第49話

 昼休み。

 食べ終えた弁当箱を片付け、涼から貰った緑茶を飲み干し一息つく。


「俺、この後図書室に行ってくる」

「図書室? そんなとこに行って何するつもりだ?」


 向かいに座っていた平田が信じられないものを見るような顔で驚いた。


「そりゃ図書室っつったら本を見に行くに決まってんだろ」

「へぇ~変わってんな」


(そりゃお前にとってはそうだろうけど)


 勉強嫌いの平田が教科書以外の本を読んでいるのは見たことがない。

 漫画をほとんど置いていない栄城の図書室なら、なおさら平田の興味の外だろう。


 修は呆れてジト目で平田を睨んだが、平田はどこ吹く風といった表情で座ったまま伸びをした。


「じゃあ俺行くからな」

「まぁ待てよ。行かないとは行ってない」


 立ち上がって歩き出そうとする修を呼び止め、平田も立ち上がった。


「サッカー部で今『三国志』が流行っててさ。図書室にマンガが置いてあるらしい」

「『三国志』ねぇ……。まぁ、来るなら別に構わないけど」


 平田と並んで二人で教室を出た。

 廊下の暑さに平田がしかめっ面になる。


「俺は教室を出たことを早速後悔してるぜ」

「まぁ、廊下も冷房かかってればといつも思うよ」


 窓の外でギラギラ輝いている太陽を呪いながら図書室に向かって歩き出そうとしたその時だった。


「平田」


 進行方向とは逆の方から平田を呼ぶ声が聞こえて二人で振り返る。

 そこには修の見知らぬ男子生徒が立っていた。


 寺島、と平田が呼んだ。他クラスの友人か、あるいは部活の仲間だろうか。

 寺島は一瞬修の方に視線を向けたがすぐに平田の方へと戻す。

 修は自分に向けられた視線に敵意のようなものを感じて少しだけ不快感を覚えた。


「ちょっと話あるんだけど、いいか?」

「え……大事な話?」

「……まぁ、そうだな」


 寺島は真面目な顔で言った。何か深刻な話なのだろうか。

 平田は許可を求めるように修に視線を投げ掛けたので、修は行ってやれとあごで指した。


「悪い」


 平田は申し訳なさそうに言って寺島と歩き去って行った。

 修はなんの話なのか気にはなったが、自分には関係ないことであることは間違いないと思い図書室に向かった。





 栄城の図書室は校舎の中ではなく別館にあるため、図書室というよりは小さな図書館と言ったところか。


 校舎から少し離れているため(とは言え玄関から出て辿り着くのに一分もかからない)、やって来る生徒のほとんどが何らかの目的がある者で、なんとなくふらっとやって来る者はあまりいない。


 よって普段から利用者は少なく、その分閑静であり読書や勉強、探し物で利用する生徒からの評判は良い。


 図書室に着いた修は目当てであるスポーツ医学やリハビリ関係の本を探していた。


 もちろん病院に行って診察を受け、指導をしてもらう予定ではある。

 しかしある程度自分でも勉強しておいた方が、弱った筋肉を効率良く回復させることができるだろう。


(この辺りかな……)


 修は関連書籍がありそうな棚を探し当て、右側から順番に目を滑らせていく。


 そこでふと、修の見ている棚の左側の棚の前に、ずいぶん小柄な少女がいることに気付いた。

 高い位置にある本に懸命に腕を伸ばしている。


 もう少しで届きそうなのにギリギリで届かないようだ。何度も背伸びを繰り返すが、見るからにその指先が目当ての本に触れることはないだろう。


「あの、良かったら取ろうか?」


 見かねた修が手伝いを申し出ると少女が振り返り、驚いたように目を少しだけ見開いた。

 身長とは裏腹に、キリッとした目元と肩まで伸びた長めの髪が大人っぽさを、そして銀縁の眼鏡が知的さを演出していた。


 良く見ると制服の胸元には青いリボンを着けている。つまり三年生、先輩だ。

 身長でうっかり同学年と判断してため口で話しかけてしまった。


「ありがとう。じゃあその背表紙が青色の本をお願いするわ」


 しまったと冷や汗をかく修に、少女はため口のことなど気にしていない様子で修の申し出を受け入れた。


(? この声、なんか聞いたことがあるような……)


 そんな風に思ったが、修にはこんな先輩は知り合いにいない。

 まぁ声くらいなら似ている人もいるだろうと思い、指定された本を取り少女に差し出した。


 手渡す際にタイトルが見えたが、修が探しているような簡単なものではない、専門性の高そうなスポーツ医学の本だった。


「ありがとう、助かったわ。……あんた、図書室なんかに来るタイプの子だったのね。けっこう意外」

「え?」

「そういえばあんた怪我してるんだったわね。それ関連の本を探しに来たの?」

「え、ま、まぁそうです……」


 親しげに、と言うにはやや素っ気ない態度ではあるが、少女が予想外に喋りかけてくるので修は困惑した。


(まさか知り合いか……? でもこんな人知り合いにいたか……? やばい、思い出せないぞ……)


