第90話

 修たちは名瀬高の後の二試合を観戦し終えてから、あまり遅くなってはいけないからという理由で最終試合を見ずに会場を後にした。

 行き程ではないがやはり乗客の少ない電車に乗り込み、大きく空いた座席に皆で並んで座る。


 西日が差し込む電車の中、修は今日の数々の名シーンやスーパープレーを脳内で再生して余韻に浸っていた。

 男子程の派手さはないが、それでも激しい体の接触の中決めるシュートや、一瞬にしてディフェンスを抜き去る鋭いドリブル、そこから撃つのかと驚愕する程の長遠距離3Pなど、見所は多かった。


 そんな中、隣に座っていた凪が


「ちょっと話があるんだけど」


 と、真剣なトーンで話を切り出した。

 皆は凪の顔に注目する。


「永瀬とはこの前話したんだけど、栄城うちが目指すところをチームとして共有するべきだと思うの」

「チームの目標を定めるってことですか?」

「その通りよ」


 このタイミングでそのことを話すのは賢明だと修は思った。

 本来なら全員がいる場で話し合うべきことだが、灯湖と晶という不安要素がある以上、先に凪や修に賛同してくれそうな菜々美と涼を引き込んでおけばより確実性が増す。

 それに総体を観戦したことで、二人のモチベーションも上がっているはずだ。


「私と永瀬は、その目標を『全国出場』にしたいと思っているわ」

「ぜ、全国ですか……」


 菜々美は凪の言葉に面食らったような顔になった。

 涼も小さなリアクションではあるが、少し目を見開いている。


「それけっこう厳しくないですか? 現実的にベスト8、頑張ってもベスト4でギリギリ……って思うんですけど……」


 菜々美が自信なさげにおずおずと言った。


「私も最初はそう思ったわ。ベスト4が妥当だろうって。でも永瀬は違ったわ。高校生が部活やるなら目指す場所は全国ですってね」


 凪がニヤリと笑いながら横目で修のことを見てきた。

 修はまさか自分の発言をバラされるとは思っていなかったので、顔を赤らめて俯く。


「私も目が覚めたわ。やれそうな目標を立てたって人は成長しない。ほとんどの人間が無理だって笑うような目標を掲げて、それに向かって足掻かないと、本当の意味で成長なんてできやしないって」


 凪は修のおかげのようなことを言っているが、それは汐莉からの受け売りだった。

 他人が「できない」と思ったことでも、自分さえ「できる」と信じていれば不可能も可能にすることができる。

 あの時から、修の心を支える理念となった言葉だ。


「アタシは、良いと思います……!」


 予想外の人物からの突然の賛同の声に、皆がそちらに注目した。

 いつもは菜々美の影に隠れがちな涼が、真っ先に賛同の意を示したのである。


「涼、あんたの考えを聴かせて?」


 凪が優しく語りかけると、涼は目を泳がせた後ゆっくり視線を戻し、ためらいがちに言葉を紡いでいく。


「ア、アタシは、本当はずっとスポーツは勝つためにやるものだと、思ってました……。でも、今の栄城は目先の勝利に対する意識すら薄くて、何のために練習しているのかわかりません……。でも、それに対して意見を言う勇気もなくて、いつの間にか自分も、なんとなくバスケをするようになってました……」

「うん。それで……?」


 たどたどしく話す涼に凪が優しく相槌を打つ。

 その声は人に安心感を与える、母親のような声だった。


「そんなの、もう嫌、なんです……! チームとして全国を目標にすれば、ちゃんと勝つことに意識を向けてバスケができる……。それはアタシが望んでいたことです。だから、凪さんと永瀬に賛同、します……!」


 今まで見たことがない程強い意思を持って話した涼の姿に、修は驚いたと同時に彼女も苦しんでいたのだということを理解した。


 部活動において勝利を目的とするか否かといった問題はどこにでもあることだ。

 しかし問題の本質はそれ自体ではなく、チームの中でその意識が統一されているかどうかだ。

 勝つためにやりたい者と楽しくやれればいい者が混ざったチームは、当然ちぐはぐなものになってしまう。


 涼はずっと勝つためのバスケをしたかったようだが、栄城というチームがそうではなかったために、ずっと気持ちを押し殺してきたのだろう。


「涼、そんな風に思ってたんだね……」

「……いままで黙ってて、ごめん」


 菜々美も親友の胸にあった思いを知らなかったようだ。


「涼、ありがとう。あんたの思いは充分わかったわ。そしてごめんなさい。いままであんたを苦しめてた一端は私にもあるわ」


 凪は涼に対して深々と頭を下げた。


「いえ、一番いけなかったのは、自分から動き出せなかったアタシです……。それに、凪さんは今、頑張ってくれてますから……」


 涼は前々から部に対して不満があったのだろう。

 だがそれに抗う勇気がなかったのだ。


 思えば以前、学校の自動販売機の前で修と涼が話したとき、アドバイスのようなことを言ってくれたのは、自分の代わりに修が動いてくれるのではないかという期待もあったのかもしれない。


