第9話 八月二十五日の業務 その三

 八月二十五日、午後。


 稔が管理一課に出勤したところ、珍しく巻上が机に着いていた。さらに珍しいことに、課室には稔と巻上しかいない。


 巻上は稔を見つけると、片手を挙げた。


「ちょっといいですか、上田さん」


 ちょいちょい、と巻上は稔の椅子を手で指し示す。座れ、ということだろう、稔は大人しく従った。


「何でしょう?」

「ミサキさんのことですが」

「何か分かりました?」


 若干身を乗り出して、稔は問う。しかし、巻上は首を横に振った。


「いえ、ニニ局長と話してみましたが、ミサキさんの元の世界を辿るまでには至っていません。そもそも、ニニ局長はそういうの、不得手ですからね」


 ——それは薄々、気づいてた。


 そう思ったが、稔はあえて言葉にしなかった。ニニも努力している。


「でも、ミサキさんはそれを期待して」

「ですので、他の方法も考えます」

「他の方法?」

「今はまだ秘密ですが、一応手を考えてあります。ただ、上手くいくかどうかは今後の交渉次第なので、期待を持たせるようなことはしたくありません」


 交渉とは一体誰と何をしているのか、と稔は問い詰めたかったが、押しだまる。稔が聞いたところで何ができるわけでもない、と分かっていたからだ。


 巻上は机の上にあった缶コーヒーを開けて飲む。一服した後、稔にこう告げた。


「ミサキさんは一刻も早い帰還を希望されていますが、上田さんもそれに気持ちが釣られてしまっては困ります。とにかく落ち着いて、腰を据えて待つことが肝要です。まあ、本人には言いづらいことですが……時々殴られたりもします」

「殴られたんですか!?」

「逸る気持ちは分かりますから、しょうがないですよ。ああ、これでも昔柔道をやっていましたので、避けるくらいはできます。魔法はどうにもなりませんが」


 格闘技経験など何一つない稔には、殴られる時点でどうしようもない。


「……けっこう危険な仕事じゃないですか」

「言葉が通じるなら、話して分からない人はそうそういませんから、大丈夫ですよ」


 巻上は呑気に言う。微妙に緊迫感や説得力に欠けるのは、巻上の呑気さのせいだろう、と稔は思わなくもなった。しかし、けっこうな荒事にも対処してきただけはある。まだ新人の稔はその巻上の経験を信じるべきだろう。


「それで、今日のミサキさんの様子はどうでしたか?」

「あ、はい」


 稔はミサキがパソコンの扱いに慣れたこと、二年前の異世界人のブログを探し当てたこと、そのブログで公開されている魔法は使えないこと、そして英語の学習を約束させたことを巻上へ話した。


 巻上は一つ一つ頷いて話を聞き、こう答えた。


「案外、ミサキさんの学習能力は油断できませんね。上田さん、下手なことを言うと魔法でやられますよ」

「はい……魔法で筋力の向上とか言ってましたもんね」

「腕一本くらいで済めばいいですね」

「いや本当にやめてくださいよ! 何かアドバイスありませんか!?」


 稔は必死だった。腕一本、想像するだけで痛い。


 片や、巻上はいつものことだと言わんばかりに、抑揚のない調子で話す。


「できるだけ気を逸らさせるしかありませんね。こちらも急いで交渉を行いますので、それまで我慢してください」

「もし僕に何かあったらどうしましょうか」

「服部さんを派遣します」

「やめてください、余計に面倒が増えます」

「何が余計だって?」


 稔は椅子ごと回って振り返る。


 そこには服部がいた。腕を組んで仁王立ちしている。なぜ稔の背後に、という疑問よりも、何となくトラブルを期待して管理一課のほうへ来たかのように思えた稔は、首をぶんぶん横に振る。


「いえ! 服部さんの出番はないです!」

「決まるの早ぇな、おい」

「ちょうどよかった。万一ミサキさんに上田さんがやられたら、担当を服部さんに変更しますので」

「やめてあげてください! ミサキさんに悪意はないはずです!」

「お前、必死だな」

「必死にもなりますよ! いくらミサキさんが魔法を使えるからって、服部さんに敵うわけないじゃないですか!」


 服部は目線を巻上に送る。巻上は意を察して「多分」と答えた。 


「大丈夫だよ、俺はどっちかってぇと人間以外との戦闘のほうが得意だからな。人間相手だったら手加減するに決まってんじゃねぇか」

「まったく安心できる要素がないんですが」


 服部の謎の自信はどこから来るのだろうか、と稔が遠い目で椅子を服部にくるくる回されていると、内ポケットに入っていたスマホが鳴動した。


 ミサキからのメールだ。午前中、稔がメールアドレスを作ってやっていたのだ。


 メールの中身は、『スマホの契約ってどうやるんですか?』だった。ミサキ、スマホをご所望のようである。


 横から眺めていた巻上が一言。


「いるんですよね、やっぱり便利だからスマホが欲しい異世界人の方」

「……ミサキさん、早く帰りたいんじゃなかったでしたっけ」

「まあ、残念ながら長期在留者でないと契約はできませんので、その旨を伝えてあげてください。最近はけっこう携帯電話の契約関係が厳しいんですよ」

「分かりました、伝えておきます」


 稔はさっそくミサキへ返信する。ついでに、土日は休みなので出向けないが、何かあれば連絡するように、とも打っておいた。


 ミサキからの返信は、しょんぼりした顔文字だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます