CODE55 最速の刺客・「首斬りヒクイドリ」出現!(4)

 何かがピシャッと顔にかかった気がした。


 ナイフの動きにあわせて、赤い粒が舞う。

 一文字に振り抜いた軌跡に沿って、赤の色が飛び散る。


 首から下を真っ赤に染めながら、叔父さんは笑っている。

 何かが垂れるような気持ち悪い感触に耐え切れず、自分の頬をぬぐうと、指先にも赤い色がついた。

 顔を下に向け、自分の胸元が視界に入って愕然がくぜんとする。


 俺の服まで真っ赤なまだら模様!

 叔父さんは怪しく笑いながら、さらに眼前でナイフを振る。また俺の顔めがけて赤が飛ぶ。


「な、な、なに……」


 叔父さんの血だと理解するのに、数秒かかった。

 折賀おりが家の男は血液をまき散らす習性でも持ってんのか!


「わかったー? 見ての通り、首斬っても死なないの。すぐに治せちゃうからなんだー。ファンタジーなゲームで絶対いるでしょ、治癒魔法を使う魔法使い。あ、僕ゲームでいつも魔法使い使ってるの。どのゲームでも回復魔法カンストしちゃってるよ!」


 叔父さんが笑いながらよそを向いた瞬間、笠松かさまつさんが素早く前へ出た。

 叔父さんの手をつかんで地上へ組み伏せようとした――が、それより先に叔父さんの手元がしなやかに裏返る。


 笠松さんの動きが、止まった。


 彼の目が大きく見開かれる。ダークブルーが、血の色に大きく揺らめく。

 その腹部に、深々とナイフが刺さっている。


「な、何を……!」


 俺がやっとひとつだけ言葉を発する間に、ナイフを手で押さえた格好のまま、笠松さんが膝をついた。彼の息が、不規則な間隔で聞いたこともないような音を立てる。


「さて、甲斐かいくんに問題です。今目の前で死にかけてるこのおじさんを助けるには、どうしたらいいと思いますか?」


 ダメだ、ダメだダメだダメだ!


「この人を殺すなァッ! この人は、あの二人の父親だぞ!!」


「えー、レベルMAXの回復魔法師・ミキジィの御力を借りたいって? 仕方ないなー、えいっ☆」


 情けなくも一歩も動けない俺の前で、叔父さんの手が刺さったナイフを勢いよく引き抜く。笠松さんが一声叫びをあげてその場に倒れ伏す。


「ちょっとちょっと、もう怪我治ってるでしょ? 大げさに倒れたりしないでくれる? これじゃあ僕が危ない通り魔殺人犯みたいじゃない」


 その言葉どおり、笠松さんは荒い息を吐きながらも、やがてゆっくりと立ち上がった。

 腹部から押さえていた手を離し、着ているスーツとシャツをまくり、患部を確認する。見たあとでさっと片手でそこを撫で、服を下ろす。

 彼はどこか折賀に似ている鋭い目つきで、長年パートナーを務めてきた相手をキッとにらんだ。


「私の命をはかりにかけて甲斐くんを脅すのはやめろ!」


「これも出血大サービス・第二弾だよー。相手の能力アビリティのことはよく知っといた方がいいでしょ? ほら、甲斐くんも納得の顔してるじゃない」


 俺が納得したのは、この人に従わないと笠松さんは何度でも死にかけるかもしれないという事実。二人のお父さんを、そんな目には遭わせられない。


 やっと、見つけたのに。ただひとつ足りなかった、折賀家の「父親」のピース。二人とも、まだ知ってもいないのに。


「何が、望みなんですか」


「さっきも言ったでしょ。僕のことを黙っててくれるだけでいいんだよー」


 俺がやっと絞り出した声にも、まったく調子を崩さないマイペースな返答。

 落ち着け、落ち着けと何度も自分に言い聞かせながら、呼吸を整えて言葉を続ける。


「それは無理です。アティースさんはスパイのプロフェッショナルだ。俺がどんなに表面を取りつくろっても、ちょっとした視線やしぐさ、重心のかけ方から声の高さに至るまで、なんでもすぐに察知して嘘を見抜いてしまう。折賀だってそうだ。あいつはもう俺の呼吸もクセも知り尽くしてる。あの二人に、何もなかったような顔なんてできません」


「ふーん。きみだって、人の感情を読むプロだと思ってたけど?」


 プロじゃない。二人のように、訓練と経験で身に着けた能力じゃない。今だって、どうしてもこの叔父さんの真意が読めないんだから。


「はっきり聞きますけど――樹二みきじさんは、CIAのスパイなんですか?」


 笠松さんが意味ありげに俺を見る。叔父さんはヒャヒャヒャと笑い出した。


「それ、本気で言ってる? それ言っちゃったらさあ、きみも美仁よしひともみんなそうでしょ! 『オリヅル』秘蔵の『猟犬コンビツー・ハウンズ』! 今までどんだけ組織CIAのために身を削ってきたのさ!」


「ただの高校生の俺と、元外交官の樹二さんじゃ重要度が――」


「何も違わないでしょー? きみだってじゅうぶんに重要なんだよ。知らないだろうけど。

 あ、そうそう。さっき笠松が話してた、姉さんが子供を欲しがった理由、だけどね」


 急に話を変えられて、笠松さんの意識がピクッと反応する。


「知らない方がいいんじゃない? 知ったらけっこうガッカリすると思うよ。

 あと、研究施設ファウンテンを襲った『首斬り人ヘッドキラー』だけどね。あの男は、今は能力制御できてるみたいだけど、いずれ制御不能の『クラス・カソワリー』に変貌する。注意するように、美仁とアティによく言っといて。じゃあね~」