「誰でしたっけ?」と尋ねるわけにも行かず、必死に頭を働かせて思い出そうとするがまったく答えはでなかった。

 そもそも春にこちらに引っ越してきて、学校でも非社交的だった修には候補となる人間がいなかった。


「……あんたもしかして、わかってないの?」


 修の様子を感じ取ったのか、少女は眉をひそめながら軽く睨み付けるように修の顔を覗きこんだ。


「え!? いや、あのー……」


 修はまずいと思ったが、上手い返しが思い付かずにしどろもどろになってしまう。

 すると少女がおもむろに眼鏡を外し、髪を両手でそれぞれ掴んで肩の前に下ろす。


 修はその姿にははっきり見覚えがあった。


「市ノ瀬先輩!?」

「うるさいわね、図書室ででかい声出すんじゃないわよ」


 驚きで大きな声を出してしまったことを鋭く咎められ、修は慌てて口をつぐんだ。

 髪型と眼鏡でわからなかったが、少女はバスケ部の先輩、市ノ瀬凪だった。


「ていうか、最近はしょっちゅう部活で顔合わせてるのに気付かないって、後輩としてどうなのよ?」

「す、すみません……」


 凪がため息を吐きながら眼鏡をかけ直し、髪を後ろに払って言った。

 修の鼻腔に凪の髪から漂うふんわり甘い花のような香りが広がったが、それどころではないので修は頭を下げて謝罪する。


「冗談よ。皆にも雰囲気全然違うって良く言われるもの。気にしてないわ」


 そう言って凪は少しだけいたずらっぽく笑う。

 修は普段部活では見たことのない凪の意外な表情に驚いた。


「市ノ瀬先輩って冗談とか言うんですね」

「はぁ? 何それ、どういう意味? ……まぁいいわ。本、とってくれてありがと」


 凪は視線を本棚へと戻し、また本を探し始めてしまった。

 修は午前に涼が言っていたことを思い出す。


 ――最初にアクションするなら凪さんが良いと思う。


 涼の言う通りなら、凪とはもう少し親密になっておいた方が良いだろう。

 それに、同じ部の先輩後輩なのだから、単純にもっと仲良くなりたいという気持ちはずっと修の中にあった。


「あの、先輩。宮井さんから聞いたんですけど、先輩のお父さんて整形外科の先生なんですか?」


 修はとりあえずこれを機にもう少し喋っておこうと思い、汐莉から貰った情報で話題を振ってみた。


「そうよ」


 凪は視線を本棚から外さずに答える。


「良かったら紹介してもらえませんか? 俺、怪我の再検査とリハビリについて相談できる病院を探してて。市ノ瀬先輩のお父さんなら信頼できそうですし」

「ふーん、それはもちろん構わないわよ」


 修の言葉に気を良くしたのか、凪は本を探すのをやめて修の方へ向いた。


「そういえば訊いたことなかったけど、どこ怪我してるの?」

「左膝の靭帯です。もうけっこう前ですけど、リハビリとか経過観察とかサボっちゃってたんで……」

「そうなんだ……」


 凪はそれ以上は追及してこなかった。

 修が暗い表情をしていたのである程度の事情を察してくれたのかもしれない。


「あ、じゃあ連絡先交換してもらえませんか? 俺、同じ部なのに先輩たちの全然知らなくて」

「そうね、交換しときましょうか」


 お互いスマホを取り出して連絡先を交換する。

 栄城生で修が連絡先を知っているのはこれでようやく五人目だ。


「じゃあお父さんに話しておくわ。自慢じゃないけど、近所では名医だってそれなりに評判なのよ」

「よろしくお願いします」


 凪はまるで自分のことのように鼻を高くして言った。

 この年頃の女の子が自分の父親をこんなにも誇らしげに話すということは、かなり信頼しているのだろう。


 修は先輩である凪のことを意外に可愛らしいんだなと思った。


「じゃあ私は勉強に戻るから。小声とはいえ図書室であんまり喋ってると目付けられるわよ」

「わかりました。邪魔してすみません」


 修はペコリと頭を下げて立ち去ろうとした。


「待ちなさい。あんた自分の目的忘れたの?」

「あ……」


 そう言えばそうだ。修は自分が本を探しに図書室に来たことを忘れていた。


「これと……これはあんたには難しいか。そうね、この辺りがいいかしら。はい」


 凪は本を棚から二冊取り出して修に差し出した。

 スポーツ医学のだ。それも写真付きで分かりやすいタイプのものである。


「知識を付けるのはいいことだけど、下手に素人判断でやる前にしっかり医者と相談してからをおすすめするわ」

「ありがとうございます! 助かります」

「どういたしまして。じゃあね」


 凪は手を振り、その手で本棚からもう一冊本を取り出してテーブルの方へ歩いていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る