第二部 第二章 遺品

第22話 九月三日 その一

 九月三日、日曜日。残暑は厳しく、日中はまだまだゆうに三十度を超える東京は、もはや誰も異常気象などという言葉を使わなくなっていた。


 そして稔の部屋の隣は朝から騒がしく、きっちり午前八時に稔の部屋のチャイムを鳴らした。


「よう、おはようさん」

「おはようございます」


 休日だというのに、ジャケットを脱いだスーツ姿の服部が玄関に現れ、まるで自宅のごとく敷居を跨ぐ。稔ももう観念して、すでに朝御飯を用意していた。今日はトーストとベーコンエッグだ。ちゃぶ台に乗ったそれらは、付け合わせのいちごジャムやバターとともに準備万端だ。


「相変わらずまめだよな、お前」


 そんなことを言いながら、服部は席に着く。


「毎日食べに来る人に言われたくありません」

「何だよ、こないだ助けてやっただろ」

「あれは服部さんの仕事でしょう」


 あれとは、八月三十一日の夜、渋谷のスクランブル交差点の巨大魔法陣から出現したドラゴンのことだ。交差点を埋め尽くすほどの巨体を誇る赤い竜を相手に、服部は大太刀一本で立ちまわり、あっという間に弱らせることに成功した。


 そのとき稔はニニに守られていただけだったのだが、それはしょうがないことだろう。この世界にはいない凶悪かつ巨大な生き物を前に、対処できる人間がおかしいのだ。


「仕事、まあ、仕事だな」


 服部はジャムとバターをたっぷり塗ったトーストを大口でかじりながら、うんうんと頷く。


 人には役割というものがある。ドラゴンや鬼退治をする服部がいれば、異世界人を常時何十人と世話をする巻上、霊魂を引きつれ平気な顔をしている坂東、とにかく異世界通行管理局には変人ばかりだ。


 では、その中で、稔に何ができるのかと言うと——。


「お前、巻上さんに異世界人の世話はもう無理ですっつったんだろ? じゃあ、次は何やるんだよ」

「……明日、蔵野課長から指示があると思いますよ」

「ふーん。ところでトーストもう一枚焼いてくれ」

「はいはい、焼いてきますから僕の食べていいですよ」

「おう」


 遠慮なく、服部は稔の皿からトーストを一枚取った。多分、もう一枚じゃ済まないだろうな、と思った稔は、トースターに二枚、六枚切りの食パンを差しこむ。


 そういえば、と稔は服部に問いかけた。


「服部さん、どこか行くんですか?」

「ああ、府中の研究所にちょっとな。遺品取りに行こうと」

「遺品?」

「あっちの世界で死んだクラスメイトの遺品だよ。こっちの世界にないもんばっかりだからってんで、俺の刀と一緒に解析にかけられててな」


 ——ああ、そうか。


 稔は得心がいった。約三年前の九月二十日、京都駅で起きた修学旅行生大量失踪事件、あの事件で、服部を含むとある中学校の三年生一学年が丸ごと、別の世界に飛ばされていた。


 そこで起きた出来事は、悲惨の一言に尽きた。熱病で倒れた者、モンスターに襲われて食われた者、何とか生き延びても過酷な生活に耐えきれず死んでいった者、そして服部以外のクラスメイトは皆死亡し、担任教諭も死んでしまったという。


 そんな中、一人生き延びた服部は、皆の遺品を持ちつづけていたのだろう。一人死ぬごとに増えていくそれらは、こちらの世界へ戻る際にも携行してきたほど、服部にとっては重要なものだ、と窺わせる。


「ついでに、三月に俺がこっちの世界に戻ってきたとき、うっかりドラゴンぶっ殺しちまってな。それの遺骸があるのも府中の研究所だ」

「うっかりで殺してしまうものなんですかね」

「仕方ねぇだろ、あっちの世界じゃ殺さないと殺される状況だったんだからよ」

「まあ……そのとき服部さん、ただの民間人だったから、異世界通行管理局の決まりとか守る必要ありませんでしたもんね」


 基本、渋谷の巨大魔法陣から現れるドラゴンや鬼といった生き物は、できるかぎり弱らせて元の世界に返すという決まりがある。何でも、元の世界の生態系を乱さないため、また冥界の鬼を減らさないため、だそうだ。


「そういうこった。それに、貴重なサンプル? らしいぞ」

「遺骸とはいえドラゴンですし、普通、大ニュースですよね」


 小気味よい音とともに、トーストが二枚焼きあがった。稔はちゃぶ台の皿を持ってきて、載せる。


 ちゃぶ台に運んでいくと、二枚目のトーストを半分以上食べおえた服部が、ひょいと一枚取って自分の皿に置いた。大体分かっていたことだ、稔は今更気にしない。服部はトーストを取ると、すぐさまバターとジャムを塗る。


「ニュースになってなかったのか」

「なってませんね。もしなっていたら、僕も知ってるはずですから」

「ニニ局長より上の判断かね。お偉いさんの考えることは分かんねぇな」


 がじがじとトーストの耳ごとかじる服部は、不思議そうだ。


「渋谷の魔法陣から、あんなドラゴンなんてものが出てくることが公になったら大混乱しますから、箝口令が敷かれたんでしょうね」

「よく考えたら、今年だけで二回も出てきてるのか」

「もう自衛隊に出てきてもらったほうがいいくらいですよ、本当に」

「そしたら俺の仕事がなくなるだろ」

「服部さんが暇であることは平和の証拠ですから」


 そう言いながら、稔は座りこんでやっとジャムの瓶を開けたが、中はすでに空だった。服部、ジャム塗りすぎ問題勃発である。


「何で全部ジャム使うんですか!?」

「はあ? 予備買ってねぇのかよ」

「たまには服部さんが買ってきてくださいよ! というか、バターも塗りすぎです! 今高いんですよ!」

「あー、分かった分かった、帰りに買ってくるわ。ジャムでマジ切れしすぎだろ、お前」

「そのすでに塗ったトーストと交換してくれるならいいですよ」

「嫌だ」

「あー! 食べた!」


 何だかんだ、平和な一日の始まりだった。

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