第95話

 翌朝、修はスマホのアラームで目が覚めた。


(もう起きる時間か……)


 昨日は思いもよらないことが起き、そのことが頭を支配していて寝付くまでにかなり時間がかかってしまった。

 そのせいでいつもより睡眠時間が短くなり、頭はぼーっとしているしまぶたも重い。


 普段は早朝に行っているランニングは昨晩済ませていた。

 走っていれば無心になれるかもと思って前倒したのだが、まったく意味はなさなかった。


 修は体を起こした後まぶたを少し強めにこすり、無理やり目を開いて覚醒を促す。

 窓から差し込む光が目を照らしてくれるおかげで少しずつ目が覚めていくが、相変わらず頭は冴えない。


 しかし修はそんな冴えない頭で昨日のことを思い出した。

 別に自ら思い起こしたわけではない。あれほど衝撃的なことが起これば自発的にそうなるのは仕方がないことだ。


(告白……されたんだよな……。凪先輩に……)


 花火に横顔を照らされながら凪は修のことが好きだと言った。

 その時の凪の顔が頭の中に浮かび上がると、修の顔はみるみる赤くなっていった。


 女子に告白されたのは初めてではなかったが、その時はここまで動揺はしなかった。

 告白されたことが嬉しくて、考えなしに了承して付き合い始めたが、男女の付き合いをよく理解していなかった修は彼女を放っておいてバスケばかりしていたので、愛想を尽かされてフラれてしまった。

 フラれた時だって特に大きなショックはなく、ちょっと残念だな、程度にしか思わなかった。


 しかし今回は違う。

 どんなに頭を働かせようとしても上手く思考が回らない。

 どうすればいいのかわからないのだ。


 唯一の救いは凪が返事はしなくていいと言ったことだ。

 だから告白を受けるとか断るとか、そういったことはまだ考えなくていい。

 しかしそれにしたって、これからも毎日のように部活で顔を合わせるのに、どのような態度で接すればいいのか。


 修は頭を抱えて唸った。


(こんなに悩むなんて、もしかして俺は凪先輩のことを……?)


