。伊藤さん、ちょっと動揺してただけみたいだったから、すんなり自分で立ち直ったよ」


 別に格好つけてはぐらかしているわけではない。

 自分からべらべら喋るようなことではないし、実際優理が立ち直ったのは優理自身の気持ちの部分に寄るところが大きいだろう。


 しかし汐莉は納得いかないといったような顔でじっと見つめてきたので、修はたじろいでしまった。


「え、な、何……?」

「……ううん、なんでもない。でも」


 汐莉が何かを呟くと同時にタイマーのブザーが大きく鳴り響いた。


「え?」


 聞き返したが汐莉はそれ以上何も言わずに修の元を離れていく。

 修は動揺して次の練習メニューの指示も忘れて立ち尽くした。

 はっきりとは聞こえなかったが、汐莉は今こう言ったはずだ。


「ありがとう」と。







 昼食後の自由時間、修は凪に呼び出された。


「一応キャプテンとして知っておかなくちゃ」


 と、優理とのやりとりを詳しく尋ねられたので、修はその内容を洗いざらい話す。

 その間凪は黙ったまま神妙な面持ちで聴いていたが、修が話し終えると肩を落として短いため息を吐いた。


「全然気付かなかったわ……。キャプテン失格ね……」

「いえ、俺もずっと見てたのに気付きませんでしたし、仕方ありませんよ」

「自分では結構やれてるつもりだったんだけど、意外に余裕なかったのかも。あんたには負担をかけたわね、ごめんなさい」


 部員の異変を感じ取れなかったこと、その対応を後輩にやらせたことに責任を感じているのか、凪は少し落ち込んでいるように見えた。


「いえいえそんな。今回はタイミング的に俺が動いただけなので……。今後もこんな感じで、動ける方が動いてお互いフォローしていきましょう」

「うん……。ありがと」


 そう言って凪は力なく微笑んだ。

 合宿も残すところ今日の午後練習と明日のみとなり、さすがの凪も疲労の色が見える。

 それは恐らく体力的な部分だけではなく、キャプテンの責務を果たしていることによる精神的なものも大きいだろう。


「凪先輩……大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫よ。それにしても、こう立て続けに退部の話が出るなんて……。まぁその内の一つは私なんだけど」


 凪はバツが悪そうに頭を掻いた。


「どこにでもある話ですよ。それに、それでも誰も辞めてません。こういうのを乗り越えて、チームは強くなっていくんだって、俺は思います」


 そう、これまで色々と問題は発生しているが、メンバーは誰一人減っていない。

 それどころか、こういったことが起きる度にチームの団結力はより強固になっていっているようにも感じられる。


「……そうね。ちょっと弱気になってた。気合い入れ直さなきゃ! あんたも、とりあえずあと二日、よろしく頼むわよ」


 凪が拳を突き出してきたので修はそれに自分の拳をこつんとぶつけた。

 凪が去ったあと、修はその場に佇んで考えた。


 合宿は残り二日、そしてその後には交流大会に参加する。

 その試合で、どうにか合宿の成果を部員たちに感じ取ってもらいたい。

 そのために自分にできること、やらねばならないことは何か。


「……俺も気合い入れなきゃ」

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