 ちょうど見計らったように、病院の裏口にタクシーが停まった。

 叔父さんは、小走りに駆け寄るとさっと乗り込んで、そのまま消えてしまった。


 排気を目で追いながら、笠松さんがぽそりとつぶやくように言う。


「情けないですよね。私に力があれば、今すぐ彼を警察に突き出すこともできたかもしれないのに」


「でも、その警察にも息がかかってるんじゃないですか?」


 俺のその言葉に答えたのは、笠松さんじゃなかった。


「甲斐さーん! 何やってるのー?」


「うぎゃふわらぶえぶっ!!」


 俺は華麗なるトリプルアクセルを繰り出しながら大ジャンプし、そのまんま近くの噴水にダイブした。あの、「万華まんげ☆教」一等幹部のよろず光子みつこオバサンが折賀に放り込まれたのと同じ噴水だ。


 こうして、美弥みやちゃんに血まみれスプラッタな姿を見られる危機は回避された。あとで外構管理の人に謝っとこう……。



  ◇ ◇ ◇


 

 美弥ちゃんの後ろでは、世衣せいさんが肩を震わせて笑いをかみ殺している。よかった、ちゃんと護衛がいて。


 全身濡れネズミとなった俺に、世衣さんが病院の売店で着替えを買ってくれた。おっさんくさいペイズリー柄のグレーのパジャマだけど。こんなんしかなかったんかい。


 美夏みかさんの病室へ向かう途中、俺は世衣さんに、それとなく美弥ちゃんを連れて離れててもらえるように頼んだ。世衣さんにも聞かせられないような話を、笠松さん・美夏さんの二人とするためだ。世衣さんは何も聞かずに承知してくれた。


「あれ、甲斐くんもここに入院するの?」


 俺のパジャマ姿を見てとぼけた質問をする美夏さんの前に、俺と笠松さんは椅子を並べて座った。

 笠松さんがさっき負ったばかりの腹の刺傷による汚れは、スーツの前ボタンをとめて隠してある。


「えーと、だな。甲斐くんは、もう私たちの事情をほぼわかっているんだ。話を聞かれても大丈夫だ。そのうえで、きみに聞きたいことがある」

 

 言いにくそうに頭をかきながら、笠松さんはなんとか大事な話を切り出した。


「今さらのようで申し訳ない。子供たちが生まれる前、きみとは結婚もしない、子供も作らない、という話になっていたはずだ。でもきみは、急に子供が欲しいと言い出したね。その理由を教えてほしい」


「えー?」


 美夏さん、なかば呆れたような抜けた声を出す。


「女が男の子供を欲しがるのに理由の説明がいるの?」


「いや、それはわかるけど、場合が場合だろ? CIAが絡んでるんだぞ。子供たちが巻き込まれるかもしれないから、ってことで――」


「あー、そうだったねー。まだ樹二が七三わけの黒髪だった時代ね。懐かしいねー」


 美夏さん、遠くを見つめて記憶をたどるような顔をしてる。


「そうそう、思い出した思い出した。

 あの頃私、生保のOLやってたじゃない? 私のミスで契約書に不備が出て契約失効したって、上司に怒られて顧客にわざわざ頭下げに行くことになったんだよね。ひどい上司だよねー。

 行った先には、外国の、六十代くらいの金髪のご婦人がいてね。名前は、確か来世みたいな……そうそう、ライサって名前。

 その人が淹れてくれた紅茶を飲んで、話を聞いてるうちに、なんだか子供が欲しくなっちゃったの」


 ……えー?


 思わず笠松さんと顔を見合わせる。

 男には理解できない、女性特有の思考回路なの?


「その人が言うには……私はこの先、大きな災いの種をまく。でも、三人の子供がそれを刈り取ってくれるというの」


 ――三人?


 美夏さん、目を閉じて、当時にトリップしながら神妙な口調で語り始める。


「三人の子供にはそれぞれの美質。博愛、努力、他者への気遣い。

 ひとりは遠き世界を見通し、ひとりは空の高みへ導き、ひとりは人ならざるものに命を宿す。

 三人目の子供が宿した命が、私の命も子供たちの命も救い、大いなる幸福に導いてくれるという――」


「その、予言だかインチキ占いだかわからない言葉を信じて、子供を作る気になったのか……?」


「なにその言い方。あなただって喜んで子作りに励んでたじゃない」


「あっ、あの、えーと、その辺で……」


 さすがに聞いちゃいけない痴話喧嘩は困るので、慌ててストップをかけた。


「それじゃその、子供は、えーと、本当は三人のつもりで?」


「うーん、そうねえ……。確かに、そのときはそう思ってたけど」


 しどろもどろの質問に、まだトリップしてるかのようにぼんやりした美夏さんの答えが返る。


「義理の子供、ってのも、アリかな……?」


 顔を上げると、美夏さんが目を大きく輝かせて俺のことを見てた。


 ……ええと……。


 その人、予言者か何か?

 リーリャの関係者かな……?

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