第24話

 汐莉との特訓から二日後。


 休日明けの月曜日ということもあって、早朝はクラス全体が倦怠感漂う暗い雰囲気だったが、昼休みになる頃には皆段々と活気付いてきた。


 修はというとまたもや沈んだ気持ちで一日を過ごしていた。


 昼休みの自主練習はもうできない。

 その上土曜の試合を見に行くことも実質断ったようなものだ。となれば汐莉が取り付けようとしてきた約束にも、応じないということになる。


 もう二度も断りを入れた修に三度目のお願いをしてくるとは、汐莉もかなり勇気を振り絞ったのではないだろうか。


 そんな汐莉に対して修は無情にも「考えておくよ」などと言い放ってしまった。


 もしかしたら汐莉はもう自分に会いに来ることはないのではないか。修はそんな不安にも苛まれていた。


 修は自席で明子の弁当を食べていたが、どうにも箸が進まない。

 いつも通り美味しいはずだが、咀嚼した卵焼きがなかなか喉を通っていかなかった。


 昼休みの自主練習がなくなったことを伝えていなかったので、チャイムが鳴るなり挨拶もそこそこに平田は教室から出て行ってしまった。


 そのため一人で食べているわけだが、こんな姿を平田に見られたら、また心配をかけてしまうだろうからちょうど良かった。


(どうしたもんかな……)


 昨日もずっと考えていたことを今もまだ考えている。


 土曜の試合に行くか、行かないか。


 修の懸念は二つあった。

 一つは女子の試合といえど、大人数が集まってバスケをして賑わっている、そんな雰囲気を受け入れることができるのかということ。


 もう一つは小規模の大会らしいので、男子の試合も同じ場所で行われる可能性も高いことだ。

 これが修にとってはかなりつらい。


(男子の試合はさすがに見れない……。耐えられる自信がない)


 動画を見て発作が起きてから二週間しか経っていない。いくら汐莉と共にバスケをしていたとはいえ、症状が改善されているとは考えられない。


(やっぱり無理か……)


 修は口内に残っていた卵焼きをなんとか飲み込んだ。その時だった。


「永瀬くん」


 突然自分を呼ぶ声が耳に入ってきて修の体はビクッと跳ね上がった。

 すぐに視線を上げると、正面に人が立っていた。


「み、宮井さん……!?」


 そこにいたのは汐莉だった。


「ごめんね、食事中に。ここ、座ってもいい?」


 汐莉は修の前の席を指差した。


「さ、さぁ、どうだろ……。俺の席じゃないから……」


 修はしどろもどろに返答した。

 一昨日あんなことがあって、汐莉から会いにくることはないだろうと思っていた。


 それなのにこんなにも早くやって来たことに修は動揺を隠せなかった。


「そっか。そうだよね」


 そう言いながら汐莉は指差していた椅子をくるりと回転させ、修と向き合う形で座った。


「じゃあ戻ってくるまでに終わらせるよ」


 汐莉は笑って言ったが、修はなんだかいつもの笑顔と違う気がした。

 上手く説明できないが、顔だけで笑っているような、いわゆる作り笑いのようにも見えた。


「ど、どうしたの突然?」

「土曜の試合について話しに来たの。時間とか場所とか、なんにも言ってなかったよね」


「マジか」と修は思った。

 汐莉は修の「考えておく」という言葉を額面通りに捉えたのか。それとも意味を理解しながらも知らぬふりをしているのか。


 どちらにせよ汐莉は土曜の試合に修が来るというつもりで話を進めたいらしい。


「ちょっとま」

「場所は市立体育館なんだけど、わかる? 電車で行くなら水島駅で降りて10分くらい歩いたところにあるんだけど。それで、Aコートで第三試合だから、9時に第一試合開始だってこと考えると、12時くらいには始まるんじゃないかな。私たちは開会式にも出るから早めに会場入りするけど、永瀬くんは試合始まる時間に来てくれればいいから」


