Ⅳ 幾千の色の、その先へ
CODE81 引っ越しは黒い薔薇とともに
4月9日
名残惜しかったけど、美弥ちゃんは学校があるからメンバーとともにすぐに帰国。
俺はもう少しここでの時間を満喫してから帰るつもりだった。美弥ちゃんと約束したもんな。
本当は今すぐにでも美弥ちゃんとこに飛んでいきたいけど、ここを離れたら、今度はいつ両親に会えるかわからない。
今はもう少しだけ、家族との時間を味わいたいと思う。
そう、あと一ヶ月くらい――
と思ったら、父親に猛烈な勢いで抗議された。
「せっかくガールフレンドができたのに何こんな田舎でちんたらやってんだ! とっとと帰れ帰れ! そんな薄情男に育てた覚えはねえぞ!」
「育てられた覚えもねえよっ!」
誰このガンコオヤジ!
「人がせっかく色々手伝おうと思ってんのに――」
「おめえの下手な手伝いなんざいらねえ! ここのことは俺と母さんで何とでもなる! さっさと帰っておめえにしかできないことをしてこい!」
「ひでえ言い草だな! 床に頭すりつけて号泣謝罪してたの誰だよ!」
「そんな昔の話知るか!」
もう言ってることがめちゃくちゃ。母さんは横でクスクス笑ってる。
ああもう、仕方ねえな。
どうしようもないくらい不器用なセリフと、その裏に隠された複雑な思いなんかを受け取って。
それから三日間だけ、大急ぎでここでの暮らしを味わった。
三日の間に、ハレドに乗って、牧草地を通る一本道を走れるようになった。
ハレドは俺の下手な乗馬練習に根気強くつきあってくれた。
たぶん、こんなに優しくて乗りやすい馬はなかなかいないだろうな。
まるで俺を包み込んでくれるような、安定した四脚のリズム。
可愛がっている母さんの優しさと、俺の懸命な気持ちをちゃんとわかってくれてるみたいだ。
ハレド。
俺の中の「ハレド」を、穏やかな気持ちに変えてくれてありがとう。
パーティーの日、ハレドは柵の中で
美弥ちゃんの笑顔。優しく首を撫でる折賀の手。
この名前を、三人の楽しい思い出に。
二人には、日本に帰ってからもハレドのことをたくさん話そうと思う。
家の手伝いもハレドの世話も、あっという間に過ぎて。
それから追い出されるように、父親の車で空港まで送ってもらったのだった。
俺には、今まで「実家」なんてなかったけど。
今は、ヴァージニアの「グリーンフィールド」が俺の実家。
また来ます。できれば俺の、「ガールフレンド」を連れて。
◇ ◇ ◇
4月11日
「うわー、ほんとだ。ずいぶんきれいになったねー」
俺は天井を見上げて感嘆。
その天井は、俺が寝るとき毎日のように見上げて――さらに言えば、折賀に何度かぶつけられたことがある天井。
そこにあるはずのシミとか凹みとかがきれいさっぱりなくなって、真新しい天井に生まれ変わっていた。
「ちょうどこの天井だけ穴が開いたんですよー。誰のせいとは言いませんけど、もともと汚れて凹んでヒビまで入ってたから、補修できてちょうどよかったんです。管理人さんも大喜び!」
だから気にすることないですよ、と言いたげな視線を、エルさんが美弥ちゃんに向けている。
「でも、やっぱりごめんなさい……」
美弥ちゃんはかなり気にしている様子。
俺は「そうそう、この天井、よく見ると俺の形に凹んでたからね。俺もさっさと直してほしかったんだよー」と言いながらも、暴走がこの部屋だけで済んだ幸運に感謝していた。
本人が飛行機に乗ってアメリカまで行けたくらいだから、そこまでたいした害ではなかったんだと、予想はしてた。
でも、一歩間違えばアパートの住人も、美弥ちゃん自身にも害が及んだかもしれない。
任務のことや親のことで頭がいっぱいで、その瞬間にそばにいてあげられなかったことが、今さらながら悔やまれる。
「美弥ちゃん。これからは、できるだけ俺がそばにいるから――だから、もう大丈夫だよ。一緒に頑張っていこう、ね」
そっと肩に手を置くと、こくんと小さく
横でエルさんが、「こんな場所じゃなければ、いい雰囲気なんですけどねぇ……」
と、呆れたため息を漏らしている。
今、俺と美弥ちゃんの足元には、豪華なバラの花束が飾られている。
俺と美弥ちゃんの恋路を祝福してくれるような、明るい色のバラなら言うことないんだけど……。黒い、のだ。一輪残らず。
これ、どうやって咲いてんの? わざわざ黒インクでも吸わせたんか?
