REISE5 猟犬、第二の相棒と出逢う

 電話に出た「マックレー」という相手に、「すぐにここへ来るように」告げると、グレンバーグは電話を切った。


 再び折賀おりがの横に腰を下ろす。その表情は、少しずつ硬さを増していくように見えた。


「現地(東ドイツ)の支局員は、全員が顔はもちろん家族・経歴まですべてKGBに把捉はそくされている。支局員だけじゃなく、大使館職員の全員がだ。彼らが動けば、当然厳しい監視が付く。現地案内人を用意できないのは、そういう理由からだ」


 通常、CIA職員は現地のアメリカ大使館職員として勤務している。

 大使館業務をこなすかたわら、CIAの業務をもこなすのだ。

 周囲の同僚がその正体に気づいていないことも珍しくないという。


 当然ソ連側にも、大使館員のうちの誰がCIAなのかすぐにはわからない。

 ならば全大使館職員をマークしておこう、というわけか。


「ソ連側も『フェアウェル』について何か勘づいているとすれば、今後ますます監視がきつくなる。彼らの監視から外れるには、どうすればいいか、わかるか」


 不意に問いを投げられ、折賀は数秒考えてから答えた。


「自分が監視の必要のない人間だと思わせる」


「そう。そのために、何ヶ月も、ときには何年にも渡って、局員には毎日まったく同じ行動をとらせるようにする。辛抱強く、毎日毎日、何も特別なことをせず、つまらないルーティンを繰り返す。そうして監視側が危険のない人物だとみなし監視を解いたほんの一瞬の隙に、初めて行動を起こすんだ」


 そこにあるのは、華麗なアクションを繰り広げる、いわゆるメジャーなスパイ映画の世界ではない。

 どこまでも地味で堅実な、男たちの不屈の精神による裏方の作業だ。


 局員は、決して派手な事件を起こして注目を集めてはいけない。新聞の紙面を飾ることは、CIAの失敗・敗北を意味する。


「オリヅル」ではどうしても目立たざるを得ない状況に何度も置かれてきたが、そういった「スパイとしての理念」のようなものは、一年以上に渡って訓練を受けてきた折賀の中にも確かに蓄積されていた。


「きみは、確かにCIAここで訓練を受けていたようだな。それを踏まえて聞くが――」


 グレンバーグの瞳が、まるで折賀の全身をスキャンでもするように意識を集中させている。


「人を殺したことは」


「……あります」


 隠す気はなかった。


 能力アビリティが発現した夜。ハレドとの戦い。

 すべては誰かを守ろうとした結果だと、折賀の中ではなんとか折り合いをつけている。


「きみは、暗殺専門で雇われたのか」


「いえ。対象を生きたまま捕獲するのが主な任務でした。人を殺したのは、一度目は不可抗力で。二度目は、それ以外に家族や仲間を守る方法がなかったからです」


「そうか。四十年後の世界がどうなってるのかは知らんが、任務に対する覚悟はしっかり持っていたようだな。きみを採用した上司は見る目がある」


 上司。グレンバーグにとっては、ほかでもない孫娘だ。

 その事実を告げるつもりはないが、目元がほころぶのは隠しようがなかった。


「今の、何かおかしかったか?」


 ちょうどそのとき、男性職員が「マックレー」の到着を知らせに来た。



  ◇ ◇ ◇



 現れた「マックレー」は、二十代半ばに見える、スーツを着た黒髪男性だった。局員としてはかなり若い方だ。

 外見は真面目で朴訥ぼくとつな模範的サラリーマンのようにも見えるが、


「すんません本部長! まだあのリストできてないんすよ~。ていうか時間的に無理!」


 という第一声が、真面目一辺倒ではない気さくな人柄を思わせた。

 グレンバーグとの関係も悪くなさそうだ。


「いや、その件じゃない。今日はきみに新しい任務についてもらおうと思ってな」


「え、なんですか? また写真整理とか言わないでくださいよ?」


「そこの彼と、コンビを組んでもらう」


「「え」」


 折賀とマックレーは、互いの顔とグレンバーグの顔を交互に見比べた。

 そこから先の話は、ミーティング用の別室で行われた。


「この作戦は公式ではない。あくまでオフレコだ。

 いいか、これから二人には東ベルリンに渡って、シュタージの極秘施設から局員のウィンダム・ハーツホーンを救出してもらう」


「……はい?」


「マックレー、彼は四十年後の世界から来た工作員だ。優れた身体能力を誇る。彼によると、ウィンダムを救出しないと四十年後に大変なことが起こるらしい。協力して必ず成功させてくれ」


