第46話

「そういえば永瀬くん、病院には行った?」


 汐莉が修にだけ聞こえるような声で問いかけてきた。

 汐莉は修が怪我関連で嫌な思いをしてきたことを知っているので、恐らく気を遣ってくれてのことだろう。


「いや、まだだよ。入部したばっかりだし、とりあえず一週間は部活の雰囲気に慣れることを優先しようと思って。病院は探してるから、来週あたりに部活休んで行こうと思ってる」

「そっか。手術とかすることになるの?」

「いや、多分その必要はないと思う。二回目やっちゃった後も手術は受けたし、歩行は問題なくできてるから、膝回りの筋肉をつけるところから始めるんじゃないかな? まぁ、検査して今の状態を把握しないとなんとも言えないけど……」


 気丈に振る舞ってはいるが修は実は内心不安を抱えていた。


 日常生活に支障はない程に回復してはいるが、時折痛みを感じることもある、今の膝の状態がどの程度のものなのかわからない。

 もしかしたらリハビリを頑張って選手として復帰できたとしても、また同じ箇所をやってしまうのではないか。


(でもそれを気にしていても仕方がない。俺は宮井さんと約束したんだ。どんなことがあっても、俺は前向きにやる。俺は「できる」)


 汐莉の言葉を借りて修は胸の中で自分を鼓舞した。汐莉の「できる」という言葉は、今や修にとっておまじないのようなものになりつつあった。


「そうなんだ」と汐莉が返事をすると同時にドリンクバーに行った二人が戻ってきたので、汐莉との会話は必要は一時中断となった。

 星羅にお礼を言ってコーラの入ったグラスを受け取る。

 二人はドリンクをミックスしてきたらしく、味比べで盛り上がっていた。


 二人のじゃれ合う姿とおおよそ人の飲む物の色とは思えない濁った液体が可笑しくて、修は微笑みながらそれらを見ていた。


 すると突然、柑橘系の甘く爽やかな良い香りがふわっと修の鼻腔に広がる。


「凪先輩のお父さんがスポーツ整形外科の先生だから、一度相談してみると良いよ」


 汐莉が修に耳打ちするために顔を近づけたのだ。

 これまでにない程耳の近くに汐莉の吐息を感じて、修はドキッとした。


 汐莉が離れても、彼女の残り香が鼻をくすぐる。

 汐莉の方をチラッと横目で見たが、向かいの二人を見て笑っていた。


(宮井さんといるとなんかおかしい……。いつもよりドキドキする……。なんだこれ?)


 修は自分の感情が良くわからずに困惑してしまい、そのあとは三人の会話に相槌を打つことしかできなくなってしまった。


 昼食を食べ終えてもドリンクバーをお供に四人で過ごす。

 修が会話にあまり混ざらないことを察してか、自然と話題ははバスケに関連することにシフトしていった。

 これは修にとって大変ありがたかった。


「一年生大会も終わったし、次はウィンターカップまでっきなイベントはお預けだねぇ」

「全国行くようなチームなら八月までは総体で忙しいんだろうっすけどね」

「ウィンターカップ? って何?」


 バスケ初心者の汐莉が聞き慣れないワードに首を傾げた。


「冬の大会だよ。秋に各都道府県の予選があって、年末に全国大会があるんだ」

「三年生にとっては最後の大会なんすよね」

「へぇ~そうなんだ……」


 そこで修はふとある疑問が浮かんだ。


「なぁ、栄城うちって総体はもう敗退してるんだよな? 強豪でもないのに三年がまだ残ってるのって珍しくない?」


 修の言う通り、通常三年は総体で引退するのが一般的だ。

 何故なら高校三年生には大学受験があるからだ。

 秋の予選で敗退したとしても、それまで部活に出ていれば受験の勉強に置いていかれてしまう。

 進学の意思がないか、余程頭が良いか、あるいはバスケで進学が決まっているような強豪校のレギュラー選手であれば話は別だが。


「それはねぇ、五人だとまともに練習もできないだろうからって、残ってくれたんだよ」

「それに、三人ともかなり頭良いっすからね。受験も心配要らないんじゃないっすか?」

「あとは、やっぱり三人ともバスケが好きだからなんじゃないかなぁ」


 後輩の為に残る、バスケが好き。それはとても良いことだ。

 だが今の話を聞いて、そんな先輩たちが後輩に対してあんな態度をとっていることがより不思議でならなかった。


「……二人は先輩たちについてどう思ってるの?」

「どうって……」

「どういうこと……?」


 二人の考えを知る良い機会だと思った。

 二人が味方になってくれれば、この状況を打開するための力になるだろう。


「率直に言って、俺は先輩たちが一年に指導やアドバイスをしないのはおかしいと思ってる。現に宮井さんは最近まで練習もまともにこなせてなかったし。バスケが好きなら、皆で上手くなろうと思うのが普通だと思うんだけど」