「菜々美はどう思う?」


 凪は続けて菜々美の意思を問いた。


「私は……そうですね、目標を高く設定するっていうのは良いと思います。でも、そのために今後どうするつもりですか? 凪さんは何か考えがあるんですか?」

「もちろん、色々考えてはいるわ。中でも一番最初に行うべきは練習メニューの改善ね。今の練習じゃあ全国なんて夢のまた夢だわ。そしてその練習をより効率的に行うための手も考えてある」


 そう言って凪は修の方をちらっと見て菜々美へと視線を戻すと、肩越しに親指で修を指し示した。


「永瀬に本格的にコーチをやってもらうわ」

「えぇ!?」


 真っ先に驚いたのは修だった。

 それもそのはず、そんな話はこれまで一度もしていなかったからだ。


「ちょ、ちょっと凪先輩、どういうことですか!?」

「何よ、別におかしな話じゃないでしょ? 皆も、永瀬がバスケを見る目は本物だってことはわかってるはずよ。宮井が急激に上手くなったのは永瀬が教えてるからだし、さっきだって的確に試合分析してたしね」

「確かに、永瀬はバスケがよくわかってる、と思う……」


 凪の言葉に涼がうんうんと頷きながら同意した。

 汐莉もそれが良いと言わんばかりの表情だ。

 しかし菜々美は腕を組んで何やら思案していた。


「あの、コーチって具体的にどうするんですか?」

「とりあえず先輩後輩の枠を取っ払うわ。それで永瀬に分け隔てなく指導してもらう。練習中にプレーを止めたり、ペナルティを与えたりする権限も持って良いと思ってるわ」

「えぇ! いや、そこまではできないですよ!」


 それは既に一部員である修のできる範囲を越えており、顧問や正式な外部コーチなどがやるべきことだ。

 しかも修は最低学年であるため、練習を仕切ると反感を覚えられるかもしれない。


「私もそれはあまり賛同できません。私自身は別に構わないんですけど、灯湖さんや晶さんが納得するとは思えませんし……」


 菜々美も修と同じ考えであったようで、険しい顔で反対し


「凪さんがやるんじゃダメなんですか? 三年だし、二人も凪さんの言うことなら聞きそうですけど」


 と代わりの案を出した。


「もちろん私もサポートするけど、私だってできれば練習に集中したいわ。そのための永瀬なのよ。あんたはどうなの? やりたくないって言うなら無理強いする気はないけど、私はやるべきだと思うわ」


 凪の本気の問いかけに修はたじろいだ。

 確かに練習中、修が見ている時にここは一旦止めてでも今のプレーについて指導して修正した方が良いと思うタイミングは多々あった。

 そしてそれを的確に言葉で伝えられるという自信もある。


 しかしやはり下級生がコーチの真似事をするなど、それこそチームが崩壊してしまう要素になりうるような気がする。

 そうなってしまえば本末転倒だ。恐らく菜々美もそれを懸念しているのだろう。


 やはり断ろう。

 修はそう思い口を開きかけた。


「!」


 凪が、じっと修の目を見つめていた。

 その目から感じられるものは、修への揺るぎない信頼。

「あんたならやってくれるでしょう?」と言わんばかりの目だ。


 凪はここまで自分を買ってくれている。

 その期待に応えたいと思うのは、男として当然のことだった。


 修は先程言いかけた言葉を飲み込んで、改めて口を開く。


「わかりました。引き受けます。ただし、渕上先輩、大山先輩も含めて全員が承諾したらの話ですけど」


 修がそう言うと、凪は満足そうに笑った。


「それでいいわ。二人には明日話しましょう。菜々美も、それなら文句ないでしょ?」

「はい。元々永瀬くんの能力に疑いはありませんし」


 菜々美も納得したようで修はほっとした。


「言っときますけど、コーチの経験なんてありませんから、上手くできるかわかりませんよ! あんまり期待はしないでくださいね」

「安心しなさい。最初から上手くできるなんて思ってないわよ。気楽に、でも全力でやりなさい」

「もちろん、やることになれば全力でやりますよ」


 とは言え灯湖と晶が承諾するとは思えないというのが本音だった。

 凪は明日どうやって二人に納得させるのだろうか。


「永瀬くんが正式にコーチになれば、栄城は絶対もっと強くなれるね!」


 笑う汐莉には申し訳ないが、そうはならないだろうなと修は思った。

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