REISE6 猟犬のもとへ、第一の相棒来たる

『一度、またこっちへ来てもらえませんか』


 ロディの所へ行くことになった。


 グレンバーグへ連絡をとると、ロディに会いに行く許可はあっけないほど簡単に得られた。電話一本かけるのに、あれだけ待たされたにも関わらず。


 施設ここへ来るときは自力で走ってきたが、今は時間が惜しい。

 どうやって行こうか、タクシーを呼べるだろうかと考えていると、マックレーが「俺が車で送ったげる~! ちゃんと許可もらったから!」と申し出た。


 自分が重要機密を外部へ持ち出さないよう、監視するつもりだろうか?


「オリちゃん、顔怖い! 別に変なとこ連れてったり襲ったりしないし……って、俺そんな風に思われてる?」


 思われても仕方ない言動の数々を棚に上げて、マックレーはスーツの上着を羽織って手招きした。善は急げ、早速駐車場へ案内するようだ。



 黒のフォード・マスタングを運転しながらマックレーが語った話は、意外にも真面目な内容だった。口調だけは相変わらずだが。


「今さら言うまでもないけど、俺もオリちゃんも万一捕まれば深刻なことになる。外交問題になるかもしれないし、場合によっては命の危険もね。だから、このドライブはせめてもの本部長からのプレゼントなんだよ。最後の、にはならないでほしいけどね~」


 折賀おりがは無言で窓の外を見る。木々の間にちらちらと流れゆく施設の風景が、やがて施設を抜けて、完全に別の景色へと変わる。


「本部長も。平気そうな顔してるけど、命以外の危険を全部引き受けてるんだよ。この件は長官も大統領も通さず、本部長が全責任を負ってるから。何かあればクビだけじゃ済まないだろうね」


「……はい」


 承知している、つもりだった。

 それでも、改めて言葉にされると重圧がダイレクトにのしかかってくる。


 自分が来たことで、彼らはどれだけの犠牲を背負うことになるのか。


「それでもやる価値がある。そういうことなんだよね。俺は信じてるよ、オリちゃんのこと。

 本部長もさ。実はオリちゃんのこと気に入ってるんだと思うよ。普段は好き嫌いで判断することなんてないのにね」


 相変わらずのほほんとしたマックレーの横顔は、そこまで真剣さを感じさせない。表情も含めて、この飄々ひょうひょうとしたしたたかさが彼のスタイルなのだろう。


 この一週間で折賀は、自分の中で、諜報員という人種の持つ可能性が今まで以上に広がっていくのを感じていた。


 この時代――

 各国が競ってスパイ衛星を打ち上げ、諜報活動がHUMINTヒューミント(人間による諜報)からSIGINTシギント(電子情報傍受)へと比重を傾けつつある時代。

 だが、やはり肝心なのは実際に現地へ飛び、現地の人間から情報を得ることができる生身の諜報員による活動だ、という意見が内外ともに根強い。


 折賀もそう思っていた。自分は、デスクの上で情報を分析するにとどまらない、足で情報を稼ぐ情報官になりたいと。


 意外にも、マックレーの意見は違った。


「スパイが敵地に飛び込んで、捕まったらどんなに尋問されても絶対吐かないとか、拷問されるくらいなら死を選ぶとか。そういう重すぎる覚悟って、いい加減古いと思わない?」


 自分たちがやろうとしてることは違う、と言いたいのか。


CIA俺たちがモスクワで抱えてる現地情報員エージェントたちが、情報の見返りに熱心に要求してくる物ってなんだと思う? 金は一定額以上は渡せないんだ。金遣いが荒くなればKGBにバレるから。

『Lピル』だよ。つまり、青酸カリのカプセル。捕まって処刑されるくらいなら自死を選ぶ。実際、もう何人も死んでる。

 情報に、金を払うならまだしも命を払うって。人の命が情報より安いだなんて、俺は思いたくないんだよ。通信傍受でも何でも、できるんならやればいい。それで危険な目に遭う情報員エージェント工作担当諜報官ケース・オフィサーが、ひとりでも減らせるならね」


