第91話

「永瀬君がコーチに、か……。そうだな、別に構わないよ」


 翌日、灯湖と晶を練習前に呼び出して例の話を持ちかけた修と凪は、灯湖からの思いもよらぬ返答に目を見開いて驚いた。


「い、いいの? 灯湖……」


 見ると晶も二人と同じような表情をしていた。

 いつも一緒にいる晶でさえ、灯湖の返答は意外なものだったようだ。


「元々あまりマネージャーの仕事というものがなくて永瀬君を持て余している感は否めなかったし、永瀬君に指導力があるというのは汐莉を見ていればわかる。それに、凪が推すくらいだ。期待して良いということだろう?」


 灯湖は余裕をまとって微笑んだ。


「その通りよ」

「……っ、そうです」


 凪が自信満々に断言したので修は動揺したが、灯湖の気を変えないように続けて肯定した。


「と、いうことらしい。晶は反対かな?」

「……正直あんまり気が乗らないけど……。灯湖が良いって言うならそれに従うよ」


 言葉通り晶の表情からは不満が見てとれるが、なんとか承諾してくれたようだ。

 修はとりあえずほっと息を吐いた。


「ありがとう二人とも。それで早速なんだけど、昨日永瀬と私で練習メニューの改善案を作ったの。あんたたちの意見も聴きたいから見てもらえる?」


 凪の合図で修は持っていたプリントを灯湖に手渡した。

 昨日二人で話し合って作った練習メニューを書き連ねたものだ。


 灯湖が晶にも見える位置にプリントを掲げる。

 晶は少し前屈みになってプリントを覗きこんだ。


「……うへぇ、これけっこうキツくない?」


 数秒目を通した後、晶があからさまに顔をしかめた。

 しかし晶は部内でも体力がない方なので、こういった反応をするということは修も想定済みだった。


「一応言っておくけど、それでもかなり強度を落とした方よ。今までの練習から急激にキツくしても、体を壊しちゃうしモチベーションも上がらないからね。ここから慣れていくに連れてどんどん強度は上げていくつもりよ」


