第15話 八月二十九日の業務 その一 《カレー編》

 八月二十九日、午後三時。


 稔は「ミサキさんのところに行ってきます」と蔵野に告げ、管理一課を後にした。


 すでにミサキへはメールを入れてある。夕御飯はカレーを作るから、と今朝メールを送ると、びっくりした顔文字付きの嬉しそうなメールが返ってきていた。


 稔が廊下を歩いていると、管理二課から出てきた服部が待ち構えていた。


 しかし稔はきっぱりとこう言った。


「服部さんはちゃんと退勤時間まで仕事してください。あとで雑司が谷まで来てください」

「んな!?」

「いや、当たり前ですよね? 仕事はちゃんとしましょうよ、電話かかってくるんですし」

「そんなもん放っときゃいいだろ! それよりカレーだカレー! 甘口か辛口かどっちだ!」

「甘口です」


 服部が大げさに「嘘だろ!?」などと一人芝居をやっている背後から、肩にぽんと手がかかる。


「ああ⁉︎」


 思いっきり威嚇の声を上げながら、服部が振り向くと、そこにはいつものグレーのスーツのニニがいた。黄金色の髪に絡んだ花弁を払い、ニニはにっこり笑って——目だけは笑わず、服部を睨んでいる。


「げ、ニニ局長」

「聞いていたぞ、服部。仕事はきちんと、たとえ電話番でもだ。というわけで」


 ニニは稔と視線を合わせる。どう考えても、「ここは任せて行け」とニニは指示を出していた。


「じゃ、僕はミサキさんの様子を見に行きますので」

「うむ、暑い中面倒をかけるな」


 そそくさと稔は廊下を小走りで進む。後ろから恨めしそうな声が聞こえてきていたが、稔は無視した。サボりはよくない。


 二階の出入り口ゲートをくぐって、内閣府八号館を出てすぐの国会議事堂前駅から乗り換え一回で一路雑司が谷へ。ミサキの住むアパートに行くまでに、稔は食料品店に寄ってカレー作りに必要なものを買っていく。服部は確実に来るだろうし、余ったとしてもタッパーに入れておけばいいので、ついでに大きめのタッパーも探しておいた。アパートの隅に埃を被っていた炊飯器の掃除用具も必要だな、と除菌スプレーやペーパータオルも買い物かごに入れる。


 米も含めて、両手いっぱいの荷物を抱えた稔は、暑さでふらふらしながらもミサキの住むアパートの二〇五号室まで無事たどり着いた。流石に二キロでも米は重い、チャイムを鳴らしてミサキに扉を開けてもらう。


「うわ! 荷物いっぱいですね!?」

「うん……こっちの軽いほう、持ってってくれますか?」

「はい!」


 ミサキにタッパー入りのビニール袋を持たせ、何とか稔は部屋の中に入る。エアコンの涼しい風が稔を出迎えてくれていた。


 稔はミサキに、調理経験はあるか、と尋ねた。


 するとミサキは胸を張った。


「野菜の下拵えは僕の担当でした!」


 つまり、玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジンの皮むきは任せていいということだ。それ以外は任せないほうがいい。


 稔はビニール袋を広げて、ボウルを床に置き、ミサキへ野菜の皮むきを頼んだ。


 その間、稔は台所のシンクを洗い、炊飯器を取り出し、米を研いでいた。多少勝手は違うが、いつもどおりの食事の支度と同じだ。


 野菜の皮むきを中断したミサキは興味深そうに、米ぬかが流れていくさまを眺めていた。


「そういえば、ミサキさんの住んでいたところでは、米は食べないんですか?」

「見たことないです。あの……小麦粉? パン? あれが一番、僕たちの主食に近いと思います」

「なるほど」


 寒冷地すぎて作物が育たないのかな、などと稔は思いながら、炊飯器に米と水がたっぷり入った釜をセットする。五合炊いても服部が半分は食べるので油断はできない。


 ミサキの作業を手伝いながら、稔は野菜と肉を切り、二つの鍋に均等に放りこむ。片方は甘口、もう片方は辛口用だ。適度に火が通ったら、水を注ぎいれる。両方の鍋にローリエを加え、後は煮込む。きっちり二十分、台所の後片付けをしていればすぐだ。


 稔がまな板を洗っていると、ミサキが尊敬の眼差しで稔を見上げてきていた。


「あの、上田さん、すごいですね」

「何がですか?」

「料理上手なところです! お母さんみたいですね!」

「あはは……七年も独り暮らししていれば、多少はできるようになりますよ」

「僕もそんな風になりたいなぁ」


 ぽつり、とミサキが溢したその言葉は、稔に一つのことを思いださせた。


 性別不詳。ミサキのプロフィールに書いていた謎の言葉だ。巻上もミサキの性別は曖昧だと言っていた。


 不詳や曖昧、たとえばトランスジェンダーなどならそう巻上は書くはずだ。そうではなく、本当に性別が決まっていない存在、という意味だとすれば、先の発言も若干意味合いが異なってくる気がする。とはいえ、稔は純粋に興味から尋ねてみることにした。


「ミサキさん、そういえば、性別がまだ決まっていない、って、どういう意味か聞いてもいいですか?」


 ミサキは一瞬きょとんとして、稔の質問の意図を分かりかねる、という表情を作ったあと、何かに納得したように答えはじめた。


「えっと……僕たちは成人するまでに性別が決まるんです。そういう体質っていうか、僕も聞きかじっただけの知識なんですけど、使う魔法の系統で大体成人後の性別が分かる、っていうか」

「ふむふむ」

「ただ、僕は子供でも使える能力向上系の魔法しか使えないので、まだどっちかは分かりません。多分、男になると思いますけど……ほら、僕って外見もあんまり男らしくないので、どうなのかなぁ、って」


 ——確かに、ミサキをぱっと見で男だ、と思う人間は少ないかもしれない。かと言って女と判断するには声が低いし、所作が女性らしいかといえばそうでもない。


 あまりこだわりすぎても人生の選択の幅を狭めるだけだな、と稔はそれ以上深くは考えないことにした。言い出した本人として、話は終わらせる。


「どちらにせよ、ミサキさんが納得するほうになるといいですね」

「はい、そう思います」

「でも、料理はできて損はないですよ」

「そうですよね……元の世界に帰ったら、きちんと手伝いしなきゃ」


 もうそろそろ、二十分が経とうとしていた。

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