第73話

「永瀬くんはすごいね」


 凪の家からの帰り道、電車で隣に座っていた汐莉が唐突に切り出してきた。


「すごい? 何が?」

「凪先輩の家でのことだよ。大人相手に怯まずに立ち向かって……。私は威勢が良いのは最初だけだった。凪先輩のお母さんをいざ目の前にすると、思うような言葉が出てこなかったよ」


 確かに、凪の家に行くことを提案し、修を引っ張っていったのは汐莉だったが、瑛子を前にして以降はかなり口数が少なかった。


 強いハートと行動力を持ついつもの汐莉とは思えない雰囲気だった。

 もしかしたら、大人に対して強気に行くのは苦手なのかもしれない。


 だが汐莉は褒めてくれているが、正直修としてはまったく思い通りにいかなかったと思っていた。

 最終的に瑛子の心を動かしたのは凪の言葉だ。


「いや、俺だって全然だったよ……。説得なんてまったくできてなかった。ただ感情のままに喚いてただけだ……。最後は結局、市ノ瀬先輩が自分で道を切り開いたんだ」


 もしかしたら最初から自分が行かなくても、凪は自分でこの問題を解決したんじゃないか。

 そう思うと勢いで突っ走ってしまったことが少々気恥ずかしく思えてきた。


「でも、凪先輩を動かしたのは永瀬くんの『想い』だと思うよ」


 少しへこみそうになっていた修に、汐莉が優しい笑みをたたえながら言った。


「そうかな……。うん、そうだったら動いた意味があったのかな」


 何にせよまた凪がバスケを続けられる。

 修にとってそのことは自分のことのように嬉しく、今にも心が踊りだしそうだった。


 きっと汐莉も同じような気持ちだろうと修は思った。






 翌日の部活の開始前、川畑に連れられた凪が部員たちの前で頭を下げた。


「迷惑をかけてすみませんでした。皆が許してくれるなら、もう一度ここで一緒にバスケをやらせてください」


 部員たちの答えは決まっていた。

 誰も凪を拒む者などいない。誰からともなく拍手が上がる。

 皆安心した笑顔だった。


 それを見た凪も泣きそうな顔で笑った。


 その後の練習では、皆いつもよりも元気だったが、凪は特に気合いが入っていた。

 しかしこの前倒れた時のような危なっかしい感じではなく、とても楽しそうに、幸せそうに笑いながらプレーしていた。


 修もそれを見て自然と笑みがこぼれる。凪も本当にバスケが好きなんだと改めて感じ、見ているこちらも幸せな気分になってきた。


 練習の中で凪が汐莉をマークする。汐莉がパスに向かって走り、勢いよくミートした。そしてシュート……と見せかけて右にワンドリブル。最近習得したストップ&ジャンプシュートを仕掛けた。

 しかしドリブルを読んでいた凪が素早く正面に回り込み、汐莉のシュートを封じる。そして焦った汐莉の手から素早くボールを奪った。


「シュートがフェイントだってバレバレ! あとドリブルも遅い!」

「はい!」


 凪が汐莉の課題点を厳しく指摘する。しかしそれに対して返事をした汐莉の表情はとても嬉しそうだった。

 これまでは凪からこんな風にアドバイスをすることなどほとんどなかった。しかし心境の変化か、汐莉以外にも凪はどんどん声をかけていた。


 なんだかすごく雰囲気が良い。凪の残留が、凪自身だけでなくチームにも好影響を及ぼしているようだ。


「ありがとう永瀬。あんたと宮井のおかげで、まだ大好きなバスケが続けられる。本当に感謝してもしきれないわ」


 練習が終わってから凪が話しかけてきた。少し照れ臭そうな顔でお礼を言う。


「いえ、俺なんてなんにもしてないです。だから、もうこのことは言いっこなしってことにしましょう」

「……ええ。わかったわ」


 凪がクスッと笑った。もともと整った顔をしている凪だったが、今までのツンケンした態度が柔らかくなってとても明るい表情で笑うので、修はドキッとした。


「そうだ、永瀬。あんた、私のこと市ノ瀬先輩って呼んでるわよね。あれもう禁止。下の名前で呼びなさい」

「えぇ!? なんでですか!?」

「別に深い理由なんてないわ。他の一年だってそう呼んでるでしょう? ほら、一回言ってみなさいよ」

「え、えーと、凪、先輩……?」


 口にすると一気に恥ずかしい気持ちが湧いてきた。顔が赤くなっていくのを感じる。


「うん。じゃあ今後はそう呼ぶように」


 凪は満足げに腰に手を当てふんぞり返った。

 そして凪は「話は変わるけど」と前置きをしてから言う。


「昨日お母さんといっぱい話したんだけど、結果的に私の好きなようにやりなさいって許しをもらえたの。それはバスケもそうだけど、それ以外のことも、やりたいと思ったことに全力で行くってことよ。例えば……恋とか」

「はぁ、恋ですか」


 凪から発せられた意外な言葉に修はポカンとして間抜けな返事をしてしまった。


「そうよ。だからね……」


 凪は修にくるりと背を向け数歩分距離をとった。そして再び修の方を向いたと思うと、突然ボールをチェストパスで修に投げた。

 修は驚きながらもそのボールをキャッチする。

 修は抗議の声を上げようと凪に視線を向け口を開いたが、それより先に凪が言葉を発した。


「あんたも覚悟しておきなさい!」


 そう言っていたずらっ子のように笑う凪の頬は赤らんでいるように見えた。




「なんか、凪さんと永瀬くん仲良いっすねぇ~」

「うん。そうだね」

「それにしても、凪さんが退部にならなくて良かっ、ってうぇ!?」

「え? どうしたの?」

「どうしたのって……汐莉ちゃん、今ものすごい怖い顔してたっすよ?」

「ええ!? 嘘!? な、なんで!?」

「いや、こっちが聴きたいっすよ……」

「な、なんでだろ……? あれぇ……?」



第二章 了

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