第93話

 そのあとは型抜きをしたり、射的をしたりとゲームで遊んで盛り上がった。

 メインステージでのお笑いライブはテレビでの露出は少ないが、実力派の芸人が招待されており、生で見る迫真の漫才で二人はお腹を抱えて笑った。


 修はいつの間にか汐莉と寺島が一緒にいたことなどすっかり忘れていた。

 そしてそうこうしている間に時間は過ぎ、だんだんと日も落ちてきた頃。


「ふぅ~疲れたわね。何か買って静かな所で休みましょう」


 凪がそう言うのでたこ焼きなどの食べ物を少し買って、腰を落ち着かせられる場所を探した。

 会場周辺の座れる場所はどうしても人が多く騒がしい。

 すると凪が


「良いところがあるわ。ちょっと歩くけどいい?」


 と言うので修は了承し、凪の案内でその場所に向かった。

 10分も満たない時間でたどり着いたのは、会場から少し離れた場所にある小さな神社だ。

 人の姿は見当たらず、ひぐらしの鳴き声だけが木霊している。


「ちょっと待ってね」


 凪は巾着を開いて中から虫除けスプレーを取り出した。


「蚊がいっぱい飛んでるでしょうから、かけてあげる」

「じゃあ、お願いします」


 修は腕や首回りなど肌の露出している部分にスプレーをかけてもらう。

 しかしこんなものを持ち歩いているなんて、やけに準備がいい。

 もしかすると最初からここに来ることは予定の内だったのだろうか。


「私の首にもかけてもらえる?」

「いいですよ」


 凪からスプレーを受け取って後ろから首に向けてスプレーを構えた。

 すると凪のうなじが目に入り、修はドキッとしてしまう。


 凪は普段は髪を下ろしているし、部活中も二つ結びのおさげなのでうなじが見える機会がない。

 普段隠れているその場所は他にも増して色白で美しく、強い女性らしさを感じられた。


「どうしたの?」


 凪の声にハッとして、修は慌てながらも丁寧にスプレーをかけた。


「ありがと」


 凪が振り返り手を差し出した。

 修はドキドキが収まらず、凪の顔を上手く見られないので、目を逸らしてスプレーを返した。


「じゃ、座って食べましょうか」


 凪に導かれて境内の片隅にある木造のベンチに並んで座った。

 買っておいたたこ焼きと焼きそばを取り出し、たこ焼きの方を凪に渡す。


 凪は早速パックを開き、つまようじを使って一口で丸々一個を頬張った。

 修は焼きそばを口に運びながらそれを見ていたが、心なしか凪の目がキラキラしているようにも見える。


 たこ焼き好きなんですか、と訊こうと思ったところで思い出した。

 確か凪の家は母親の作る料理が薄味なので、たまに食べる濃い味のものが好きなのだと言っていた。


「美味しいですか?」

「ええ。歩いてる間に冷めちゃったけど、それでも充分美味しいわ。当たりの屋台だったみたい」


 凪は上機嫌に笑った。そして


「あんたも食べる?」


 と言ってたこ焼きを一つつまようじに刺したまま口元に近付けてきたので修はうろたえてしまった。


(これは……いわゆる「あ~ん」というやつでは!?)


 恋愛に疎い修でもそういうシチュエーションがあることは知っていた。

 そしてそれは世の男たちの憧れであることも。

 それを聞いたときはまったく興味が沸かなかったが、実際にその場面に会ってみて、その破壊力を知ることとなった。


 修の心拍数が高まっていく。

 しかし凪には修が思っているような他意はないだろう。

 先輩が自分のために差し出してくれているのだから、食べないのは失礼だ。


 修はそう自分に言い聞かせ、何も気にしてない風を装いたこ焼きに噛みついて、すぐにつまようじから引き抜いた。

 そんな修の姿を見て、凪がふふっと笑う。


「どうしたの? 顔が真っ赤よ?」

「べ、別に……。夏だし、暑いだけです」


 修は必死に照れ隠しをしたが、凪はどこか余裕のある様子だったので、何故か悔しく感じた。


「ちょっと、あんただけずるいわよ。私にも焼きそばちょうだい」


 凪が意地悪な笑みを浮かべながら言った。

 これはもしかして、同じ事をしろということなのだろうか。

 修は一瞬迷ったが、そんなこと恥ずかしくて耐えられそうにない上に、もし勘違いだったら大恥どころではない。


 修は普通にパックごと差し出した。


「どうぞ」

「……ありがと」


 凪は表情こそあまり変えなかったが、どこか不満げなようにも見えた。


「うーん、これはいまいちね」


 凪は焼きそばを一口食べて呟いた。

 このとき凪は修の使っていた箸で食べたので間接キスになっていたのだが、修はそれどころではなくまったく気付かなかった。


「ねぇ、楽しかった?」

「え?」


 買ってきていたものを食べ終わり、一息ついたときに凪が唐突に尋ねてきた。


「お祭り。楽しかった?」


 重ねて尋ねる凪の横顔は、少し不安そうだった。


「……楽しかったです。すごく」


 修は偽りのない本心を返した。

 すると凪は心から安堵したような顔になり、胸を押さえた。


「良かった……。あんた、今日最初に会ったとき元気なかったじゃない? もしかしたら、私に誘われたことが迷惑だったんじゃないか、って思ってたの」


 修はその言葉にはっとした。

 凪は最初からずっと不安を抱えたまま気丈に振る舞っていたのだ。

 修は先輩に気を遣わせてしまったことへの罪悪感で胸が痛くなった。


「あの時はすみません……。でも、元気がないように見えたのは先輩に誘われたことが迷惑だったからなんかじゃないです! その……う、嬉しかったです! 誘ってくれて」


 これも決して凪を立てるための言葉ではなく本心だ。

 元々あまり花火大会に興味がなかったが、凪からの誘いを受けた時は胸が高揚した。


「そう……なんだ。良かった…………。私も、来てくれて嬉しかった」


 顔を綻ばせて笑う凪の姿に、またもや修の心臓は跳ね上がる。

 元々凪の容姿は整っていて可愛いと思っていた。

 しかしいつもと違う髪型、普段見ることのない浴衣姿の凪は、より一層可愛く、さらに美しさも兼ね備えた女性としての魅力に溢れていた。


(こんな人とずっと隣で、歩いていたのか……)