 今まで不思議に思っていた。

 なぜ、一見不真面目に見えるこの男が、不平のひとつも漏らさず、自分と一緒に任務におもむこうとしているのか。


 今、ウィンダム・ハーツホーンという諜報官が危険にさらされている。

 この世界で多くの人の死を経験してきたマックレーだからこそ、自ら危険に飛び込まずにはいられないのだ。ひとりでも犠牲を減らすために。


『救える命があるなら救いたい』


 マックレーも、そういう人間なのだ。


 マックレーとグレンバーグ。彼らの諜報官としての、人間の持つ力を感じる。

 マックレーの意見とは矛盾するが、彼らを見る限り、HUMINTヒューミント(人的諜報)はまだまだ重要だと思うのだった。



  ◇ ◇ ◇



 待ち合わせた公園でロディを拾い、さらに一時間ほどマスタングを走らせる。


 ロディの「確かめたいことがある」という言葉に従って、彼が見せた地図の印を頼りに、マックレーは黙々と運転を続けてくれた。


 目的地と思われる場所で、ロディと折賀は車を降りた。二人だけの大事な話があるだろうと、マックレーは車で待っていてくれるという。


 二人の目の前に、広い庭付きの一軒家がある。左側にガレージも備えた立派な家だ。


 家を注意深く眺めると、折賀の中に何か得体の知れない違和感が芽生えた。


 この家――何かが、違う。


「あの家は、見ることはできるけど、行けないんです」


 淡々とした口調で、ロディが言う。


「あの家は、『三十年後の世界』にある家。僕たちのいる世界にはまだありません」


「…………」


 また、時空が飛んでいるのか。


「ここに来れば『三十年後の世界』が見えると、が教えてくれました」


 イルハムだ。この世界のロディは、彼との交信ができている。

 その力が、こうしてウィンダム救出作戦に繋がっているのだ。


「それから、僕の兄を助けてくれる人に会える、そうです。僕の兄が死ぬ運命にあるのは、この『三十年後の世界』。だからお兄さんではなく、ほかに助けてくれる人が現れる、と」


 ほかに、誰が……?


 ロディはゆっくりと家の方へ近づいていく。どこが時間の境界線なのかわかっているかのように、ある地点でぴたっと止まった。


 いつの間にか、そこにもうひとりいる。

 こちらに背を向け、家の方を眺めている少年。

 今まで毎日のように見続けてきた、グレーのジャージ姿。明るめの茶髪。


 ――甲斐かい


 なぜ、ここに。病院へ置いてきたはずだ。

 足を滑らせて落ちたのか?


 いや、違う。

 おそらく甲斐も、イルハムに呼ばれたのだ。ロディの兄を救うという役割を与えられて。

 あるいは自分から飛び込んだ――相棒を救うために。


「あのバカ……」


 思わず出た悪態に、安堵の色がにじんでいる。


 ロディの姿に気づいて、話を始める甲斐。

 疲れた様子は見えるが、怪我などはなさそうだ。ちゃんと立っている。


 来てほしくなかった。

 もし無事に帰れなかったら、誰が美弥みやを護るんだ。


 それなのに。姿を見て、緊張を強いられていた心のどこかが柔らかく溶けていくのを感じる。

 じんわりと、強張こわばった筋肉から力が抜けていく。


 少しでもいい。話がしたい。

 

 ゆっくりと、二人がいる場所へ近づいていく。

 前へ出すぎてはいけない。


 折賀の姿を認めた甲斐が、大きく目を見開いた。



  ◇ ◇ ◇



「折賀……」


「また来ちまったのか。待ってろ、って言ったつもりだったんだが」


「……ふざけんなよ。お前が『色』を観測しろって言ったんじゃん。観測したら、お前の『色』が見えたから来ちゃったんだよ! 悪いか!」


 やっぱり自分からか。

 甲斐らしい。目の前の人間を放っておくことができないのだ。

 甲斐の目の能力は、そんな彼だからこそ与えられた能力といえる。


 甲斐は、明らかに動揺していた。

 ここへ来る前に様々な場所へ飛び、その度に誰かの人生の決定的な瞬間に介入してしまったという。


「俺、みんなの過去を変えちまったんだ!」


 ハレド。イルハム。そして折賀兄妹。


片水崎かたみさきに帰ったら、きっともう、お前とは――」


「甲斐。落ち着け」


 肩に手を置きたかった。少しでも安心させたかった。

 だが、すぐ目の前に時空の境界線がある。甲斐はその向こう側にいる。

 折賀はやむなく手を下ろした。


「甲斐。過去へは行けない。過去は、変えられないんだ」


「――え?」


「過去のすべてがあるから、今がある。すべての事象、経験、感情、決断――それらの積み重ねがあるから、今の俺たちがある。そのどれが欠けても、俺たちはここにはいない。つまり、お前があちこちへ飛ばされることもない」


 甲斐は、見るからに力が抜けて、その場に座り込んでしまった。折賀も身をかがめる。


「結局なんも変わんないんだな」


 変わらなくていい。

 あの日々を生きてきたからこそ、俺たちは一緒にいられたんだ。


「俺、やっぱり今を変えたくない。『オリヅル』に来て、色々ひどい目にも遭ったけど、なかったことになんてしたくない。よかったことも悪かったことも、全部、今の俺の中に生きてるんだ……」


 変わらなくていい。

 それでも人の心配ばかりしている甲斐は、美弥が言うとおり、きっとどこまでも優しい男なのだ。



  ◇ ◇ ◇



「ほんとあんときは、よく会えたなって思ったよー。タイミング合わなくて、片っぽがつるっ禿げじーさんになってる、なんてこともあったかもしんないじゃん」


 イルハムに、同類を欲する趣味はないと思うが……。


 へらっとした笑顔で話を聞いている甲斐は、「どした? ほら続けて続けて〜」などと手をひらひらさせているが。CIAの男たちについて話していたときに何度か舟を漕いでいたのを、見過ごす折賀ではない。


 前回といい、満腹時に長話を聞こうとするからこうなる。まったく世話が焼ける。


 それでも、義弟(予定)にせがまれたら断れない折賀なのだった。

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