 凪が補足説明を入れると晶の表情はさらに苦いものになった。

 灯湖はプリントを見つめたまままだ黙っている。


「ていうかいきなりどうしたわけ? どんどんキツくするって、そんでどうしたいの?」

「そんなの、ウィンターカップで勝つために決まってるじゃない」


 凪は晶の問いにきっぱりと言い切った。

 灯湖がプリントから顔を動かさず、目だけを凪に向ける。


「あんたたちだって、せっかく総体で引退せずに冬まで残ってるんだから、最後くらいは勝ちたいと思わない?」

「別に、あたしは……」


 晶が何やらぶつぶつと呟いたが、声が小さすぎて聞き取れなかった。


「わかった。いいよ」


 すると灯湖がプリントを修に差し出して言った。


「これでいいと思う。今後の練習内容も必要に応じて君たちが変更してくれていい。ただその都度報告は頼むよ。一応私がキャプテンということになっているからね」

「わかったわ」


 修は灯湖からプリントを受け取ると、改めて灯湖の顔を見た。

 相変わらず微笑んでいるが、なんとなく先程までとは少し違う感情がこもっているように見える。

 しかしそれがどういったものなのか、修にはわかり得なかった。


「先生には私から言っておこう。練習のことは私に一任してくれているし、私が許可したと言えば問題もないだろう」

「それじゃ悪いけどお願いするわ」

「よろしくお願いします」


 話は終わり灯湖と晶は離れていった。


「意外……と言えば意外ね」


 凪がぼそりと呟いた。


「反対されるとはあまり思っていなかったけど、それにしたってここまですんなり受け入れてもらえるとも思ってなかったわ」

「俺もです。むしろ歓迎してるようにも見えましたし……」


 本当に灯湖は何を考えているのかわからない。

 修がコーチになれば、自分が後輩に指導しない言い訳にできるとでも考えているのだろうか。


 それに晶がかなり渋々だったのも気になる。

 あの感じでは練習についてこれるかも不安であるし、いつ不満が爆発するかもわからない。


「とりあえず最初のうちは様子を見ながらゆっくりいきましょう。気を遣わなきゃいけないのは癪だけど、あの二人に抜けられたら栄城は終わりだわ」

「そうですね……」


 この話し合いにおいて修と凪はあることを灯湖と晶に伏せておくことにしていた。

 それは修、凪、汐莉、菜々美、涼の五人が全国出場を目指すつもりである、ということだ。


 さすがにいきなりそんな話をしても、今の灯湖と晶は乗ってこないだろう。

 だからとりあえずは目標は「ウィンターカップでそこそこ勝てるように」というていにした。

 そしていずれ二人がやる気になってくれた時に、改めて全国出場の目標を掲げるつもりだ。


(けど、そんな日が来るんだろうか……)


