第34話 七月七日 その一 《疑念編》

 七月七日、世間は七夕で盛り上がっている。しかし空は朝から生憎の雨模様で、星も何も見えない。


 今日も稔はノートパソコンに向かって、一人黙々と資料作りに励んでいた。休憩がてら、合間を見てネットで魔法陣と怪談探しをするも、それらしきものは未だ見つかっていない。


 清花はというと、稔の資料作りの補佐以外では、家事全般をやってくれている。しかしそれでも手持ち無沙汰になるので、毎日の三人分の食事の買い物を稔から任されていた。清花が食べたいものの材料を買ってきて、稔と一緒に作る、という寸法だ。


 そんな清花の証言から、一つの案が浮上してきた。


 新しく魔法陣を作る、という案だ。


 異世界へ行くとかそんな大層なものではない。もっと簡単に、例えば稔宅から服部宅へ物を送るくらいの小型魔法陣を作ってみる、ということだ。


 なぜそんなことをするかというと、そもそも魔法陣使用について何がしかの知識を持っているのは、異世界通行管理局、ほぼ独占的に精霊のニニしかいないからだ。どうやら、倉橋のような宗教関係者ができるのは魔法陣の消去だけで、実用的な作成や使用は埒外だという。そのニニの話を鵜呑みにしないため、こちらも情報を蓄積する必要がある、というわけだ。魔法に関してはすでに別の異世界人が情報を流布しているし、清花も一家言あるようなので、引き続き魔法の使用許可を待ちつつレポートを完成させていけばいい。


 ちなみに、魔法陣の使用については、特にニニからや規則では禁止されていない。抜け道のようなものだが、それを利用しない手はなかった。


 文房具屋でA4コピー用紙を買ってきて、清花はフリーハンドで丸を描く。その中に0.3ミリのシャープペンシルで緻密な紋様と文字を書きこんでいった。どんなことを書いているのか、と稔が清花に尋ねると、大まかな世界の座標と力場の性質を考慮した云々と言われてしまったため、後でもう一度聞きなおすことにした。今は魔法陣の完成が先だ。


 一時間もしないうちに、清花は二枚の魔法陣を完成させた。


 これをどう使うのか、実際に試してみる。一枚は台所に置き、一枚はベッドの上に置いて、適当にテレビのリモコンをベッドの上の魔法陣に乗せる。


「これをね、私側から台所に送るから、稔お兄ちゃんは台所にいて」


 そう言われて、稔は台所に向かう。


 清花が「準備できたから、行くよー」と言ってきた。稔はちゃぶ台にセットしたスマホの録画機能を使って、清花の手元を録画する。


「波木清花が告げる。移動せよ」


 清花がそう唱えた瞬間、台所の魔法陣の上に、儚げな光とともにテレビのリモコンが現れた。光はすぐに消え、稔はリモコンを持って、テレビを点ける。無事、テレビは点いた、特に問題はない。


 次に、スマホで撮った動画を確認する。清花の詠唱が終わったと同時に、リモコンは画面から魔法陣へ吸い込まれるように消えていた。やはり、儚げな光とともに、だ。


 つまり、魔法陣とは、人為的に空間にワームホールを作る道具のこと、なのではないだろうか、と稔は仮説を立てた。いささかSFじみた突飛な話だが、それなら別の空間、異世界との間にワームホールを作り、行き来することも考えられなくはない。それに、稔が大学時代に一般教養として習った位相幾何学の世界では、『人工的な補正を加える』ことでワームホールが潰れずSF小説のように相互通行が可能となる、という説があった。もちろん、稔は専門家ではないので、あくまで仮定の話だし、魔法という不可思議な力が存在する以上、物理法則なんて信用しきるわけにはいかないのかもしれないが。


 このことを清花に話すと、「多分そういうことだよ。でも」という言葉に次いで、こう言った。


「世界と世界の間にある空間、世界の狭間は精霊が住む場所で、その精霊は異世界を自由に渡り歩くことができるし、魔法陣の管理までやってのけるわけでしょ? なら、精霊って、どうして人格を持っているんだろう?」

「それは……精霊を作った、あるいは進化元がそういう生き物だった、と」

「私の推測だと、精霊も元はどこかの世界の人間だったんじゃないかと思う。こういう、魔法陣の使用者として高度に発達した技術を持った、何者か」


 清花は続ける。


「第一、冥界に霊魂を送る、っていうことを魔法陣で行えることがおかしいんだよ。普通、あの世とこの世って、そんな簡単に繋がるものじゃないし、もし逆流したら大惨事を引き起こしかねない」

「あ、大惨事にはなりかけたよ。冥界の鬼が出てきて僕は死にかけたから」

「何やってるの、稔お兄ちゃん」

「うん、本当に何なんだろうね」


 稔は自分でもなぜ騒動に巻き込まれて無事だったのか、よく分かっていなかった。多分、服部のおかげだろう。稔の命の恩人であることには違いない。


「とにかく、精霊をそこまで信用するわけにはいかない、と私は思う。だって、二〇二〇年の一連の魔法陣事件が起きたとき、どうして対処が遅れたのか……私たちを助けにきてくれなかったのか、分からないもの」


 突然の清花の告白に、稔は驚く。一応、稔はニニを庇っておいた。


「該当する異世界が多すぎて、どこに飛んだか分からなかっただけじゃないのか?」

「それでも、手がかりはあったはずだよ。そもそも、拳次君はどうやってこっちの世界に戻ってきたの? ただの魔法使いが使う魔法陣くらいで、こっちの世界へ辿れるはずがないんだよ。魔法陣の研究をやってた私でさえ、十年かかったんだよ?」


 それを言われると稔も、服部の運がよかったから、などという言葉で片付けられない。


「精霊にその責任がないのなら、渋谷の魔法陣を管理する責任だってない。ただの善意で、精霊が世界の中にまで入って動くことが……私は信じられないよ、稔お兄ちゃん」

「ニニ局長は何か隠してる、ってこと?」

「分からない。分からないけど、利益もないのにこの世界の人間に手を貸す、ってことはまずないよ」

「それは、そうかもしれないけど、何の利益があるんだろう?」


 二人して、腕組みをして悩む。


 ——ニニが何かを隠している、それはあり得そうだ。政府がそのことを知っているか、と言われると、知らない可能性のほうが高いのではないかとさえ思う。


 何せ、ニニは渋谷の魔法陣をどうにかすることさえできなかった政府の前に突如現れた味方であり、一方的に『管理する』という条件を飲ませた異質な存在だ。人間としての待遇は上々だろうが、それが精霊の望むようなことかと言われれば、疑問符がつく。もっとも、稔も清花も、そこまで精霊について詳しいわけではないので、ただの気まぐれと言われてしまっても効果的な反論はできない。


 稔と清花は、それ以上考えても埒が開かない、と判断して、とりあえず稔はレポートの続きを、清花は夕御飯の支度に戻った。

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