第50話

 そして放課後。

 本日の栄城女子バスケ部の活動もそろそろ終了だ。

 最後のメニューであるオールコートの4対4のラスト一本が行われている。


 それまでに行われた基礎練習を確認する意味合いも兼ねて、練習の最後は実戦形式で締めるのが一般的だ。

 栄城はこれまで部員がフルメンバーでも八人しかおらず、かつ汐莉が初心者であったため3対3を採用していた。

 しかし汐莉の実力が上がったことと、修が入部したことでタイマー管理ができるようになったため、今は4対4を採用している。


 二時間以上の練習をこなした後であるため、部員の皆の表情や動きには疲れが見える。

 だがその中でも一際調子の悪い部員がいた。


「あーもう! ごめんなさい!」


 凪がパスミスをしてしまい灯湖が奪う。

 灯湖がそのまま一人でドリブルし、レイアップまで持っていきそれを決めた。


「ドンマイです凪先輩!」


 同じチームである汐莉、菜々美、涼が凪を励ますが、凪は自分に不甲斐なさを感じているのか、苦虫を噛み潰したような表情でいた。


 今日の凪はずっとこの調子だ。

 いつもはもっと堅実で冷静、ミスも少なく安定したプレーを見せる選手だが今日は見る影もない。


 恐らく自分では抑えようとしているのだろうが、明らかにイライラしていて動きに精彩がないのだ。

 凪は結局その後もミスを挽回できず、今日の練習はすべて終わってしまった。


 ランニング、ストレッチ等のクールダウンを終え、終了間際にやってきた川畑の元に集まり締めの話を聴く。


HRホームルームで担任からも聞いていると思うけど、昨日の夜学校の周辺で不審者が出たらしい。居残り練習はせずに、できるだけ複数人で帰るようにしてね。以上です」

「気をつけ! 礼!」

「「「ありがとうございました!!」」」


 挨拶で締めくくり、部員はぞろぞろと解散していく。


「菜々美は私が守る……」

「はいはいありがと。じゃあ涼は私が守ってあげるよ」


 二年の涼と菜々美の話し声が聞こえてきた。

 この二人はやはり仲が良い。不良のような見た目で雰囲気の暗い涼と、見るからに優等生という感じの菜々美とではかなり正反対の組み合わせであるが、二人のやり取りからは穏和な空気が漂ってくる。


 今の発言にしても午前に話したときにしても、涼は分かりづらいだけで優しい人なのだと感じる。

 菜々美もきっとそれをちゃんと理解しているのだろう。


 他の部員もお喋りをしながら自分の私物を回収し、フロアの出口の方へと歩いていく。


「今日は自主練できないね。しょうがないけど、残念」

「そうだな。先生から禁止されちゃったらさすがにね……」


 汐莉が眉尻を下げて微笑みながら修に話しかけてきたので修も苦笑いで返す。

 そう言えば汐莉の家は南北に距離が離れているものの修の家の方向に近い。

 あんな話を聞いたあとに女の子を一人で帰すのは忍びないと思い、修はある提案をすることにした。


「宮井さん、帰る方向一緒だし、送っていこうか?」

「え、そんなの悪いよ。不審者って言ってもそれっぽいって情報があっただけで、何か事件があったわけじゃないんでしょ?それに方向が一緒でも帰るルートまったく違うし、遠回りになっちゃうよ。だから大丈夫」


 汐莉は一瞬驚いた顔をしたが、笑って手を振りながら修の提案に断りをいれた。


「そう? まぁそう言うなら無理にとは言わないけど……」


 汐莉の言う通りかもしれないが、やはり少し不安である。


「心配してくれてありがと! 永瀬くん、紳士だね!」

「え!? いや、別に……!」


 修は汐莉から褒められて赤面した。

 何気なく言ったことではあるが、もしかすると下心があると思われたかもしれないとも思い、修は後悔した。


 とは言え汐莉が皮肉を言うような子とも思えないので、恐らく素直に褒めてくれているのだろう。





 修は男子更衣室で着替えを終え、荷物をカバンに詰め込んでいるときにタオルがないことに気が付いた。恐らくフロア横のベンチに置き忘れたのだろう。


 修は多少めんどくさく思いながらも二階へ続く階段を上り、フロアの扉を開け中に入る。


 手前のコートで練習していたバレー部はバスケ部の練習が終わる少し前に帰り始めていたので、すでに残っている部員はいなかった。


 しかし奥の、バスケ部側のコートには一人の女子が練習していた。

 遠巻きにも小柄と分かる体格、両肩の前で二つに結んだおさげ髪。


(市ノ瀬先輩……)


 何かを確認するかのようにゴール下付近で、一人でひたすらドリブルを突いていた。


 修は凪がいたことに少し驚きながらも、邪魔をしないように凪がいる反対側からコートを周り、ベンチに行ってタオルを探す。

 案の定ベンチの下に落ちていた自分のタオルを拾い、カバンに入れてから再び凪の方を見た。


 かなり集中しているらしい。目をつぶっていながら正確で強いドリブルをその場で突き続ける。

 修の存在には気づいていないようだ。


 すると凪がゆっくりと目を開いた。

 そしてドリブルを続けながら前進を始める。

 しかしそれもただドリブルをしながら進んでいるだけではない。

 右に左にドリブルの手を変えながら、真っ直ぐではなく横に動いたり、スピードの緩急をつけたりしながら徐々に元いた場所の反対側のゴールへと近づいていく。


(これは……ディフェンスを想定してドリブルの練習をしているのか!)


 良い選手のシャドーボクシングではまるで相手の姿が浮かんで見えるようだと言われるように、バスケでも上手い選手のシャドーも同じような現象が起こる。


 今まさに凪の前には一人のディフェンスがずっと貼り付いているように見える。

 しかも凪の高度で速いドリブルにも付いてくる、かなり強いシャドーだ。


 そして3Pライン付近に差し掛かったところで、凪が前進を止めてその場で左右にドリブルを振り始めた。

 単純に体の前で左右にドリブルするフロントチェンジという技だ。


 それだけを聞くと技と呼べるのか疑問であるが、素早いフロントチェンジは相手を翻弄しつつ駆け引きを誘発する。


 右に行くのか、左に行くのか。

 或いは真ん中に手を伸ばせばカットできるのではないか。

 ディフェンスは身構える。


 その瞬間凪は右手から左手にフロントチェンジしながら右足を左前方に踏み出しそのままゴールに向かって素早くドライブし、レイアップシュートを決めた。


 修にははっきりと今の状況が理解できた。


 凪はフロントチェンジを繰り返す中で少しだけ右側に大きく振って、かつ上体も少しだけ右方向へ起こした。

 ディフェンスはそれに釣られ、凪が右から抜いてくると想定し重心を移動する。


 そこを見逃さずにクロスオーバーで左から抜き去ったのだ。

 今の鋭さなら、並の選手なら完全に置いてきぼりだ。

 悔しそうな表情の相手ディフェンスの姿が見えるようだ。


 思わず修は興奮気味に拍手をした。

 その音に凪は驚いた様子でビクッと体を硬直させる。


「すごいです市ノ瀬先輩! 完全にディフェンス振り切ってましたね!」

「あ、あんた、いつからいたのよ!?」


 凪が顔を赤くしながら怒ったように言った。


「ついさっきですよ。やっぱ気づいてなかったんですね。すごい集中力でした」


 凪は舌打ちをして顔を背けながら修の方に近づいて来た。

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