 修は思わず息をするのも忘れて凪の姿に見とれてしまった。


「どうしたのよ、ぼーっとして」

「! い、いえ!」


 凪の声で修は我に帰った。

 凪に見とれていたなど恥ずかしくて言えるわけがない。

 修はごまかそうと何か別のことを言おうとした。しかしそこでふと思い留まる。


 今日は自分のせいで凪に余計な気を揉ませてしまった。

 それなのに自分は恥ずかしいからといって本心を言わずに、また凪を不安にさせるのか。


 女性に対しての気の利いたことを言える自信はないが、先輩に対してと思えば自分にもできるはずだ。

 修は自分にそう言い聞かせて凪の瞳を見据えた。


「あの、え、えーと……、凪先輩、その……。ゆ、浴衣、とっても似合ってます」


 しどろもどろになりながらも、修は凪に本心を伝えた。

 凪は一瞬きょとんとしたが、修が言ったことの意味を理解したのか、みるみる顔が赤くなっていく。


「そ、そう……? どんな風に……?」

「えっ!」


 もじもじしながら凪が問いかけてきた。

 しかしどんな風にという質問はいまいちどう答えていいのかわからない。

 答えになるかどうかわからないが、修は勢いで答えてみることにした。


「か、かわいくて、きれいで……その、すごくいいと思います……」

「へ、へぇ~、そうなんだ……。ありがと……」


 修の精一杯の言葉に、凪は照れ臭そうに笑った。

 言った修も顔から火がでそうな程火照っている。


 するとそのタイミングでドン!と低い音が空から鳴り響いた。

 しかもそれは一度ではなく、その後何度も続く。


 二人はその方向に視線を上げた。

 そこには色とりどりの光が花のように広がっては消えていく。

 花火が始まったのだ。


 二人並んで空に打ち上がる花火を眺めた。

 色や形、火花の散り方などそれぞれ違った多種多様な花火が夜空で次々に咲き誇る。


「綺麗……」

「そうですね……」


 昨今では打ち上げ花火が上がる光景はあまり珍しくもなく、これまでも幾度も見る機会はあった。

 しかし、今日の花火に関してはいつもと明らかに景色が違って見えた。


「あの、今日はどうして俺を誘ってくれたんですか?」


 修は花火を見上げたまま、なんとなく気になっていたことを尋ねてみることにした。


「別に……。夏なんだから花火を見たり、屋台を回ったりしたい気分になったっておかしくないでしょ? あんたを誘ったのは、自慢じゃないけど私の友達が少ないからよ」

「な、なるほど……」

「……っていう答えを本当は用意してたんだけど」

「え?」


 修は凪の言っていることがよくわからず、視線を花火から凪へと移した。

 凪もこちらを見ており、その顔を空から花火が照らす。


「あんたが可愛いとか、綺麗とか、変なこと言うから気が変わったわ」

「気が変わった……?」


 修はやはり凪の言葉の意味を理解できずに困惑してしまう。


「私があんたを誘ったのは、あんたと二人でお祭りに来たかったからよ。あんたと……デートしたかったの」

「え、デート? ど、どうして……?」

「……ここまで言えばわかるでしょ?」


 答えがわかる……わけではないが、修でも察することはできた。

 しかしそれは修にとって信じられないものである。

 それにもし外れていたら恥さらしもいいところだ。


 修は答えられずに口をつぐんだ。


 すると凪がすぅと息を吸って、それからゆっくり口を開いた。


「永瀬。あんたのことが好きよ」


 心臓に氷水をっかけられたのかと思った。

 それくらいの驚きだった。


「もちろん、一人の女として、ね」


 凪が念を押すように続けざまに言った。

 修は凪が言っていることを今度はしっかり理解できた。

 しかし修は何も言えなかった。


 何も考えられない。

 受けた告白が衝撃的すぎて頭が回らないのだ。

 修は何かを言うべきだという意識はあったが、ただ呆然と凪を見つめ返すことしかできなかった。


 心臓がこれまでにないほどの速さで胸を叩く。

 花火の音がなければ凪に聞こえてしまうのではないかと思うほど、大きく鳴り響く。


「安心して。返事はしなくていいわ。出会って1ヶ月そこそこで自分のことを好いてもらえるなんて思ってないから」


 凪は親指と人差し指で拳銃のような形を作り、それを修の胸に真っ直ぐ突きつける。


「この告白は、宣戦布告。攻撃はこの後も何度だって繰り返されるから、覚悟しておくことね」


 その時一際大きな破裂音が空から響いた。

 反射的にそちらを見上げると、恐らくメインの一つであろう巨大な花火が夜空を覆うかのように広がっていた。


「じゃあそういうことだから! 今日は来てくれてありがとう! また明日ね!」

「えっ、ちょっと!」


 修が視線を戻すと凪は既に鳥居に向かって歩き出していた。

 修は手を伸ばして呼び止めようとしたが、凪は足早に神社から去って行ってしまった。


 残された修は虚空を掴むように伸ばしていた腕をゆっくりと下ろした。

 まだまだ花火が激しい音を立てて打ち上がっているのに、立ち尽くす修の耳に自分の心臓の音の方が大きく聞こえていた。

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