第36話 七月十日 その一 《決闘編》

 七月十日、午前十時前。


 稔と清花は、異世界通行管理局長室のソファに座っていた。対面にはニニがいる。


 いつもどおりの灰色のスーツ姿のニニは、花弁と蔦の絡んだ巻き毛を指先でいじりながら、清花を見ている。一方の清花は、お気に入りの白いワンピースに稔の厚手のカーディガン姿と、冷房の効きすぎた局長室対策を決めてニニへ睨みかえしていた。一応、稔も仕事中なので私服というわけにはいかず、スーツ着用なのだが——何だか、寒い。悪寒だろうか、それとも二人の睨み合いのせいだろうか。さりとて、稔からは話を切りだしづらい。


 先手を打ったのは、ニニだった。


「さて、君たちにご足労願ったのは、直接話を聞きたかったからだ」

「話って、どんな類の話ですか?」


 清花はつっけんどんに答える。稔が止めようとすると、清花の右手で何気なく制されてしまった。


「その様子だと、私が上田君に送った私見を見たようだな?」

「本当に私見でしたね。公式見解なんてないと思いますけれども」

「ああ、ないな。そもそも、私の意見を上がまともに受け入れるわけがない。以前、『異世界人』の来訪を止められなかった件でお咎めが来たほどだぞ、上の無知さは。それに、選挙前にうちと関わり合いになる暇のある政治家は多くない。この間は政務官が来たが、まあ、無難に帰っていただいたよ。近頃の政治家は本当に、ネット上の情報を鵜呑みにして困る」


 政務官、つまり国会議員様が一体何の情報を鵜呑みにしていたのだろうか。稔はちょっと気になったが、清花の手前、尋ねるのはやめておいた。


「上田君、君の悪い癖だな」

「は? え?」

「聞きたいことがあれば素直に聞けばいい。この間の政務官などは、局に幽霊や異世界人が本当にいるのか、などと開口一番に言ってきて、蔵野を苦笑いさせていてな」

「……もしかして、お札で見せたりしました?」

「ああ、倉橋が退治するところも見せた。坂東に取り憑いていた霊魂が政務官に向かっていくものだから、悲鳴を上げかけてな」

「そんなことが聞きたいわけじゃありません!」


 清花がついに怒った。


「どうしてすぐに京都駅の事件の後、私たちが飛ばされたあちらの世界を特定しなかったのですか!?」

「無茶を言うな。こちらの世界中に魔法陣が出現して、世界と世界の狭間のそこかしこに穴が空いていた状態で、一つ間違えれば私とてどこの世界に落ちるか分からない有様だったというのに」


 ニニは眉根を寄せて、足を組む。頬杖をついて、まるで清花と視線の高さを合わせるように背を曲げた。


「第一、私が制御した渋谷の魔法陣が、もっとも被害者数を出す可能性が高いものだった。京都駅の魔法陣をどうこうしようにも、私が行ったときにはほぼ消去されていたし、それよりも渋谷の魔法陣を今後も管理していくために政府と交渉するほうが優先順位が高かった」


 ニニの言い分は、政府の役人の立場としては妥当な判断だろう。だが、京都駅の事件の被害者と親族——稔と清花からすれば、まったくもって他人事扱いをされている、と憤ること請け合いだ。特に、悲惨な体験をして、なす術なくクラスメイトや担任教諭がいなくなり、命が失われていくさまを目の当たりにしている清花には、到底受け入れられることではないだろう。


 ただ、いつでも現実主義、合理主義が支持されるというわけではなく、感情論が勝つこともままあるのが人間だ。


「それで私が納得すると思いますか」

「現実は厳しいということだ。精霊たる私がいたところで、できることは限られている」

「だったら! どうして今まで犯人を探すことすらしていないのですか!」


 声を荒げる清花とは対照的に、ニニは淡々と述べる。


「今言ったとおり、優先すべきは渋谷の魔法陣の管理だ。あれが一度でも暴走すれば、この世界はそれこそモンスターと霊魂蔓延る最悪の異界と成り果てる。だから管理しつつ改造を繰り返し、ようやく」


 パァン、と乾いた音が響く。


 清花がニニの左頬をビンタした音だ。


 稔は目を剥いて、清花とニニを交互に見る。


 清花は思いっきり叫んだ。


「あなたは私たちを見捨てたんだ! 人間じゃないあなたに、人の命の価値が分かるもんか!」

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