◇ ◇ ◇
ここは、住み慣れたアパートの三階。
折賀兄妹が暮らし、俺が居候していた思い出の部屋。
きれいになったのは、折賀の部屋の天井だけじゃない。
この折賀家にはもう、家具も持ち物も残っていない。
天井補修を機に、そっくり新居へ運んでしまったのだ。
もともと美弥ちゃんの春休みの間に引っ越す予定だったので、何の問題もない。
いや、問題はこれか。
がらんとした部屋に、デカい段ボールが五箱。
中身は兄妹の私物ではなく、またも
黒いバラ、五箱分。
今日は折賀の誕生日。
美弥ちゃんのときは淡いピンクと白のバラだった。
あのときは全部病院と老人ホームへ寄付したけど、今度は色的に、さすがに寄付しづらい。
他の部屋を見回ってた折賀が入ってきて、「全部指令室行きな」と宣言。
誰も異論はない。しばらくの間、メンバー全員が叔父さんの顔を思い出しながら仕事することになるけど。
黒と言えば。
この部屋に大量に飾られていた黒の千羽鶴は、天井が落ちてきてボロボロになったため、この機にお別れすることになった。
なんせ、
もう千羽鶴を折ることも、余った黒い折り紙で折賀部屋を飾る必要もないのだ。
美弥ちゃんと一緒に、たくさんの鶴を折った思い出があふれ出す。
ちょっと寂しいような、でも確かに喜ばしい、これもひとつの卒業。
「あ、そういえば」
美弥ちゃんの顔をのぞき込む。もひとつ大事な存在を忘れてた!
「ケンタとガゼルは? 折賀のベッドの上にいたんだよね。まさか天井に潰されちゃってないよね?」
「あの子たちは平気。なぜか、あのときわたしの部屋にいたの。いつ連れてったのか、全然覚えてないんだけど……」
折賀家で勝手に動き出すのは、黒い折り鶴だけじゃないっぽい。
◇ ◇ ◇
彼女の両親に、彼女との交際開始のご報告。
普通なら逃げ出したい場面だ。でも俺の場合、そのハードルは存在しないも同然。
なんせ彼女の母親が、交際すっ飛ばして結婚前提で話を進めまくってたからね……。
案の定、美夏さん大喜び。
「やったねー
「す、すみません。そのことなんですけど」
もうすっかり、家具類が運び込まれた折賀家の新居。
美夏さんやみんながくつろげるよう、落ち着いた色合いで統一されたリビングで。
お茶をいただきながら、俺は美夏さんと
「すみません。お気持ちには感謝してます。でも、俺がこの家に入る話は、いったん白紙にしていただけないかと……」
「まあ、そうだろうね」
気まずい空気が流れるよりも先に、笠松さんからの返事。
「ちょっと話を急ぎ過ぎてるとは思ったんだよ。甲斐くんには甲斐くんの、けじめとか順番があるんだろう。順番がめちゃくちゃな私たちが言うことじゃないかもしれないけど」
「当然だ。美弥はまだ高校生だ。彼氏と同居なんかさせられるか」
折賀のセリフの方がまるでガンコ親父みたいで、俺と美弥ちゃんは思わず噴き出した。俺を強引にアパートに引きずりこんだやつのセリフじゃねえよ。
「甲斐くん、また自分のアパートに戻るの? 家賃払い続けるの大変じゃない? 食事の支度だって」
美夏さんは、がっかりするかと思ったら、真っ先に俺の心配をしてくれた。ますます頭が下がる。
「ありがとうございます。バイトも続けてるし、なんとかします。まず、自分でちゃんと自活したいんです。家事もちゃんとやるし、勉強して、大学にも行こうと思ってます」
「ちょっと美弥ちゃん、甲斐くんこんなカッコいいこと言ってるよ。どうしよう、お母さんが惚れそう」
みんなで囲むテーブルが、あったかい笑いに包まれる。
この場所を、俺のもうひとつの「家」と呼んでいいのなら。
この場に相応しい男になって、美弥ちゃん、きみを必ず迎えに来るよ。
◇ ◇ ◇
食卓にご馳走がずらっと並べられた。これから折賀の誕生日パーティーに突入だ。
「折賀、どうよ。十九歳になった気分は」
乾杯のあとで尋ねると、美夏さんがまた、何やら思案顔。
「その呼び方、もう変えた方がいいんじゃない?」
「え、なんでですか?」
「だって、ねえ」
美夏さん、美弥ちゃんの方を見ながらにまにま笑ってる。
笠松さんは「また甲斐くんを困らせて……」とボソッとつぶやき、美弥ちゃんは頬を赤らめながら「もう、お母さん」と軽く口をとがらせる。
あ、そうか。ここにいる全員、「折賀」なんだ。
笠松さんも、入籍と同時に「折賀」に改姓したそうだ。
子供たちに名前を変えさせないための配慮らしい。
俺は……将来的にどうすんだろう?
いつか、美弥ちゃんと結婚できることになったら。確かにこの呼び方は……
って、話飛躍しすぎ! まだまともにつきあい始めてもいないのに!
「んーと、じゃあ、
「俺は別にどっちでもいいけど」
「じゃあとりあえず保留な」
「今から兄と呼んでもかまわんが」
「呼ばねーよ!」
これだけは即答。
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