第43話 七月十三日 その二 《儀式編》

 約三十分、正確には午前九時五十七分、清花の魔法が発動してから二十五分後。


 清花の唇が動いた。


「……見つけた」


 そのまま、清花の両手は水面にでも突っこんだかのように、床に肘まで入りこむ。


 部屋全体に散らばっていた淡い青い光が、清花の腕の周辺に集中する。


「ぐぅうううッ!」


 それはまるで獣の威嚇の声のようで、清花の喉から出ている音だと、稔は信じがたかった。清花の目の前に置いていた紙袋が、がたがたと揺れる。早く出せ、と言わんばかりのそれは、ついに袋ごと横に倒れ、中から一つの箱が転がってきた。


 ころん、と転がりでてきたその箱を、清花は床の水面から血塗れの左手を取り出して、蓋を開けて中身を掴む。


 中身は、白っぽい透明な髑髏だった。清花は髑髏の頭頂をむんずと掴むと、また魔法を唱えはじめた。


「波木清花が命じる。水晶髑髏よ、その魔力を寄越せ!」


 清花が掴んだは強烈な紫色の光を発し、その光は清花の腕へと流れこんでいく。水晶髑髏はしばらく独りでに激しく揺れていたが、だんだんと大人しくなり、発光が止まると同時に動きも止まった。


 もう一度、清花は床の水面に左手を突っこむ。今度は深く肩まで潜りこんだ。


 ——一体全体、どうなっているのか。


 稔は理解の範囲を超えた目の前の清花の行いを、呆然と見ているしかなかった。


 それからほんの数十秒後。


「捕まえた!」

「え!?」

「波木清花が命じる! 私の世界よ、お前を傷つけた者を引きずりだせ!」


 清花の腕が、思いっきり引きあげられる。


 その腕の先、血塗れの手の先には——誰かの手があった。


 清花はその手を掴んで離さない。いや、清花の腕からは、幾筋もの青と紫の光が、その手に絡んでいた。


 釣りあげられたその手は皺だらけで、徐々に床の水面から這いでてきたその手の主は、一人の老人だった。全身を覆うローブを着こみ、その胸には金色の勲章らしきものが無数にくっついていた。


「逃さない! 波木清花が命じる! 私の傷よ、その罪を手で、足であがなわせろ!」


 清花の両手から、淡い青い光が老人の手足に絡みつく。それだけではない、絡みついた光は老人の骨肉に食いこみ、叫び声を上げる暇もなく「波木清花が命じる! 私の傷よ、その口を閉じさせろ!」という詠唱によって、青と紫の光の猿ぐつわが老人の口にかけられた。


 老人は目を見開き、稔を見た。そして、床に転がったまま、清花を見ている。


 清花は肩で息をしながら、床にへたり込んでいた。相当、疲労したらしく、油汗が額に滲んでいる。


「はあ、はあ……こいつだよ、こいつが犯人。急いで、局長さんに来てもらって」


 稔はすぐにスマホを取って、ニニへ電話をかける。


 ニニはワンコールで電話口に出た。そして稔よりも早く、問いかけてくる。


「こちらでも異変を感じた。何をした?」

「清花が京都駅の事件の犯人と思しき老人を捕まえました! ニニ局長に来てもらいたいとのことです!」

「何だと? 分かった、すぐに行く」


 そう言って、ニニは一方的に電話を切った。


 すぐ、というのは、本当にすぐだった。


 電話を切った直後、清花の後ろにニニが立っていたからだ。


「こいつか。なるほど、血生臭い」


 ニニは清花の両肩を掴み、何かを呟く。


 すると、清花の両腕から発せられていた青と紫の光が消えた。そのまま清花はニニの胸の中に倒れこむ。


 稔は慌ててベッドから降り、清花の体を受け取る。清花は眠っているようだったので、ベッドにそろりと寝かせた。


「傷、血の匂い、魔力の残滓ざんし、世界の波長。なるほど、こいつが犯人だと推定するに足る証拠が揃っている」

「ということは」

「落ち着け。我々はこいつを裁くわけではない」


 ニニは床に転がっていた水晶髑髏を手に取り、老人へと顔を向ける。


「まずはこれ以上悪さをしないよう、封じておく」


 老人の顔が引きつった。


 絶望の色で染まったその顔は、稔に助けを求めるかのように視線を送ってきたが、稔は特に感情も込めず、睨みかえしただけだった。


「時と波紋と現世の精霊、ニニブルカ・クンク・エフエジンが告げる。水晶髑髏よ、悪しき精神の持ち主を内に封じこめたまえ。そしてその肉体を貪るがいい」


 ニニがそう唱えると、水晶髑髏は稔の体ほどに巨大化して、老人の体を噛みくだきながら、飲みこんでいった。


 ばき、ばき、と骨が砕ける音。ぶちん、と肉が千切れる音。容赦なく、巨大化した水晶髑髏は血を啜り、かつて老人だったものの足の指先までその口内に放りこむと、ぷっと何かを吐きだした。それは老人が胸につけていた、金色の勲章たちだった。


 スプラッタ、というにはあまりにも呆気なく、冗談、というにはあまりにもリアルな光景。


 稔は、ニニの手元で元のサイズに戻った水晶髑髏が黒く染まっていることに気づいた。黒い水晶髑髏からは、唸り声のようなものが聞こえる。


 ——まさか、水晶髑髏の中で生きている?


 稔は怖気の立つ想像を頭から払った。なるべく、考えないようにした。


「ふむ。まあ、犯人であろうとなかろうと、こいつが悪人であったことには間違いがないようだ」

「そ、そうですか」

「上田君、今日は波木清花を看てやりなさい。そして明日の朝、彼女を連れて私のところに来るように。犯人の話を聞く必要がある」

「分かりました、明日伺います」

「うむ」


 ニニは満足したように、黒い水晶髑髏を持って玄関から出ていった。

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