 修は不安を拭い切れなかった。

 それに本気で全国出場するなら、早くチーム方針を固めて練習も厳しくしないと間に合わない。


 しかし焦ったところでチームをまとめられないのも確かだ。

 修はこのジレンマに大いに頭を抱えている。そしてそれは凪も同じだった。






 そして修は練習前に灯湖と川畑から正式にコーチとして任命された。

 優理と星羅にはあらかじめ汐莉がメッセージで修のコーチ就任と練習メニューの変更の可能性があることを伝えてあったので、二人からの反発は特になかった。


 その後の練習は手筈通り修の指示によって行われた。

 これまでと大きく違うのは、より基礎的な練習に重きを置く、ということだった。


 つまりフットワークやラントレーニング、パスやドリブル、シュート等のメニューを増やし、4対4や5対5等の実戦に近い形式のメニューを減らしたということだ。


 その意図は体力向上とチーム全体の底上げだ。

 以前修は凪と話した際、栄城の弱みは体力不足とメンバー不足だと挙げた。


 まずはその改善に着手すべきだというのが凪との共通認識だった。

 とは言えいきなり地味でキツい練習を畳み掛けるとモチベーションも下がり効率も落ちる。


 最初ということもあり修は凪の手を借りながら、メニュー一つ一つの意味や注意点などを解説しつつ行い、また合間の休憩も多くとることにした。


「今日の練習、楽しいね!」


 半分程メニューを消化した後の休憩中、汐莉がにこにこ笑いながら話しかけてきた。


「マジ? どちらかと言えば面白みにかける方だと思うけど……」


 修は思わず笑って本音を言ってしまった。

 基礎練習というものはとても重要で、これをやったかやっていないかで将来的な伸びにも関わってくるものだが、はっきり言って楽しくはないと思うのが普通だ。


「ううん、この一つ一つが積み重なって、昨日みたいなすごい人たちがやってたプレーができるようになるんだなって思うと、とっても楽しいしワクワクするよ!」


 修は感心した。

 汐莉はちゃんと基礎練習の意味を理解している。


「チームメンバーが全員宮井さんみたいな性格だったら、そのチームは間違いなく強くなるよ」

「? どういうこと?」

「ほとんどの人は基礎練習に楽しみを見出だせないんだよ。宮井さんみたいに、先に繋がってるってことを認識してないからね」

「そうなの? 楽しいのになぁ」


 汐莉がころんと首を傾げた。

 その姿を見て修は、中学時代に修のチームの指導をしていた普段ほとんど笑わない外部コーチも、汐莉を前にすれば骨抜きになってしまうだろうな、と思った。


「言っとくけど、今日はかなりペースも遅いしメニュー自体も楽なのばっかだよ。これからどんどんキツくなるけど、その時もそんな風に笑ってられる?」


 修はニヤリと笑って意地悪な質問をした。しかし


「望むところだよ!」


 と、汐莉は両手ガッツポーズで頼もしく答えた。

 そこで休憩終了のブザーが鳴る。


「さぁ、永瀬くん、次は何?」

「そう急かすなって……。集合してください! 次のメニューの説明をします!」


 汐莉の存在があるおかげで、修もコーチの仕事に対する気負いもあまりない。

 このまま良い雰囲気で練習を続けられれば、早いうちに灯湖と晶も改心してくれるのではないか。


 そんな甘い期待を抱きながら、修は練習の説明に入った。






 修のコーチ就任から数日後の夜。


 修はランニングの後自室でできる筋力トレーニングに励んでいた。

 毎日行っているこのトレーニングも、始めた頃に比べると少しずつ負荷を上げられている。


 それでも強豪校に通う同い年のプレイヤーと比べると天と地程の差があることだろう。

 しかし修に焦りはなかった。

 焦ることが復帰への遠回りに繋がることをしっかりと理解していたからだ。


(今日はこれくらいかな……)


 修は深く息を吐いた後、タオルで汗を拭った。

 するとベッドに置いてあったスマホの画面が光っているのが目に入る。


 画面を見ると平田からの電話だった。

 修はスマホを操作し耳に当てる。


『もしもし修? 今何してる?』

「今筋トレしてたとこ。何か用?」

『あのさ、明日、市の花火大会があるの知ってる?』

「んー? あぁ、なんか聞いたような気がする」


 確か数日前に祖母の明子がそのようなことを言っていた。

 しかし修は人混みがあまり得意ではないため、あまり興味を持たなかったのだ。


『誰かと行くのか?』

「いや、行く予定はないよ」

『ちょうど良かった! 実は伊藤さんに一緒に行かないかって誘われててさ。お前もどう?』

「お前もどうって……」


 それは優理としては二人で行こうという意味で誘ってきたのではないか、と修は推理した。


『言っとくけど最初から二人きりの誘いじゃなかったぞ。向こうも友達誘うから俺も誰か誘って四人で行こうって話だったんだよ』


 平田が修の考えを見抜いて事情を教えてくれた。

 それなら修が参加しても優理が不機嫌になるようなことはなさそうだ。


『ちなみに伊藤さんは宮井さんを誘ってたらしいんだけど、彼女は先約があって違う人と行くんだって。だからクラスの子に声かけてみるって言ってた』

「そうなのか……」


 一緒に来るのが汐莉なら気が楽だし楽しそうだが、特に親しくもないクラスメイトと行っても気を遣って気疲れしてしまいそうだ。


『宮井さんが来れないからってそんな気を落とすなよ』


 平田が茶化すように言った。

 電話口で姿は見えないが、絶対にニヤニヤ笑っているだろう。

 しかし確かに先約というのは気になる。

 あんなに仲が良い優理を差し置いてまで一緒に行く相手とは誰だろうか。

 まさか相手は男だろうか……。


『修? マジで落ち込んでんのか……?』


 平田の声で現実に引き戻される。

 そもそも汐莉が誰と行こうが自分には関係ないと、修はおかしな考えを振り払った。


「別に気なんか落としてねーよ! ただ、あんまり行く気が起きないかな……」

『そっか。ま、なんとなく断られるような気がしてたよ』


 平田の声からはあまり気にした様子が感じ取れなかった。

 初めからダメ元で話を持ちかけてきたのだろう。


「悪いな」

『気にすんな。俺は修くんと違って友達多いからな! 他を当たってみるよ』

「おい、人をぼっちみたいに言うな」


 実際はその通りなのだが、修は一応礼儀としてツッコミを入れておいた。


『いきなり電話してごめんな。夏休み中またどっか遊びに行こうぜ』

「ああ」

『じゃあな!』


 平田が電話を切ったことを確認してから、修も通話画面を閉じた。

 すると今度はメッセージが届いていることを示す通知が画面に出ていることに気づいた。

 時間は平田の電話よりも随分前だ。筋トレをしていて気付かなかった。


 修は画面をタップし内容を確認する。


「えっ!」


 そこに映し出されたのは、意外な人物からの思いもよらない内容のメッセージだった。


『明日の花火大会、よかったら一緒に行かない?』

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