第23話 九月三日 その二

 服部に大きめの分厚い紙袋を四枚ほど持たせて、稔の家から追い出して四時間ほど後。十二時を少し回ったころだった。


 一週間分の溜まった家事を終えた稔のスマホが、短く鳴動した。何事か、と稔が画面を見ると、メールが一通、なぜかニニからだった。


 内容はこうだ。『服部が府中の研究所から勝手に異世界のサンプルを持ちだした。行き先が分かれば教えるように』とのことだった。勝手に持ちだした、という何とも頭を抱えたくなるような単語に、稔は深くため息を吐いた。朝の時点で、予測すべきことだったかもしれない、という思いも稔の頭をよぎった。


 稔は服部のスマホに電話をかけた。服部はメールやSNSは面倒臭いからと見ない可能性があるからだ。


 数コールで服部は電話に出る。


「はいよ、どうした上田」

「どうしたもこうしたも、さっきニニ局長から服部さんが勝手に異世界のサンプルを持ちだした、って連絡があったんですよ! 遺品のことですよね?」

「おう。何か当直のやつが話の分かんねぇやつでな、ぶん取ってきた」

「……ニニ局長、怒ってますよ」

「そう言われても、もう墓に入れちまったぞ」

「墓? 墓地か寺にいるんですか?」

「もう出たところだ。場所は言わねぇぞ、俺だってニニ局長の立場分かってるからな」

「はあ……後で、自分でニニ局長に説明してくださいよ」

「分かってるよ。あと何だっけ、ジャムとバター買えばいいのか」

「いちごジャムです、蓋が白いやつ。バターは何でもいいです」

「了解、今から帰るわ」


 ぶつ、と電話が切られた。稔は急ぎニニへメールを入れる。『たった今電話で確認したところ、後で本人から説明があると思います』という旨をちょっと仰々しく書き、送る。別に、ニニも服部を本気で咎めようという気はないだろう、ということは、行き先を教えるようにとだけ書かれていたメールからも分かる。そもそも、服部が持ちかえってきた遺品を研究所とやらが長々保管していたことが、服部の痺れを切らせた原因だろうし、どんなに貴重なものでも言ってしまえば私物だ。そこが分かっているから、服部もなあなあで寄贈扱いにされる前に動いた、と稔は見ていた。


 しかし、いくら遺品だけでも、墓に入れるというのはけっこうな金額がかかるのではないだろうか。今までの給料を使って霊園の土地と墓を買い、供養代を支払い、遺品を速やかに納める、というのは、意外と服部らしくない周到さだ。


 ——ということは、協力者がいる?


 稔の心当たりのある人物といえば、真っ先に思いうかぶのは蔵野だ。ニニは先ほどのメールや局長という立場から服部が相談するとは思えないし、他の局員も同じだ。唯一、稔が知らない管理二課の大原課長という線もなくはないが、現在青森にいるらしいので、あまり東京のほうまで手を回してくるということはないのではないか、と思われる。


 それに対して、蔵野は服部がこちらの世界に戻ってきてからずっと世話をしていたようだし、服部の事情をもっともよく知る人物、と言っていい。おそらく、遺品の件も知っているはずだ。


 ——一応、ニニ局長に知られる前に、情報共有しておいたほうがいいかな。


 稔は、思いきって蔵野にメールをしてみた。ニニからのメールの件で、服部が府中の研究所から異世界のサンプルを持ちだしたことに関する擁護、というていを取り、それとなく遺品について匂わせてみる。


 すると、即座にメールが返ってきた。『今からそちらに電話する』とだけ書かれている。


 一分あまり待つと、蔵野から電話が来た。稔はすぐに取る。


「はい、上田です」

「休日にすまないな、服部の件で少し話がある」

「その前に、今日起きたことと服部さんの目的についてですが」


 稔は今朝服部と交わした会話——府中の研究所に解析にかけられていた異世界のサンプル、ドラゴンや遺品の存在について——と、遺品の供養まで知っていることを蔵野に伝える。


「ああ、そこまで知っているなら話は早い。知り合いの住職に私からわけを話して頼んでな、供養してもらう手筈だったんだ」

「やっぱり、そうでしたか」

「こんな手配はあいつには不向きだからな。いやしかし、もう少し穏便に事を運ぶはずだったんだが」

「服部さんですからね」

「服部だからな」


 その点では、稔と蔵野の認識は一致していた。服部が動けば、あの異貌も手伝って、事が穏便に運ぶはずなどないのだ。


「とはいえだ、供養は服部の気持ちの問題でもある。間近で担任や同級生の死を看取ってきたあいつが、あちらの世界のことをこれで終いにするという、一つの区切りだ。波木清花の件で、あちらの世界からもう京都駅の事件の被害者が帰ってくることはないと結論づけられて、ようやく踏ん切りがついたんだろう」

「……行方不明のまま、終わらせるんですよね」

「ああ。こちらからあちらに行くことはできなくはないだろうが、被害者や遺品の捜索は絶望的だ。上も、ドラゴンのような生き物が跋扈する世界に送りこめる人員などいない、と分かっている」

「そう、ですよね。清花が一度戻ってきたこと自体、奇跡としか言いようがないですし……でも、被害者の家族はどうするんでしょうか?」

「残念だが、このまま放置されるだろうな。この先、もしかすると服部を帰還者として公表できる可能性もなくはないが、他の被害者家族の心情を慮ると、な」


 稔は口をつぐんだ。


 ——清花は、家族の心情それを気にして、両親にも会わずに帰ってしまった。


 百八十一人の被害者のうち、帰ってきたのはたった二人。それも一人はあちらの世界に戻った。


 ——この結果を、政府は被害者家族に伝える勇気があるだろうか。


 間違いなく、世論に袋叩きにされる類の話だ。政府が対応を間違えたわけではない、だが感情論はどうしようもない。そしてその感情論に多くの人が流される。


 もし被害者家族があちらの世界に渡ってでも子供を助ける、と一度言いだせば、必ず世論はそちらに傾く。ただでさえ通管業務もある種無責任な解禁論に押されているというのに、政府や自衛隊が何もしないと宣言すれば、時の政権さえも動かす問題となりかねないのだ。


 まさに恐怖の課題、機密に値する話だ。当の帰還者本人が分かっているかはともかく、大変に繊細な爆弾のようなものだ。


 自分で想像しておいて、稔は怖気がした。今回は蔵野が間にいたからいいものの、服部一人でやっていれば、どんな有様になったか。


 蔵野は電話口の遠くでため息を吐くと、こう言った。


「ニニ局長には悪いが、今回は服部にけじめをつけさせるほうを優先したい。上田君、この件はあいつに任せて、黙っていてくれるか」


 そう言われて、稔もいいえと返すことはできない。


「僕は何も知らなかった、ということで」

「ああ、助かるよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます