第3話 八月二十四日の業務 その三

 局に戻った稔と巻上は、特に叱られることもなく蔵野から「おかえり」と言われた。巻上はやはり呑気に「ただいま戻りました」と言っていた。巻上はひと月ぶりの職場出勤でも特に思うところはないようである。


 巻上は自分の机に着くと、ノートパソコンを開いて資料のファイルを探していた。


「ええと……報告書、報告書」

「巻上さんがいつも送ってくる報告書でしたら、一課のレポート全般の中に専用フォルダがあるはずですよ」


 そう言ったのは巻上の斜向かいに座っている倉橋だ。倉橋なら管理一課のすべてのデータの在り処を知っていてもおかしくはない。


「ありがとうございます。あ、本当だ、あったあった」


 二、三度マウスを動かし、巻上はお目当てのファイルを見つけていた。


 そして複合コピー機にデータを送り、印刷する。A4用紙五枚の資料を、稔は素早く取ってゼムクリップで留める。すぐに次の印刷が始まろうとしていたからだ。


 巻上は「ああ、いけないいけない」と呟いて、倉橋に尋ねる。


「倉橋さん、何か色のついたクリアファイルない? 中身が見えにくいやつ」

「ありますよ。ちょっと待ってくださいね」


 倉橋は自分の机の袖の引き出しから、黒くて透明度の低いA4サイズのクリアファイルを取り出した。倉橋の机は本当に何でも揃っている。巻上はそれを受け取り、稔に渡す。


「じゃあ、中身パラパラっと読んでください。そのあと現地に一緒に行きます」

「はあ、分かりました」


 稔は巻上の隣の机に着き、資料の冒頭、異世界人のプロフィールから読む。


 担当異世界人の現地氏名は『ミサキ』。現地氏名というのは異世界人の言葉での氏名が分かりづらいとき、日本での生活上不便を生じさせないため付ける通名のようなもので、本名とは異なる。とはいえ、近い発音の不自然でない日本語が選ばれるので、異世界人たちには概ね好評だという。


 写真などはなく、年齢不詳、性別不詳、髪の色明るい茶色から黒、目の色茶色から赤色、渡航目的別紙参照、と分からないことだらけだ。資料の一枚目で分かったのは名前と髪の色と目の色だけだ。


 二枚目から四枚目は、発見場所や通報者氏名、魔法陣の画像と消去確認印、異世界人の現住所と地図——肝心な滞在開始日時が書かれていた。二〇二三年八月二十日とある。『ミサキ』がこちらの世界に渡航してきたのはほんの四日前だ。だから巻上は自分へ任せる気になったのだろうか、稔は首を傾げる。


 そして最後、五枚目。渡航目的が書かれていた。巻上がまとめた『ミサキ』の証言録だ。要約すると、『偶然こちらの世界に来てしまった』とのことだった。


 稔は巻上のほうへ向き直り、五枚目の渡航目的について尋ねる。


「あの、巻上さん。この偶然こちらの世界にって、どういう状況なんですか?」

「それはですね、元々いた世界が魔法の発達した世界で、異世界に渡ることが当たり前だったそうなんですよ」

「はあ」

「そんな感じだから、使用済みの魔法陣の放置が社会問題になっていて、落とし穴のように異世界へ飛んでしまう事件が多発していたそうです。で、ミサキさんはその被害者です」

「……一大事じゃないですか」

「一番いいのは、元の世界の人が迎えに来てくれることなんですけどね。無数にある世界のどこに飛んだのかも分からない状況では、なかなかそれも難しいらしくて、とりあえずこちらの世界に留まるしかない状況です。ついでに言えば、ミサキさん、年齢を数える習慣がなかったそうで、年齢も分かりません。性別も曖昧です」

「そんなこと、あるんですね」

「異世界人ではよくあることです。じゃあ、そろそろ行きましょうか」


 巻上は立ち上がり、蔵野に「上田さんを案内したら他の異世界人のところを回って直帰します」と伝えていた。蔵野は鷹揚に頷き、「熱中症には気をつけろよ」と言っただけだった。


 稔は巻上の後をくっついて、管理一課の課室を出ていった。

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