第27話 七月五日 その二 《朝》

 午前八時十分。


 今日は隣からどたばた音がしなかった、と思ったら、玄関のチャイムが鳴った。


 稔は誰何の声も上げず、玄関の扉を開ける。大体誰か分かっている、こんな朝早くから他人の家のチャイムを鳴らすのは——。


「よう、おはようさん」

「おはようございます……って、服部さん、髪!?」

「おう、自分で切ったらこんなことになった」


 玄関先には、ばっさりと長い白髪を雑に切った服部がいた。


「悪いんだけどよ、ちょっと切りそろえてくんねぇ? 後ろが自分じゃ見えねぇんだわ」

「床屋に行けばいいじゃないですか」

「白髪染め勧められるから嫌だ」

「ああ……はい」


 何となく、稔は服部が床屋で若白髪だの何だの言われるさまの想像がついた。


 とりあえず、稔は服部を家の中に上げる。清花が布団を片付けている最中だった。


「おはよう、服部君」

「おはようさん」

「髪切った?」

「切ったらこんなになったから、今から上田に切ってもらう」

「稔お兄ちゃんじゃなくても、私がやってあげるよ。大丈夫、魔法でちゃっちゃと」

「待った! 魔法は禁止!」


 間一髪だった。稔の一声に、清花はしゅんとなる。


「ごめんなさい」

「謝ることじゃねぇよ。じゃあ上田、頼んだ」


 服部はそう言って、自室から持ってきた台所用はさみを稔に渡す。


 渋々、稔は服部を洗面台前に連れていき、洗面台にティッシュを敷きつめてビニール袋を用意する。風呂場の椅子が服部を座らせるのにちょうどよかった。


「言っておきますが、本当に適当に切りますからね」

「おう、やってくれ」


 稔は後頭部の髪が伸びすぎている箇所を切りそろえていく。素人技術だが、服部が自分で切ったところよりは、随分とましな具合になってきた。稔は慎重に、少しずつ髪を切る。


「ねぇ、服部君」


 清花がやってきて、服部に声をかける。


「何だ?」

「何で服部君、白髪になったの?」


 それは稔も聞きたかったことだ。


 すると、服部はすんなり話しはじめた。


「昔、毒のあるモンスターにやられたことがあってな。十日ぐらい寝込んだら、白髪になってた」

「毒……モンスター? そんなのがいたんだ」

「そうそう。あのときは死ぬかと思ったわ。その傷が右目んとこの傷だよ」


 服部は自分の右目の傷を指差す。稔が思ったより、壮絶な経緯だった。


 それよりも、と服部は清花にこう言った。


「その服部君っての、やめてくれ。小学校のとき散々それで弄られたからよ」

「あー……じゃあ、拳次君」


 確かに、古い某忍者アニメの主人公のようだ。稔と清花は軽く吹き出す。


「笑ってんじゃねぇ、上田! 清花も!」

「はいはい。もう終わりましたよ」


 稔は櫛を手に取り、軽く髪を梳いてやる。


 清花はカーペット用の粘着クリーナーを持ってきて、服部に手渡した。黒いジャケットが白髪まみれだ。服部は呑気にころころと粘着クリーナーで首筋からジャケットの袖まで掃除する。


「服部さん、そろそろ出勤しなくていいんですか?」


 散髪の後片付け中の稔は、素朴な疑問を持ち出した。時刻はもう八時半をすぎている。遅刻確定まであと数分だ。


 服部は首を横に振った。そして小声でこう言う。


「昨日、ニニ局長からメールがあってな。お偉いさんが局に来るから、俺は午後から出勤しろってな」

「何ですか、それ」


 稔も釣られて小声で話す。清花は布団の片付けを再開しているため、聞こえないだろう。


「まあ、帰還者のこと知らねぇお偉いさんもいるからな。俺がいると説明が面倒だろ」


 ——そういうものなのか。


 実は、稔も上の連絡関係がどうなっているのか、具体的には知らない。むしろ、仕事をしていない服部が一人管理二課の課室でぼーっとしていることのほうが問題だと思った。


「服部さん、普段課室で何をやってるんですか?」

「ニニ局長と訓練したり、素振りしたり、筋トレしたり」

「仕事してないじゃないですか!」

「仕事が回ってこないから仕方ねぇだろ!」

「せめて証言録作るの手伝ってくださいよ」

「じゃあ、午前中はお前らに付き合ってやるよ」


 そんな流れで食後の散歩は中止となり、清花はむくれた。昼御飯は外で服部に奢ってもらう、という条件で、稔は清花のご機嫌を取ることとなった。

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