第35話 七月七日 その二 《疑念編》

 稔は、帰ってきた服部に、どうやってこちらの世界へ戻れたのか、詳細を聞いてみることにした。


「そりゃあれだ、偶然だよ」

「……どうして偶然って言い切れるんですか?」

「ニニ局長がそう言ったから」


 どうやら、服部はそこに疑問を抱くことはないようだった。


 炊きたての白飯にふりかけを振って、服部は口の中に掻きこむ。時折、豚の生姜焼きにも手を出す。稔と清花はため息を吐いた。


「おい、何でため息吐くんだよ」

「いえ、服部さんはニニ局長のこと、随分信用してるんだなぁ、と」

「いや、信用はしてねぇぞ。別に」

「でもさっき」

「あくまで、俺がその手の話は門外漢だから、最初に聞いたニニ局長の話を鵜呑みにしてる、ってだけだよ。もし清花がそれ以上に納得のいく話をしてくれるってんなら、俺は迷わず清花を信用するからな?」


 キャベツの千切りをばくりと大口で食べながら、服部は勿体振らずに言う。正直すぎるが、そういう性分なのだろう。


 清花は何とも言えない表情をしていた。


「拳次君にも分かるように説明しなきゃいけない、っていうのが……ネックかな」

「おいちょっと待て、どこまで俺が馬鹿だと思ってんだ」

「馬鹿じゃないけど門外漢でしょ」


 清花はぴしゃりと言い放つ。段々、服部への遠慮がなくなってきた。


「……おう、そうだな」


 服部、自分の言葉で墓穴を掘っていたことを素直に認めた。


 稔は両者のやり取りを黙って聞いていた。ついでに、服部の箸が稔の豚の生姜焼きの皿に伸びそうになっているのを見逃さなかった。稔がそっと皿を手前に引くと、箸は自然と退がった。


「簡単に言うとだよ?」

「おう」

「精霊って、世界と世界の狭間に住んでるものでしょ? じゃあ、何の利益があって局長さんはこの世界にいるの?」

「利益ってそりゃあ……何だろうな?」

「何でいるかも分からない精霊の言うこと、頭から信じる? 結局信じるしかないのは分かるけど、局長さんがあっちの世界に転移した私たちを助ける義理って、ある?」

「おいおい、清花、ニニ局長もそこまで鬼じゃねぇ。いや鬼より鬼だけどよ、少なくとも義理人情で動く性分じゃあないよなぁ。でも、魔法陣の改造やらで京都駅の事件の被害者を助けようとしてるのは事実だろ」

「どうして助けるの? 他にも一連の魔法陣の事件で失踪した人はいくらでもいるよ」

「……助けやすいから、とか?」

「どうして助けやすいの?」

「いや知らねぇよ」

「私は魔法陣が改造されて、世界と世界の狭間で手がかりを掴んだから帰ってこられた。でも拳次君の場合は、そうじゃなかったはずでしょ。偶然の一言じゃ済まないよ、それで済むんだったら私が費やした十年は何だったの?」


 清花の矢継ぎ早の質問攻めに、服部は両手を前に出して制止した。


「待て待て。つまり、何だ、お前はニニ局長が何か隠してる、って言いたいのか?」

「それもある。もう一つは、やれるはずのことをやっていないところが怪しい、と思ってる」

「どういうところが?」

「精霊が万能じゃないことは私も分かってるよ。その上で、拳次君が戻ってきたときに、あっちの世界を辿れるはずじゃなかったのかな、ってこと」

「いや……あのときは、渋谷にドラゴンと鬼が溢れかえっててな。そりゃあ酷い有様だったんだよ、それどころじゃなかったってのが本音だろ」


 そう言われてみれば、稔は今年三月に起きた騒動のことを詳しく知らない。倉橋が大変だったと言っていたぐらいで、当事者の服部からも話を聞いたことはない。


 しかし清花は『ドラゴンと鬼が溢れかえった』という言葉だけで、ぽつりと推論を呟いた。


「魔法陣が混線してたのかな」


 稔と服部は顔を見合わせ、同時に尋ねる。


「混線?」


 清花は頷く。


「えっとね、世界と世界を繋ぐ道が魔法陣だとしたら、似た性質の魔法陣が同時に複数展開されると、全部一緒に繋がっちゃう、っていう混線現象があるの。世界を越えるほどのことだから、本当に、稀なことだけどね」


 その稀なことが、わざわざ渋谷の魔法陣で起きたという現実。


 本当は、もはや不可思議な力を操る精霊のニニにさえ、先は予測できなくなっているのではないだろうか、と稔は思った。だから場当たり的な対処しかできず、七月三日に魔法陣の改造をして倒れたことも——清花がこちらの世界に戻ってくる際の制御に負担があったのだったか——予想外の出来事だったのだろう。


 ——となると、僕たちはニニという精霊に期待を膨らませすぎてるんじゃないか。


 ニニが持てる手札のすべてを、人間側、あちらの世界を経験している服部にも見せていないということは、清花が戻ってきて初めて疑問として浮かびあがったことだ。もし、手札を見せていないのではなく、何らかの事情で見せられないのであれば、その事情とは何か。ニニ側もまた、稔を、人間を信用していないせいなのかどうか。


「何か対策を打たないと、渋谷の魔法陣でまた同じことが起きるよ」

「そりゃ勘弁願いたいところだな」


 三月の騒動は、意外にも、好戦的な服部が嫌がるほどの事件だったようだ。


 稔はそれ以上深追いはせず、清花にこう説いた。


「僕とさやちゃんがニニ局長を信用していないように、ニニ局長も僕たちのことはさほど信用してないと思う。だから最低限の情報開示だけで済ませた、でもそれは他にも何か事情があると思うんだ。必ずしも、僕たちの不利益ともならない事情が、ね。なら、これからその情報を少しずつ聞き出せばいい」


 具体的な方策こそまだないが、稔は興奮している清花にそう言うしかなかった。


 清花はむっとして、目の前の麦茶を一気飲みする。空のコップをちゃぶ台に置くと、若干不機嫌そうにまたため息を吐いた。


「稔お兄ちゃんがそう言うなら……その事情が分からないと何とも言えないし、情報次第だけど」

「心配しなくても、ニニ局長が僕たちをそう長く放っておくことはないと思うよ。こないだのメールで僕が京都駅の事件について探ろうとしているのは分かっただろうし」

「あっちから接触があるまで待つ?」

「まあ、毎日蔵野課長にそれとなくメールはしてるし、暇があればニニ局長側から打診されると思うよ。あんまり、喧嘩腰にならないようにね」

「……分かった」


 ようやく、清花は落ち着いたようだった。稔と服部は安堵する。


 そして、ニニ局長からの呼び出しがかかった翌週の月曜日。


 女の戦いが始まるとは、稔は思いもしなかった。

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