「えーと、これってなんかの試験?」


「月並みな言葉だが、『これは訓練ではない』。既に作戦本番はスタートしているぞ」


「あれ、俺って夢でも見てる? 目覚ましかけ忘れたかな」


 せわしなく表情をくるくると変えるマックレーは、折賀と目が合うと、「えーと、とりあえず、きみ誰?」といてきた。


「オリガといいます。今の話、信じられないと思いますが――」


「オリガ……オリガだって……!」


 なぜか名前にツッコまれた。


「なんて素敵な名前なんだ! 俺が知ってるロシア美女、十人はその名前なんだなー」


 そういえば、「オリガ」はロシア女性に多い名前だった。

 そこへグレンバーグがさらにツッコむ。


「いや、せいぜい一人か二人だろ。見栄張って水増しするな」


「オリガ……これから毎日、この名を呼んで愛をささやいてもいい? きみ、よく見ると一番美人なオリガにちょっと似……」


「ささやくのは作戦の内容だけにしてくれ。お前の欲求不満に未成年を巻き込むんじゃない」


 二人の局員の漫才を聞きながら思った。


 いいからさっさと作戦の話をしてくれ、と。



  ◇ ◇ ◇



 突然、新しい相棒ができた。


 彼の名はウォーレン・マックレー。

 学生のうちから何度もソ連に渡っている、ソ連専門の情報局員らしい。

 身体能力は、本人曰く「それほどでもないから、何かあったら助けてねー」とのこと。


 ついでに言うと、いやかなり重要だが、ドイツ語はあまり話せないそうだ。


「無事に家へ帰って大学に入学できたら、ドイツ語を選択してしっかり勉強しよう」と心に誓う折賀だった。


 グレンバーグは、ファックスで送られてきたいくつかの資料を見ながら、いよいよ作戦の話に入った。


「いいか、オリガには説明したが、東側の局員とコンタクトをとることはできない。こっちで把握している情報にも限界がある。まず西ベルリンで、警戒しながら必要な情報を集めるんだ」


 まず西ベルリンへ。折賀は重要な手順を頭に叩き込む。


「二人の偽造パスポートだが、ドレスデン工科大学にアジアからの留学生がいるからオリガはそいつに成りすますんだ。マックレーは駆け出しのカメラマンってとこだな。何かあってもカメラとネガを没収されるだけで済むだろう。パスポートができるまでに、二人には最低限のドイツ語、ウィンダムの経歴、偽造身分の設定、東ベルリンと周辺の地図・交通網、KGBとシュタージの関係者の顔と名前・階級・配属などをできる限り記憶してもらう。武器に通信機器、施設の見取り図及び侵入・逃走経路は現地調達。本部こっちからはあまり通信できんから、そのつもりでな」


 覚悟はしていたが、やることが多すぎる。


 グレンバーグに、渡航前のすべての準備を一週間以内に済ませるように言われた。

 準備としてはもっと欲しいところだが、日数がかかればかかるほどウィンダムの無事が遠のいていく。今生きているのかどうかさえわからない。もっと早くてもいいくらいだ。


 宿泊はこの施設ザ・ファームでさせてもらえることになった。

 マックレーに「うちにおいでよ~、ふっかふかのお布団用意して待ってるから♡」などと誘われたが、丁重にお断りした。


 なぜだろう、この局員に叔父の樹二みきじとよく似たにおいを感じる。

 樹二は外見や口調こそちゃらんぽらんだが、本質は頭の切れる優秀な諜報員だった。マックレーもそうであると思いたい。


 ドイツに派遣されているKGB将校の資料を頭に叩き込んでいるうちに、ふと、KGB出身のロシア連邦大統領の名を思い出した。昔、東ドイツに派遣されたこともあるはずだ。


 幸い、リストに名前はなかった。派遣は数年後のようだ。

 並行世界とはいえ、できればあの人物とは顔を合わせたくないものだ。



  ◇ ◇ ◇



 ロディに電話をかけようと思った。救出作戦の始動を知らせるためだ。

 が、作戦の重大性・秘匿性ゆえに、グレンバーグからの許可がなかなか下りない。


 数日経ってから、ようやく許可が出た。

 一般的な固定電話ではなく、軍や政府の第一線で使われているような暗号化機能付きの電話を使用する、という念の入れようだ。

 渦中の人物の自宅へかける電話は、それだけ警戒が必要ということだ。

 

 操作手順をマックレーに教わりながら番号を打ち、電話口に出た母親に、ロディに言われた通りに同級生の名を告げる。


 電話を代わったロディ少年の第一声は、意外な内容だった。


『わかったんです。今度は、兄がいつどうやって死んでしまうのか。僕はそれを確認したい。一度、またこっちへ来てもらえませんか』


「わかった。何とか時間を作る」


 本当のところ、今は気軽に外出できる状況ではない。大量の極秘情報に毎日触れているのだ。


 それでも、出国前にもう一度ロディに会う必要はあるだろう。

 無事に帰れる保証など、どこにもないのだから。

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