第二部 第一章 異世界人ミサキ

第1話 八月二十四日の業務 その一

 二〇二三年八月二十四日、そろそろ自分の得意分野が分かってもいいんじゃないかな、と稔は思っていた。


 上田稔うえだみのる二十四歳独身、職場は内閣府異世界通行管理局管理一課、いわゆる公務員である。ただし平もいいところで、異動初年度ということもあって同じ課の期間業務職員である倉橋美千代くらはしみちよよりも在籍期間が短い。つまり下っ端である。


 この茹だるような夏の日、稔に与えられた仕事は、巻上まきがみという先輩職員を探しだすことだった。人探し、異世界通行管理局の仕事だろうか、いや仕事には違いないのだが、稔はどこか納得できないでいた。


 とはいえ、巻上が大体どこにいるかは聞いているので、地下鉄で目的地まで行く——はずだったのだが、直前に場所が変更になった。管理一課課長である蔵野からの情報提供により、日本武道館前にいることが分かったのだ。


 ——この暑いときに、なぜそんなところにいるのか。


 午前十時だというのに気温はすでに三十度超え、特に涼むところのない日本武道館前にいるなどと、ちょっと俄かには信じがたい話だが、稔の信頼できる上司からの情報提供だ。間違いはないだろう、と観念した稔は、国会議事堂前駅から千代田線に乗り、大手町で半蔵門線に乗り換えて九段下駅へ行く。駅の長いエスカレーターを昇りきり、駅の入り口から出た瞬間、額に汗が吹き出した。ハンカチで顔中の汗を拭き取って、古式ゆかしい田安門を通り、緩やかなカーブに沿って日本武道館の前へ辿りつくと、ちょっとした人だかりができていた。


 日傘を差す人で前がよく見えないし、歓声で何が起きているのかも稔には分からない。仕方なく、人だかりを回りこんで見てみると、そこには五つの同じ顔をした子供がちょっと派手めな衣装を着て手を振り、アイドルの流行歌を歌っていた。


 まあ可愛らしいと言えなくはない、と稔は思えたが、問題はその子供の髪の毛の色が薄い緑色で、肌は透けるように白いことだ。それにこの炎天下の中、汗一つかいていない。何かがおかしい、と思って稔がよくよく観察していると、後ろに引率者らしき一人の男性——子供の引率者なのに、サラリーマン風の二十代半ばくらいの随分中性的な顔立ちの男性——が日傘を差していた。         


 やがて子供たちが歌いおわると、また拍手と歓声が湧きおこる。


「ありがとー! 暑いから今日はここまで!」


 五重の高く甘ったるい声が響く。特に投げ銭などを要求しているわけでもないし、子供のやることだ。誰も注意はしていなかった。


 人がまばらになった頃合いを見計らって、稔は日傘を差した引率者らしき男性に声をかける。


「あの、巻上さんですか?」

「そうですが」

「管理一課の上田稔と申します。初めまして」


 そう言うと、巻上は「あー」と得心がいったような声を出した。


「メール見てます?」

「いや、今日はこの子の付き添いで朝から忙しかったから、見てません」

「この子?」


 ちょいちょい、と巻上は稔と五つ子たちを武道館の脇の日陰へ誘導する。日なたと違って、涼しい風が吹いていた。


 わらわらとついてきた五つ子たちは、おかっぱを揺らしながら日陰に入ると、わーっと一ヶ所に集結し、気がつくと一人の少女となっていた。稔は目を疑う。さっきまで幼稚園児くらいの五つ子がいたと思ったら、高校生くらいのショートヘアの少女一人になった。さっきのちょっと派手めな衣装も、少女のサイズに合わせて巨大化していた。


 驚く稔に、巻上は説明する。薄い緑色の髪の少女は笑っていた。


「彼女はそういう異世界人なんですよ。分裂ができるタイプ。詳しい説明は省くけど、まあ、こちらの世界の歌に興味があるみたいで、ああやってたまに路上ライブをするんです。で、憧れの武道館に来てみたいと言ったから、付き添いです」

「ぶ、分裂? ライブ?」

「そういう目的の異世界人もいるってことです。あ、今メール確認しますんで、ちょっと待ってください」

「はあ」


 ベンチに座り、巻上はスマホを片手で操作する。稔は自販機のお茶を三本買い、少女に手渡し、巻上の座っているベンチの上に置いた。何せ、暑いので、稔が自分だけ飲むのは悪い気がしたからだ。


「ありがとうございます。上田さん」

「ありがとー!」


 巻上はスマホ画面から目を離さずに、少女は愛くるしいと思われる仕草でそれぞれ感謝の意を示した。


 少しして、巻上はため息を吐きながらスマホの画面を閉じた。おそらく、蔵野からのお叱りメールが来ていたのだろう。


「……そろそろ課室に出勤しろ、と」

「いつから行ってないんですか?」

「ええと……一ヶ月前に一応出勤して、担当異世界人の報告はしたんですが」

「ちなみに、何人なんにん担当してるんですか?」

「常時五十人ほどです」


 ——五十人!?


 そんなに異世界人がいるとは、稔は聞いていなかった。

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