第25話

 放課後になった。

 修は家に帰る気になれず、中庭のベンチに座っていた。


(宮井さんを悲しませたくない……。でも、宮井さんに無様な姿を見せたくない……)


 修は考えながらふとあることに気づいた。


(いつの間にか発作が起こることの苦しさよりも、宮井さんに発作のことを知られることに恐怖を感じてるのか……?)


 自分でも意外で修はとても驚いた。

 最近は本当に自分で自分の心がわからない。色んな感情が混ざりあってモヤモヤする。


「やぁ永瀬くん」


 突然傍から男の声がしたので、修は驚いて顔をあげた。

 こんな流れも今日二度目だ。


「川畑先生……」


 立っていたのは川畑だった。にこにこと笑みを湛えながら気安く右手を上げている。


「廊下を歩いていたら君の姿が見えたものでね。例の件はその後どうだい?」


 例の件と言えばあのことしかない。以前保健室で話したことだ。


「……先生のおかげで、あの時よりは状況は良くなった、と思います」

「そうかい、それは良かった」


 川畑はじっと修を見つめた。なんだか表情から心を読み取られているようで気恥ずかしくなり、修は顔を逸らした。


「隣、いいかい?」

「……どうぞ」


 川畑は修の正面を周り、右隣に腰かける。


「実はあれから気になってたんだ。永瀬くんはどうしているだろうかと。次に会ったら必ず話を聴こうと決めていた」


 川畑が穏やかな声で語りかける。相変わらず安心する声だ。


「状況が良くなったならとても嬉しいよ。でも、その割には暗い顔をしているね。何か別の問題にぶつかってしまったかい?」

「そう、ですね……。問題は根本的には変わっていないんですけど……」


 以前川畑に相談したとき、彼はとても親身に話を聴いてくれ、修の背中を押してくれた。

 その時は軽い気持ちで話してみただけだったが、その一件で修の川畑に対する信用はかなり上がった。


 今回もこの人生経験豊富そうな世界史教師に相談してみれば答えが出るかもしれない。そんな期待が修の心から湧き上がってきた。


「先生、少し僕の話を聴いてもらえませんか?」

「もちろんだとも。君の力になれるよう努力する」


 川畑は笑顔のまま力強く頷いた。その姿に修は更に強い安心感を覚えた。


「土曜日に、友達からある場所に来て欲しいって頼まれてるんです。それを断れば、その友達はきっと傷付いてしまうと思います。それは僕にとっても嫌なことなので、断りたくはない。でも、その場所に行けば僕の知られたくない部分を友達に知られてしまう。それがとても怖いんです……。僕はどうすればいいんでしょうか?」


 修は前回と同じく具体的なことを伏せながら話した。

 川畑は少し考え込む素振りを見せたあと、ゆっくりと口を開く。


「最初に一ついいかい? そのある場所っていうのは、危険な所だったり、違法な所だったりはしないよね?」

「も、もちろん違います!」

「いや、大丈夫。確認したかっただけだ。最近若い子を巻き込んだ犯罪が起きたりもしているからね。必要以上に心配性になってしまったようだ」


「話を戻そう」と川畑は咳払いをした。


「僕の経験上、誰かに相談をしている時点で、本人の中ではある程度の答えは決まっているものだと思っていてね。引き留めて欲しいか、背中を押して欲しいかのどちらかだ。話を聴く限り君は後者だろうと思う」

「つまり、僕は背中を押してもらいたがっている、と?」

「そういうことだね。前回話して貰ったときもそうだった。その時は、結果的に君は行動に移したのではないかい?」

「そう、ですね」

「そしてそれが良い状態へ向かったと」

「はい」

「君はその時のようなことを期待して、僕にまた相談をしてみようと思ったのではないか、と僕は予想したわけだ」

「うーん……、そうなんでしょうか……」


 修は川畑の言っていることがよくわからなかった。

 引き留めて欲しいか背中を押して欲しいか。確かにそれはそうだが、どちらか決めきれないから相談をしているのだ、という思いはあるものの、後押ししてくれることへの期待など考えてもみなかった。


「そう思った理由はまだある。君は知られたくないことを知られるのが怖い、と言ったね」


 修は黙って一度頷いた。


「動物は本能的に恐怖を拒絶するようになっている。兎は鷹に狙われているのを察知すれば全速力で逃げるだろう? 知能の低い小動物でさえそうなのだから、知能が高くまた感情豊かな人間ならなおさらだ。でも君は『怖い』と思いながらも拒絶せず、それを選択肢の一つにして悩んでいる。つまり君は、自分で思っている程本能的には『怖い』と思っていないんだよ」

「怖いと思っていない……?」


 修は想像してみた。体育館に行ってバスケを見てしまったことによって、発作が出てしまった自分。それを見る汐莉の失望した顔を。


「いや、やっぱり怖いですよ……」

「そうかい、じゃあ行かなければいい」


 川畑はおどけたように両手を自分の顔の横に上げて言った。

 修はそんな川畑の姿に、真面目に聴いてもらえていないのかと少し怒りの感情が湧いてきた。


「いや、だから行かないと友達に辛い思いをさせてしまうんですって!」

「じゃあ行きたいのかい?」

「行きたいですよそりゃあ!」


 修は川畑に煽られているような気がしてつい声を荒げてしまう。


「ほら、答えは出てるんじゃないか」

「え?」


 修は川畑の言葉に不意を突かれた。


「『行きたい』。それが君の答えだよ。行きたくない気持ちよりそっちの方が強いのは明らかじゃないか」


 川畑は相変わらずにこにこと笑っている。

 修はというと無意識に放った自分の言葉に唖然としていた。


 修は汐莉を悲しませたくないから行ってあげたい、でも汐莉に自分のことを知られたくないから行けない。この二つの間で葛藤をしていたつもりだった。

 だが修は今自分で「行きたい」と言った。「行ってあげたい」でもなく、「行きたくない」でもなく。


「俺は……行きたいと思ってるのか……」

「僕はそう感じたよ。それに、ありきたりなことを言わせてもらうと、悩んでいるなら行動すべきだ。リスクを恐れてチャレンジしないなんてのは、僕みたいに老い先短い年寄りがすることさ。若い内はチャレンジの積み重ねだよ。その先に道が見えてくる」


 一度口にしてしまったからだろうか。修の胸の中は試合を見に行きたいという気持ちが徐々に湧き上がってくる。


「僕の話はここまでだ。まだ猶予があるなら、一度親しい人にも相談してみるといいよ。友達や家族とかね」


 川畑は立ち上がって自分のお尻をぽんぽんと叩いた。


「先生、ありがとうございました。まだはっきり決心できてはいないですけど、気持ちはまとまってきた気がします」

「うん、さっきよりも良い表情になってきている。僕はいつでも応援しているからね。また話を聞かせてくれ」


 川畑はウインクして去っていった。


「親しい人にも、か……」


 こんな話を相談できる人物。そう考えたとき、すぐに一人の人物が頭に浮かんできた。


(明日話を聴いてもらおう)


 そう決めた修の顔は、晴れやかとまでは言えないが先程までのどんよりとした表情とは一変していた。

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