 修が汐莉を制止しようとする言葉を遮って、汐莉は試合の情報を矢継ぎ早に口にした。


「もう一回言おうか?」


 ニコニコ笑う汐莉からは何か得体の知れない、有無を言わさぬ迫力を感じた。


 それにやはりいつもの汐莉ではないと修は思った。

 普段ならこんなに強引に、一方的に喋ったりしない。もっと言葉のキャッチボールを大事にするような子だ。


 修は顔を伏せ大きくため息を吐いた。そして両手で短い髪をかき上げる。


 今の話でわかったことは、汐莉は本気で修に試合に来てもらおうとしていて、それを諦めるつもりはなさそうだということだ。


 汐莉は修が断れないような雰囲気を作って承諾させようとしているようにも思える。


 汐莉をそうまでして動かす力の源はなんなのか。どうしてここまで修にこだわるのか。それがまったくわからない。


 しかし、修は汐莉の本気を無下にはできないと思った。ここで本気で断れば、おそらく汐莉はこれ以上修にしつこくすることはないだろう。


 だがそうすれば汐莉を悲しませることは必至だ。修もそれは本意ではなかった。


「永瀬くん……?」


 不安そうな声が聞こえた。

 修は汐莉の表情を確認するのが恐ろしく思えて、顔を上げることができなかった。


「……一つ訊いてもいい?」

「いいよ」

「同じ体育館で男子の試合はある?」


 修は顔を伏せたまま懸念していたことを尋ねた。


「……あるよ。隣のBコートはずっと男子の試合の予定になってる」

「……そっか……」

「男子の試合があることが、永瀬くんが来れないことと関係があるってこと?」


 汐莉が踏み込んだ質問をしてくる。

 ここで嘘をついたりごまかしたりすることは簡単だが、修はこれ以上汐莉に軽々しい態度をとってはいけないと感じた。


「まぁ、そういうことになる」

「それは、永瀬くんにとって辛いことなの?」

「……そうだな」


 言ってしまった。

 これで汐莉は修が何らかの理由で男子の試合を見たくないのだ、ということがわかっただろう。


「それって嘘なんじゃないの? 本当は私の試合なんて見たくなくて、適当にあしらおうと思ってるんじゃない?」

「それは違う!」


 汐莉の言葉に思わず修は顔を上げて大きな声を出してしまった。

 汐莉は驚いて目を見開き、そしてゆっくり穏やかに微笑んだ。


「ごめん。そうだよね、永瀬くんはそんな人じゃない。……でも良かった。もしかしたら永瀬くん、私に嫌々付き合ってくれてるんじゃないかって思ってたんだ。試合に誘われて、さすがに面倒になったから断ろうとしてるのかもって」

「違う……。そんなことはない……」

「うん。わかってる。永瀬くん、試合を見に来てくれるって気持ちは、少しはあるって解釈してもいい?」

「……ああ。そのつもりはある……」


 汐莉は優しく語りかけるように言葉を発した。

 修は叱られた子供のように短い返答で応じる。


「もし、試合に来てくれることで、永瀬くんが辛い思いをするなら……。無理して来てくれなくていい。でも、私の本心……わがままを言ってもいいなら、私は永瀬くんに来て欲しい。下手くそだけど、私のプレーを永瀬くんに見て欲しい」


 汐莉の言葉からは強い想いが感じられる。

 だがその表情は、微笑んではいるもののやはりどことなく不安そうであった。


 しかし修はすぐに返事ができなかった。

 ここまで男子の試合が目に入ることを恐れている自分に嫌気が差した。いつからこれほどまでに弱気な性格になってしまったのか。もちろん修には答えはわかっているが。


「金曜日までには必ず返事をする……。ちょっと待っててもらえないかな?」


 修はようやく言葉を絞り出すことができた。


「わかった。待つよ」


 汐莉は頷いて立ち上がった。


「待ってるから」


 去り際にもう一度言ってから汐莉は教室から出ていった。


 修は汐莉の後ろ姿を見送ってから、弁当箱の蓋を閉じた。

 明子には悪いと思いながらも、これ以上は食欲が起きなかった。


(俺はどうすればいい……? いや、どうしたいんだろうか……)


 金曜日までには答えを出すと言ってしまった。

 今日を含めて五日間の内に心を決めなくてはならない。


 難しい問題に修は頭を抱えて机に顔を伏せた。

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