第24話 九月三日 その三

 急に日が翳ってきた午後三時すぎ、服部が帰ってきた。


 正確には、自宅に戻らず直接クーラーの効いた稔の家に来た。汗をだらだらと流しながら、勝手に洗面台横の棚にあるタオルを取って頭に被る。もはや稔の家は服部の自宅の一部と化していた。


 服部はビニール袋を一つ、稔のベッドに放り、こう要求した。


「麦茶と飯ー」

「外で食べてこなかったんですか?」

「今までニニ局長を説得してたんだよ。暑い中よー、道端で電話かけて。あ、スマホ充電しねぇと」


 そう言って服部はコンセントに刺さった充電器をスマホに接続する。やりたい放題である。


 稔は冷凍庫から冷凍した白飯を取り出し、電子レンジで温める。その間に、稔の昼御飯の残りである味噌汁の鍋に火をかけた。多分こうなるだろう、と思っていた稔の手際はいい。先に麦茶のボトルとコップをちゃぶ台横に置くと、服部は麦茶を一気飲みしていた。また作り置きをしなければならない。


 五分と経たず、白飯と味噌汁がちゃぶ台に並んだ。首にタオルをかけた服部は、「いただきます」と言ってすぐさまがっつく。まるで成長期の男子の母親の気分だ、と稔は思った。


 それはそうと、結局ニニを説得できたのか。稔は問う。


「ニニ局長はどう言って説得したんですか?」

「あー、遺品は燃やしたからもうない、ってことにして、諦めてもらった」

「……それ、余計に怒られるだけじゃないんですか」

「まあ、ニニ局長も分かってるだろ。研究所と上には俺が勝手にやったってことにしていい、っつっといたから」

「服部さん、下手したら首もあり得ますよ」

「それは大丈夫だとさ。次はないらしいけどよ」

「でしょうね」


 当然のことだと稔は思った。異世界通行管理局としては、ドラゴンや鬼退治のできる服部を辞めさせるメリットなどどこにもないし、むしろデメリットのほうが大きい。多少の勝手は許される、というわけではないが、事情が複雑だから今回は不問に付す、ということだろう。


 稔は蔵野との話、打ち合わせを服部に伝える。一応稔も事情や動機を理解しているが、このことは三人の中で秘密にしておく、ということを服部にも了承しておいてもらうためだ。


 話を聞きおえ、服部は一つ頷いた。


「悪いな、お前は全然関係ないのによ」

「全然、ってこともないですけどね。知らないふりをするだけですから、気にしないでください」

「おう。じゃあ飯と味噌汁おかわり」


 文脈がまったく繋がっていない。仕方なく、稔は器を持ってまた台所に向かった。


「そういや、言われてたもん買ってきたぞ。ジャムとバター」

「ちょっと手が離せないので持ってきてください。バターは冷蔵庫に入れないと」

「あいよ」


 珍しく、服部はのそのそと台所に来て、冷蔵庫にバターを入れていた。しかも、一つや二つではない。大きい瓶を四つだ。


 稔は目を見張る。それは一時期品薄になっていたほど有名な、一つ二千円近い発酵バターだ。


「服部さん、それ、お高いバターじゃないですか!?」

「いや知らねぇけど、途中寄ったスーパーにこれしかなかったんだよ。会計のとき妙に高ぇな、とは思った」


 稔は前々から思っていた。服部は浪費癖こそないが、金に無頓着なところがある。こちらの世界での金銭感覚が中学生のときのままのようで、本人からちらっと聞いたところによると、どうやらあちらの世界では細かい金のやり取りはあまりしなかった模様だ。


 ついでにいちごジャムの瓶は五つもあった。スーパーの店頭に並んでいるものを買い占めてきた、そんな感じだ。


 ただし銘柄は以前のものとは違い、やはりお高いジャムだ。常時使っているジャムと同じで瓶の蓋は白いから、稔も責められない。


「服部さん、今度買い物の練習をしましょう。金銭感覚って大事だと思うんですよ。ちなみに今日いくら使いました?」

「一万超えた」

「ジャムとバターに一万も使わないでください」

「俺もちょっとそう思った。上田の野郎、俺に散々金使わせやがってとか思って」

「僕は無罪ですよ!?」


 稔の反応に、服部はけらけらと笑う。


 電子レンジがピロリンと可愛らしい音を鳴らす。男二人で狭い台所に立っていても何なので、稔は服部を台所から追い出した。


 服部が二杯目の白飯と味噌汁に取りかかったころ、ズボンのポケットに入れていた稔のスマホが震えた。


 また何事だろう、と稔が画面を見ると、実家の母の携帯電話から電話がかかってきていた。今日は忙しい。


「はい、稔です」

「久しぶり、元気?」

「まあ、欠勤しない程度には」


 稔は台所の奥で会話を続ける。実母相手でも、丁寧語なのはそういう家風だ。


「そう、まあ、よかった。あのね、ちょっと聞きたいことがあって」

「何ですか?」

「あなた、異世界通行……何だったかしら」

「異世界通行管理局です」

「そうそれ。四月に異動になったのよね。いやね、由花がね」

「伯母さんが、どうかしたんですか?」


 稔は嫌な予感がした。

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