第42話 七月十三日 その一 《儀式編》

 七月十三日、朝九時。


 幸いにも金縛りには遭わなかった稔は、相変わらず朝御飯をたかりに来ていた服部にホットサンドを食べさせて出勤させ、低血圧で呆けている清花を起こしていた。二人とも、一応は年上なのに年下に甘えすぎなのではないだろうか、と稔は思わなくもない。


 服部が出かけて三十分後、清花はやっと目が覚めて、支度を整え——スウェット姿のままだが、外に出るわけではないのでそのままで——『世界に空いた穴』の観測の準備を始めた。ことここに至っては稔が手伝えることはないので、邪魔にならないようカーテンを閉め、ベッドの上に胡座をかいて座っていた。


 清花はA4コピー用紙にいくつもの丸と図形、見たこともない文字を素早く描き、十五枚の魔法陣用紙が完成した。部屋のあちこちにそれを置き、エアコンの風で飛ばないよう時計やリモコンなどで重石をする。クローゼットから杖を取り出し、例の紙袋とともに部屋の真ん中の床に座り込んで、緻密に描かれた二枚の魔法陣用紙を前に腕まくりをする。


「ここからどうするの?」


 稔が問いかける。一応、観測というからにはその様子もレポートしておこう、と思って稔はノートパソコンのエディタを立ち上げていた。


「まず、『世界に空いた穴』を見つけるところから始めるの。これが神経を一番使うから、三十分くらい静かにしててね」

「分かった。その次は?」


 稔は立ち上げたエディタに清花の話を一言一句漏らさず打ちこんでいく。


「発見したら、その穴と繋がってる——犯人がいるはずの別の世界Aへ私が腕を伸ばして、何らかの証拠品を採取する。そうすることで、こちらの世界と別の世界Aは一時的に、かすかだけど繋がりができる。この世界だ、って印をつけるようなものだね。後は、その世界に乗りこむなりして、犯人を見つける」


 世界に乗りこむ、何だか物騒な話になってきた、と稔は懸念する。


「直接乗りこむのか。危なくないか?」

「仕方ないよ。私しか犯人が分からない、えーと、京都駅の事件で生贄になった『私につけられた傷』を頼りに、気配を辿るしかないの。もし」

「もし?」

「犯人が死んでたら、どうしようもないけど」

「それはそうだね……とはいえ、生きてても、罪は裁けない」

「うん。だから、話を聞くだけ。局長さんに引き渡してもいい。精霊なりのけじめのつけ方があるだろうし」

「そうか、そういうのもあるのか。相手が抵抗したら、どうする? 僕一人で捕まえられればいいけど」


 このとき稔は、聞かなければよかった、と後悔する羽目になる。


「そのときはさすがに殺すよ。大丈夫、死体は世界と世界の狭間に捨てるから」


 清花は冷徹な声で、そう言い放った。


 ぞくり、と稔は背筋が凍る。清花の言葉は、真剣そのものだったし、それに、犯人は——。


 ——ああ、そうか。さやちゃんにとっては、皆の仇なんだ。


 協力すれば殺さないだけ温情、と言っていいかもしれない。この場に服部がいれば、犯人をどうしていたかなど、想像するまでもない。


 清花は杖を二枚の魔法陣用紙の上に置き、両手のひらをそれぞれの用紙にくっつける。


「じゃあ、始めるよ」


 清花のその言葉とともに、十五枚の魔法陣用紙が淡い青の光を発しはじめた。


「波木清花が命じる。私の傷により、私の友を、私の運命を陥穽に落としいれた罪を償う。守るべき世界に問う、私のこの血が導く世界の傷を見せよ」


 は床から這いでてきたかのようで、青い光の刃のようなものが清花の両手の中心を貫いた。


 稔は咄嗟に声を出しかけて、手で口を塞いだ。静かにしていなくてはならない、清花の言葉を思いだしたからだ。しかし、清花の両手からは、血液が幾筋も細く伸び、紙に垂れている。


 清花は呻き声一つ上げない。頬を汗が伝っているだけで、じっとしていた。


 ——このまま三十分、清花の体は保つのだろうか。


 稔はただ、待つしかなかった。

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