第84話

「来週の土曜日、全国総体の本戦が始まるんだけど、あんた興味ない?」


 翌日の練習開始前、凪がそう声をかけてきた。


「今年の総体の会場って、うちの県でしたっけ?」

「いいえ、××県よ」

「あ、けっこう近いんですね」

「××市の体育館でやるから、ここからだと電車で一時間くらいね」


 ××県は隣の県だ。充分足を伸ばせる距離である。

 修は最近自分のチームのことばかり考えていたので総体のことをすっかり忘れていたが、そんなに近い所でやるということを知って、見てみたいと体が疼くのを感じた。


「見に行くんですか?」

「そうしたいところなんだけど、多分当日部活があるでしょ? だから、一緒に行く人が何人かいれば、先生に相談して休みにしてもらうこともできるかもって思ってね。さすがに総体見に行きたいので休みますとは言えないし」

「なるほど」


 もともと部員の少ない栄城は数人休めば練習にならなくなってしまう。

 なら最初から休みにしてもらって、募ったメンバーで総体を見に行こうという考えらしい。


「ちなみに、目当ては東明大名瀬よ」


 東明大学付属名瀬高校。

 栄城が属する県の王者であり、全国に行くためには越えていかなければならない存在だ。


「……そうですね、僕も興味があります。今どのくらい力の差があるのか、この目できちんと確かめておきたい」

「そうこなくっちゃ。じゃあ私の方から先生に言っておくわ。多分宮井や菜々美あたりも乗ってくるでしょう」

「はい、お願いします」


 ちょうどそのタイミングで川畑が体育館にやって来たので、凪は彼の元に事情を話しに行った。

 そして部員も揃い、練習開始前の挨拶のために川畑の前に集合した。


「気を付け! 礼!」

「「「お願いします!!!」」」


 キャプテンである灯湖の号令で部員たちが元気よく挨拶をした。

 その声を聴いて満足そうに川畑が笑う。


「はい、お願いします。練習を始める前にいくつか連絡事項があります。まずはこれを回してほしい」


 川畑はプリントの束を灯湖に渡した。

 順番に一枚ずつとってどんどん隣の人に回していき、最後の修までプリントが行き渡ったことを確認してから再び川畑が口を開く。


「夏休みの練習カレンダーです。現段階で決まっている練習の開始時間と笹西との合同練習の予定、休日などが記載されています。基本的にはその通りになるとは思うけど、変動は少なからずあるのであくまで目安として考えてね」


 川畑の話を聴きながら、部員たちはカレンダーに目を通す。

 修はサッと見た時点である意外なことを発見した。


(思ったより休みが少ないな……)


 連休はお盆の三日間のみで、あとは不定休が週に一回あるかないかといった具合だった。

 修の中学時代はお盆以外に休みはなかったが、それは強豪校であるが故であり、栄城のような弱小がここまで練習するとは思っていなかったので、修は少し驚いた。


「恐らく何人かは休みの少なさに驚いていると思います。しかし栄城は文武両道を校訓に掲げる学校です。それは夏休みと言えど疎かにするべきではない。だから多少厳しくともほぼ毎日学校に通い、部活動で汗をながしつつ、家では勉強をしっかりやりなさい」


 川畑は微笑みながらも少し厳しい目で部員を見渡しながら言った。

 若干優理と汐莉が苦い顔をしていたが、それ以外のメンバーは真剣に話を聴いている。


「とは言え、法事や家族旅行等、大事な用事がある際はその旨を申し出てくれれば休む許可は出しますので心配なく」


 川畑がにっこり笑って言うので、優理と星羅も少しだけ安心したような顔になった。


「二つ目。これは先程市ノ瀬さんから提案がありました。今週末の土曜日、××県で総体の一回戦が行われます。もし行きたいと思う人が複数人いるなら部活を休みにしようと思いますが、どうだろう。強豪校の試合を直で見るのはなかなかいい経験になると思うよ。行きたいという人は挙手を」



 凪と修、そして汐莉がすぐに手を挙げた。

 しかしそれ以外から手が挙がることはなかった。


「……菜々美、涼、あんたたちは来ないの?」

「そう、ですね……」


 菜々美は何かを思案しているような表情で、一瞬灯湖と晶の方を見た。

 二人は興味なさげに床の方へ視線を落としている。


「……やめておきます。すみません」

「アタシも……」


 菜々美が申し訳なさそうに謝罪した。

 涼は相変わらず菜々美に合わせたように見えた。


「ウリちゃんとミマちゃんは? 一緒に行こうよ!」

「うーん、先輩たちが行かないなら私も……」

「そうっすね……ウチもやめとくっす」


 汐莉の誘いも虚しく一年の残り二人も不参加を表明したので、汐莉はとても残念そうな顔になった。


「まぁ、強制ではないし、交通費もそれなりにかかるからね。でも三人行く人がいるみたいだから、その日は部活は休みにします。三人とも、しっかり勉強してきて部に役立ててね」