 修は喋っている間に段々イライラしてきてしまい、語気が強くなっていった。

 二人は普段見たことがなかった修の雰囲気に目を見開いて顔を見合わせた。


 そして恐る恐るといった感じで口を開く。


「……正直、ウチらももう少し色々教えて欲しいなって思う時もあるっすよ」

「先輩たち、あんまり教えるの得意じゃないからって言っていつも逃げるんだけど……多分、なんか理由があるんじゃないかって感じるんだよねぇ」

「理由? それってどんな?」

「それはわからないけど、得意じゃないからって理由だけであんなに頑なに断らないよ。だから、わたしももういいかなって。見てるだけでも勉強になるし、本とかネットでも調べられるしね」

「それに、別に全国大会目指してるわけでもないっすしね。楽しくやれればウチは満足っすよ」

「!」


 楽しくやれれば満足。その言葉が修にとっては衝撃だった。

 修はミニバス時代も県でベスト4に入ったりする程の強豪で、中学はその時の仲間たちと全国を目指して、勝つためにバスケをしてきた。

 それがバスケを楽しむということだと思っていた。

 だから上手くなることや勝つことを度外視して、ただ楽しければ良いという考え方は、修には理解し難いものであった。


(……けど、そうか。栄城は弱小校でメンバーも少ない。こういう考え方が普通なのか……)


 二人にとっては逆に修のような考え方が異質なのだろう。

 ここで修が反論しても良いことは何もない。ただ関係を悪化させるだけだ。

 入部したてで同級生と揉めるのは、今後先輩と上手く立ち回ることを考えても避けておきたい。


「そっか、そうだよな! ごめん、変なこと訊いた!」


 動揺を悟られまいと、修はできるだけ明るく笑って言った。

 優理と星羅も笑って別の話を始める。


 横目で汐莉を見ると、心配しているような、落胆しているような、少し複雑な表情をしていた。





 電車通学の優理、星羅と駅で別れ、修と汐莉は二人並んで自転車で走っていた。

 駅から帰る方角は同じだったが、間もなく別れる交差点だ。


 修は二人が言っていたことが心に引っ掛かっており、口数が少なくなってしまう。

 汐莉も空気を察してか、必要以上に喋ることはなくほとんど無言で走った。


 交差点の赤信号で止まる。修はここを左、汐莉は直進だ。


「……じゃあ、お疲れ様。明日は休みだから、また明後日学校でね」

「ああ……」


 修は自転車を漕いでいる間ずっと考えていた。

 汐莉はどう思っているのだろうかと。

 汐莉が上手くなりたいという思いがあるということは知っている。だがそれがどの程度のものなのだろうか。


 もし汐莉も優理や星羅と近い考えなのだとしたら、修が汐莉に期待や希望を押し付けるのは迷惑なことだろう。


「なぁ宮井さん。別に先輩たちとのことを解決しなくても、バスケなら俺が教えてあげられる。宮井さんがただ今より上手くなりたいだけなら、無理に現状を変えようとしなくてもいいんじゃないのかな……」


 修は汐莉の顔を見れずに足元のアスファルトを見つめて言った。

 この言葉を肯定されてしまえば自分はどうするのだろうか。

 否定してくれ、と修は強く願った。


「……私が栄城に入ったのは、部員数が少ないって聞いたから。できるだけ早く試合に出たいって思ったからだよ」


 汐莉がはっきりとした口調で言う。


「だから、とりあえずはそのために一生懸命練習する。でも、せっかくやるからには、全国なんて大それたことは言えないけど、私はできるだけ上を目指したい」


 その言葉を聞いて修は汐莉に視線を向ける。

 汐莉は強い眼差しで修を見据えていた。


「そのためには先輩たちの協力も必要だよ。だから、私たちで頑張って皆を、チームを変えていこうよ」


 そう言って汐莉はにっこり笑った。

 勇気を与えてくれる、ひまわりのような強くて優しい笑顔。

 このひまわりはきっと砂漠でも咲くんだろうな、と修は思った。


 うじうじ考えていた自分を心の中で叱咤し、修も笑う。


「ありがとう宮井さん。俺、また弱気になってた」

「ううん、私もさっき何も言えなかった。まだまだ皆に意見を言える程の力がないから。だから永瀬くん、これからもビシバシお願いします!」

「ああ!任せろ!」


 修は安心した。汐莉はやはり汐莉だった。

 汐莉と一緒なら、困難なこともできると思わせられる。


「じゃあ、またね!」

「ああ、お疲れ!」


 汐莉と別れて自転車を走らせた。スピードがぐんぐん上がっていく。

 自転車を漕ぐ足がとても軽やかに回るのを、修はとても心地よく感じていた。

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