第13話 八月二十八日の業務 その四

 午後三時、雑司が谷のアパート二〇五号室。


 巻上とコーダが訪ねてきた。コーダは相変わらずパーカーを目深に被り、サングラスとマスクをしている。


 巻上の手には、ビニール袋に入った百均で買ったらしき黒のマーカーと白い厚紙があった。それをローテーブルに取り出して、サングラスとマスクを脱いだコーダの前に差し出す。


「ありがとう」


 か細い声でコーダは巻上に礼を言う。ローテーブルの対面に座っているミサキは、コーダの褐色の肌と金目という外見が珍しいらしく、見惚れていた。


「いえいえ。さて、ミサキさん」

「は、はい!」


 気を取り直して、ミサキは背筋を伸ばす。


「今からコーダさんに、ミサキさんの住んでいた世界への交信を試みてもらいます」

「そのためにはあなたの魔力も必要だから、使わせてもらうわ」

「とのことです。その魔力を辿って、ミサキさんの血縁者を探すんでしたよね?」

「そう。慣れないとかなり疲れると思うから、覚悟してちょうだい」


 息ぴったりの巻上とコーダの説明を、ミサキはこくこくと頷いて聞いていた。


 コーダはマーカーで厚紙にさらっと魔法陣らしきもの——円に六芒星と複雑な文字を描いていく。後ろで見ていた稔は、手際の良さなら清花と同じかそれ以上かもしれない、と思った。


 あっという間にできあがった魔法陣の厚紙をローテーブルの上に置き、コーダはポケットから取り出したカッターで左手親指の腹を薄く切る。じわり、と赤い血が滲み、魔法陣の中心に左手親指の腹を押しつけた。


 その様子を見て、ミサキは体ごと後ろに引いていた。厚紙に吸いこまれていく血が、中心の小さな円を満たしたころ、コーダは手を右手に替え、手を広げてミサキに指示を出す。


「上に右手を乗せて」


 血は見えない。だから大丈夫、とばかりのコーダの指示に、おずおずとミサキは真っ白い右手を乗せた。


 すると、コーダは聞き慣れない言語を呟きはじめる。


 それに呼応するかのように、魔法陣に濃紺の光が巡ってきた。やがて魔法陣全域に濃紺の光が立ちのぼると、ミサキの手ごと包み込む。


「痛っ……!」

「大丈夫、血は出ない。今、あなたの親族を探しているところ、静かに」


 コーダの言葉に、ミサキは不安そうな顔を隠していなかった。


 一方、巻上はさっさとコーダの左手親指に絆創膏を貼っていた。対応が早い、というより手順を知っているかのような行動だ。


 稔は部屋の隅に突っ立って、その様子を見ているだけだ。清花のときと同じで、魔法を使っている最中は邪魔をしてはいけない、と分かっている。とはいえ、手持ち無沙汰なことには変わらない。スマホの画面を見ると、午後三時十分。この調子なら、そう時間はかからないだろう、と稔は思った。


 コーダは、稔たちの耳には言語であることしか分からない言葉を呟きつづける。


 どのくらい経っただろう。一分、二分程度だと稔は思った。


 どこからか、声が聞こえてきた。


「……n……ko……wi」


 聞いたことのない声。途切れ途切れの言語節。しかし、ミサキの反応は大きかった。


「これ、もしかして!」


 ミサキの満面の笑み。おそらく、聞き覚えのある言葉だったのだろう。


「あなたの世界の言葉で話しかけて」

「はい!」


 今度はミサキが、稔たちには言語としか分からない言葉を紡ぐ。


 魔法陣へ一生懸命に語りかけるミサキの声は、期待と歓喜で浮ついていた。それでも、どこかからか聞こえてくる雑音混じりの言葉の相手と、対話している。


 一心に、声を大にして言葉を投げかけるミサキ。


「saniohesekel,aeraenoouw,wawpiuyum」


 稔に聞き取れたのは、そこだけだ。第一、稔は英語のリスニングすら苦手だ。多言語習得できる人間を心から羨ましく思う。


 そんな稔の心内はともかく、ミサキは嬉しそうだ。ひょっとすると本題を忘れているのかと思うくらいに。


 それはコーダも思っていたらしく、ミサキはコーダに睨まれて、話題を変えるように語調を変えた。


 しばらく話しこんでいたミサキだが、特に気落ちすることもなく、最後まで話しおえたらしい。


「もういい?」

「はい、大丈夫です」


 コーダは短く何かを呟く。


 それだけで、魔法陣を包んでいた濃紺の光は一瞬で消え去った。


 驚くほどあっさりと終わった交信は、どうなったのだろうか。稔よりも先に、巻上が尋ねる。


「どうでしたか?」

「ええと、まず、家族に僕であることは信じてもらえました。それと、街の魔法使いの人に急いで話をつけてくれると」

「それはよかった。その魔法使いについては、何か分かりましたか?」

「僕の祖父が、その魔法使いと知り合いでした。異世界に渡ったこともあるそうです」

「なら、安心ね」

「それから、あちら側で戻れるように魔法陣を描いておいてくれるよう伝えておく、と。僕が引っかかった魔法陣については、向こうでも相当話題になっていたらしくて、その魔法使いの人が調べていたそうです。ただ」

「ただ?」

「僕以外にも、行方不明者が何人かいるそうです。比較的近くで見つかった人もいれば、僕みたいに他の世界に行って、自力で戻ってきた人もいて……誰が何のためにそんなことをしたのか」


 何やら不穏な話題に、巻上とコーダは目を合わせて、そしてこう言った。


「とりあえず、それは置いておきましょう。私からニニ局長に伝えておきます」

「そうね、それがいいわ。どのみち私たちでは対処できない」

「ミサキさん、あと三日の辛抱ですから、我慢してくださいね」


 巻上の励ましに、ミサキは首を縦に振った。


「分かりました、ありがとうございます」

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