 自分の気持ちがわからない。

 修は恋愛事から目を背けてきた中学時代の自分を恨んだ。







「あら、おはよう永瀬」

「お、おはようございます……」


 修は盛大にうろたえた。

 登校して体育館に入り、更衣室で着替え終えて廊下に出ると、その場でばったり凪と出会ったからだ。


 同じ部の一員なのだからどのみちすぐに会うことになることはわかっていたが、まさかこのタイミングで鉢合わせると思っていなかった。

 心臓の鼓動が速くなり、修は露骨に凪から視線を逸らしてしまう。


「ねぇ、昨日のことだけど」


 すると凪の方から例の話題を切り出してきたため、修はさらにうろたえゴクリと唾を飲み込んだ。


「別に気にしなくていいから。あんたは普段通りいてくれていいのよ」


 凪は修と違って動揺の色は見えない。

 本当に昨日告白してきたのはこの人なのだろうかと思ったが、今話している内容的にそれは間違いない。


「そ、そんなこと言われても……」


 仮に恋愛経験がそれなりにある男子高校生なら、自分に告白してきた女の子を前にして、普段通りにするなどできるものなのだろうか。


 少なくとも今の修には不可能だった。


「……っか………………だ……」

「え?」


 凪が何やら呟いたが、修にはなんと言ったのかわからなかった。

 そっと凪の様子を窺うと、こころなしか嬉しそうな顔にも見える。


「とにかく! 本当に気にしなくていいから!」


 修の視線に気付いた凪は、はっとして軽く咳払いをした。


「あんたが答えを出す気になった時か、私の我慢が限界になった時に返事をくれればいいわ。だから、いつも通り。ほら、そんなんだと他の皆に変に思われるわよ!」


 そう言って凪は修の背中を平手で叩いた。

 確かに、部員に変に勘ぐられると練習にも支障が出るかもしれない。

 特に優理はこういった恋愛ゴシップが好きそうなので、バレると面倒なことになりそうだ。


「……はい。努力してみます」


 そう簡単には切り替えられないが、気合いを入れてなんとか平静でいようと修は決心した。


「私も努力するわ。……その、あんたに好きになってもらえるように」


 そう言って凪はフロアに向かって早足で去っていった。

 修は凪の不意討ちに顔が真っ赤になってしまう。

 今したばかりの決心を早速揺るがされ、修はこれから大丈夫だろうかと不安になった。


 その後ぎこちないながらもなんとか平静を装い、いつものように練習が始まった。

 修がコーチに就任してから既に一週間が経つ。

 練習内容に変化はないが、ペースや強度は少しずつ上げているため、新メニュー変更当初と比べて部員たちの余裕はだんだんとなくなっていっていた。


「次、三往復ダッシュいきます! ターンの時にしっかり声を出してください!」


 部員たちはコートの端に並び、修の笛の合図で凪と汐莉がスタートする。

 コートを縦に文字通り三往復全力でダッシュするこのメニューは、ミニバスケットからプロに至るまで取り入れられることの多いメジャーなものだ。


 とてもシンプルで分かりやすいが、足腰や心肺の疲労が急激にやってくるため、このメニューが好きだという人は少ないだろう。

 しかし攻守の切り替えが激しいバスケットボールにおいて、どれだけの間全力で走れるか、という点はかなり重要であるため、キツくてもこの練習をする意味は大きい。


「走っていない人は俯かないで! 顔を上げて走っている人にエール!」

「ファイトー!」

「スピード出てます! ナイスラン!」


 修の指示で部員たちは思い出したかのように声を出し始める。

 三往復全力ダッシュをメニューに入れた時から言っていることだが、まだ部員たちには染み付いていないようだ。


 修は練習中、声を出すことをとても重要視していた。

 理由の一つは、練習を盛り上げて楽しく消化できるようにするためだ。

 暗い雰囲気の中やると疲労感だけが溜まっていき、練習効率が下がってしまう。


 そしてもう一つは、試合でも常に声を出す意識を持たせるためだ。

 バスケはオフェンスでもディフェンスでも、チーム間の声かけが大事なスポーツだ。


 相手の位置を知らせたり、自分のノーマークをアピールしたりと、声を出すべきシーンは多々ある。

 しかしそういった声は練習中から出す癖をつけないと試合で出すことなどできないのだ。


「さぁ、ラスト一本です!」

「ラストぉ!」

「ラストです!」


 5セット目の最終組である晶、優理、星羅がスタートする。

 この三人はスタミナ、スピード共にチームのワースト3だ。

 三往復を5セットもやれば他の五人もさすがに疲れの色が見えるが、この三人は見るからにへろへろだ。


「大山! 一年に負けてるわよ! 根性見せなさい!」

「頑張れ晶!」


 凪と灯湖のエールを受け、晶は顔を歪めながらもスピードを上げた。

 そしてそのままトップでゴールすると、膝に手をつき激しい呼吸を繰り返した。


「全員ナイスランです! そのまますぐにフリースロー三本! ペナルティダッシュは×かけるニ本です!」


 ダッシュ終了も束の間、修がコートにボールを投げ入れる。

 それを受け取った部員たちは二つのゴールに別れフリースローを始めた。

 三本撃って外した本数×二本の往復ダッシュがペナルティとして課せられる。


 ダッシュのあと疲れた状態でフリースローを撃たされる上に、外せばまた走らなければならない。

 皆ペナルティは御免だとばかりに集中してシュートを撃った。


 今回の結果は三本すべて決めたのは灯湖、涼、汐莉。二本決めたのは凪、菜々美、星羅。そして晶と優理は一本だった。


「はいすぐにダッシュしますよ! 位置についてください!」


 ペナルティとして定められた本数を皆が走る。

 晶と優理は他の者たちより多く走っているため、最後の方はもはやダッシュと呼べるスピードではなかった。


「二分休憩です! 水分補給はしっかり行ってください!」


 ほぼ全員が肩で息をしながら、安堵の表情でコートサイドに集まってきた。


「ふぅ、ふぅ、やっぱ、キツいっすね……」

「わたし、なんか、フリース、ロー、はぁ、一本しか、入らなかったから、最悪だよぉ……」


 星羅と優理が息も絶え絶えになりながら弱音を吐いていた。

 体力があまりない二人にとって今の練習はかなりキツいだろう。

 しかしまだ序の口だ。これからもっと大変になっていく。


 ペースをあげていくことも大事だが、二人が折れてしまわないよう注意を払わなければならない。

 脱落者が出てしまうようでは本末転倒だ。


「二人ともお疲れ。キツいながらも最後までしっかり走れてるし、よく頑張ってるよ」


 修は団扇で二人を扇ぎながら優しく声をかけた。


「そうっすかね……」

「最後なんてほとんど歩いてるのと同じだったよぉ……」

「確かにスピードはかなり落ちてたけど、ちゃんと走ってたよ。それに、慣れないうちは大体あんなもんだよ。才木先輩や白石先輩だってキツそうだし」


 二人のモチベーションを下げないよう言葉を選ぶ。


「体調が悪かったり、どこか痛めたと思ったらすぐに言ってね」

「うん、ありがとぉ~」

「今のところは、なんとか大丈夫っす」


 二人は大丈夫そうだ。意外と根性はあるのかもしれないと安心して二人から離れた。

 まだ練習は序盤だ。適度に休みを入れながらもしっかり基礎と体力をつけられるよう、気を配らなければいけない。


 そして気を配らなければいけないことはまだある。

 修は雑談している灯湖と晶に視線を向けた。


 恐らく弱音を吐いているのであろう晶に、灯湖がクールに微笑みながら言葉をかけている。

 今のところ二人からの文句や反発はなく、真面目に練習に参加してくれている。


 もしかしたら意外とすんなりいくのではないかという希望が生まれたが、同時に焦って反感を買うといけないという思いが湧き、修は慎重にならざるを得なかった。


 その考えを引き裂くようにタイマーのブザーが鳴る。

 修は慌てて自分の仕事に戻った。

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