 川畑の言葉に三人は返事を返した。

 しかし修は失望感がどうしても拭えなかった。

 せめてあと一、二人参加者がいて欲しかった。

 そもそもの気持ちの部分で修、凪、汐莉とそれ以外との間に溝があれば、どれだけ三人がチームを変えたいと思っていても無理な話だ。


「では練習を始めましょう」


 川畑の合図で皆プリントを邪魔にならない場所に置きに行った。

 すると凪が近づいて来て修に耳打ちをする。


「落胆してんじゃないわよ。うちはただの弱小校なんだから、意識の部分から少しずつ変えて行かなきゃいけないのはわかってたでしょ」


 凪的にももう少し参加者はいると期待していただろうが、動揺している様子はない。


「……そうですね、すみません」


 さすがは最高学年。

 凪は修以上に覚悟もあって思慮深い。

 頼りになる先輩だ。


 凪は修の背中をパシッと叩いてランニングの列に加わっていった。


(三人しかいないのは残念だけど、それでも俺は俺のやるべきことをやるぞ)






 練習が終わったあと、コートサイドで修と汐莉は凪の元に集まった。

 総体当日のスケジュールを確認するためだ。


「俺、もしかしたら宮井さん来ない可能性もあるかなって思ってたんだ。ほら、そんなことより練習したい~みたいな感じでさ」

「永瀬くん、私のこと練習バカだと思ってない?」

「い、いや、そんなことは……ちょっとしか思ってないよ」

「あ~ひどい!」


 汐莉が少し不機嫌そうな表情で抗議してきた。

 ちなみに冗談ぽく言ったがこれは修の本音だった。


「そりゃ練習もしたいけど……。ハイレベルな試合を生で見られる機会なんてそうないし、ましてやこれから倒さなきゃいけない相手ならなおさらだよ!」


 どうやら汐莉はわざわざ隣県まで試合を見に行く目的をちゃんとわかっているようだった。


「はい、じゃあ話進めるわよ。九時から第一試合開始で、名瀬の試合が二試合目に入ってるわ。だから私たちは……」

「あの、すみません!」


 凪が本題に入って二人に説明を開始したが、それを遮るように三人に向かって声をかけてくる者がいた。


「……どうかした?」


 凪が返事を返した相手は菜々美だった。

 傍らには涼も一緒に立っている。

 他の部員は既にフロアを後にしたようで、現在残っているのはこの五人だけだ。


「やっぱり私たちも一緒に行ってもいいですか……?」


 菜々美が恐る恐るといった表情で言った。

 涼も隣でうんうんと頷いている。


「……なんで? さっきは行かないって言ってたじゃない」


 凪が意地悪ともとれる質問をしたので、修と汐莉は驚いて凪の顔を見た。

 真剣な眼差しで、どこか二人の本心を探っているようにも感じられる。


「その……練習してるうちに気が変わったので……じゃダメですか……?」


 そう答えた菜々美の目を凪はじっと見つめた。

 菜々美も最初は負けじと見つめ返したが、すぐに目を逸らして唇を噛む。


「……ごめんなさい、いじわるなこと訊いたわ。大丈夫、わかってるから。気を遣ってくれたんでしょ?」


 凪がふふっと笑って言うと、菜々美と涼は目を丸くした。

 修は凪が言っていることがよくわからずに眉をひそめた。


「気を遣った、って、どういうことですか?」

「渕上・大山の二人と私たちとの溝が深まらないようにしてくれたんでしょ? 違う?」


 凪の問いに二人は黙ったままだったが、ここでの沈黙は肯定を意味するのであろうことは修にも理解できた。

 やがて菜々美が観念したように口を開く。


「……うまく言えないんですけど、あの場で参加すると言えば、灯湖さん、晶さんと総体を見に行くメンバーで……なんというか、派閥が別れてしまうような気がしたんです……」


 菜々美はゆっくりと、言葉を選ぶようにして言った。


「ただでさえ今、灯湖さんと晶さんは部内で、その、浮いてるような感じになってますし……。これ以上凪さんと、灯湖さん・晶さんとの関係が悪化すればチームとして取り返しのつかないことになるような気がしたんです」


 菜々美の口から語られる言葉に修は驚きを隠せなかった。

 菜々美がここまでチームのことを案じていたとは思わなかったからだ。

 修は二年生の二人に、三年に対して意見も言えない意気地無し……とまではいかないが、それに近い感情を抱いていた。


 しかし実際は、チームがバラバラにならないよう留め具や緩衝材のような役割を果たしてくれていたのだ。


「あんたたち、普段から三年に意見を言わなかったのは、部を繋ぎ止めるためだったってわけね……。ごめんなさい、そんな風にさせたのは私たち三年の責任だわ」

「いえ、私たちは特に何もできてませんよ……。ただ、今少しずつチームが変わりつつあるということはわかります。私たちも、そのお手伝いがしたいんです」

「あ、アタシも、菜々美と同じ気持ち、です……」


 菜々美と涼は強い決意のこもった目で凪を見つめた。


「ありがとう。あんたたちが手伝ってくれるなら心強いわ」


 凪が力強く微笑んだので、二人も安心したように笑った。


「なんかすごいね。どんどんチームが良くなっていってる気がする」


 汐莉が嬉しそうに、修にだけ聞こえる声で囁いた。


「あぁ。俺もそう思う」


 これはすごい進歩だと修は思った。

 二年生がこちら側に付いてくれるなら、当面の憂いは灯湖と晶のみと言ってもいいだろう。


「じゃ、とりあえず総体の話をしましょうか」


 その後凪が再び総体のスケジュールを話し、確認が終わった後解散となった。

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