第22話 七月四日の業務 その一 《確認編》

 七月四日午前八時、稔は管理一課の課室で目覚めた。椅子を拝借して三つ繋げて眠っていたのだ。


 ニニの判断で、自称、波木清花を朝一で病院に連れていくため、稔も課室に泊まり込んでいた。ニニたちは局長室で、服部はあの後一旦内閣府に戻ってきたが、特にやることもないと言って帰ってしまっていた。


 稔は起き上がり、布団代わりのジャケットを着て、局長室へ向かう。ノックを三回、「どうぞ」というニニの声がして、局長室に入る。


 自称、波木清花は杖を肩にかけ、ちょこんとソファに座っていた。


「おはようございます」

「おはよう。早速だが、新宿区の指定病院で彼女の検査を予約しておいた。倉橋が出勤次第、病院に連れていってもらう」


 ——病院?


 寝起きで頭の回らない稔は、疑問をそのまま口にする。


「どこか悪い……あ、そういえば」

「ちゃんと規則には目を通しているな? 異世界人はごく稀に未知のウィルス等を保持しているケースがあるため、一応検査をしてから外出許可を出すことになっている。まあ、あと一時間はあるから、ゆっくり話でも聞こうじゃないか」


 そう言って、ニニは一人がけソファに座る。隣に稔も座った。


「さて、上田君の見立てでは、彼女が京都駅修学旅行生大量失踪事件で行方不明になったうちの一人、波木清花であるということだな?」


 稔は頷く。


「はい。僕の従姉妹ですので、過去の記憶等をすり合わせた結果、そう判断しました」

「だそうだが、波木清花君、君は本当に『波木清花』か?」


 自称、波木清花は大きく頷いて、訴える。


「はい。私は、波木守と波木由花の一人娘、波木清花です。二〇〇五年八月八日生まれ、二〇二〇年九月二十日に京都駅で異世界へ強制的に転移させられました」

「ほう。明確に言い切るな」

「私は、向こうの世界で魔法を学びました。その中で、物体を別世界に転移させる魔法陣についても知りました。そして、向こうの世界で二年前、こちらの世界に戻ってくるための旅を始めたのです」


 自称、波木清花ははきはきとそう答えた。魔法、という単語は、服部の証言録にも出てきたものだ。自称、波木清花の場合、自力で魔法を会得し、異世界渡航のため行使した、ということだろう。


「君の体感時間で、その旅は何年かかった?」

「正確には分かりませんが、各世界の滞在時間の合計は十年近かったと思います」

「十年!?」


 稔は驚愕する。自称、波木清花は稔に向かって喋る。


「うん。中には魔法に理解のある世界もあって、各世界を渡り歩いて、偶然この世界——私にとっては故郷の世界を見つけた。世界と世界の間には空間があって、そこで手がかりになる一本の糸を見つけた感じ」

「うむ、世界と世界の狭間は、私たち精霊の本来の居所だな。その年齢でそこに至れるとは、大したものだ」


 ニニは純粋に感心していた。稔には想像もできないが、目の前の自称、波木清花は、もしかしてすごい魔法使いなのではないだろうか。


「昨日、私が魔法陣を改造していた際、世界と世界の狭間にアクセスしていた。そのとき、そちら側からも渋谷の魔法陣へのアクセスがあったことで、彼女はこちらの世界に戻ってくることができた。その代わり、私は魔法陣が暴走しないように制御して力を使い果たしてしまったがな!」

「す、すみません」

「謝らなくていい。結果的に戻ってこられたことは僥倖だ、今後にも繋がる成果となった」


 ニニは腕を組んで、笑みを浮かべた。


 ニニがそこまで言うということは、本当に成果が上がっているということだろう。これから先、京都駅の事件で失踪してしまった他の生徒たちも、こちらの世界に戻ってこられる可能性が高まった、と認識していいはずだ。


「ところで、君たちは異世界転移後、クラス別に分かれて行動していたそうだが、君のクラスの他の生徒はどうしている?」


 ニニの問いに、自称、波木清花は言葉を詰まらせた。


 ——まさか、服部のいたクラスのように、全滅に近い状態になったのでは?


 稔の予想は、若干だが当たっていた。


「私たちのクラスは、密林で川を見つけて、河口に向かって歩いていました。川辺と言っても、かなり広くて、濁った水の急流の傍という感じでしたが……そこで、大きな鰐が出て、まず担任の伊織先生が犠牲になりました。そこからは、皆別々に逃げて、私は仲のよかった女子の友達三人と途中で再会した男子たち二人と、とにかく川辺を避けつつ密林から出ました。本当に、運がよかったと思います。すぐ近くに大きな都市があって、親切な行商団の方々に保護されました。それから、それぞれ下働きをしながら、一年くらい過ごした後、適性を見てもらうことになって」

「適性?」


 稔は首を傾げる。何の適性だろう。


「そこの都市では、色々な職業に就くために、一年に一度、十五歳以上の子供は都市専属の魔法使いに適性を見てもらう、という習慣があったのです。そこで私は、魔法使いの適性があるということで、別の魔法研究が進んだ都市へ推薦状をもらい、皆と別れてその都市へ向かいました。それから五年ほどで、自分で言うのも何ですが、魔法学校を首席で卒業して、魔法の研究に打ち込みました。その過程で、京都駅で一瞬見た魔法陣が何であるかを知った、というわけです」


 自称、波木清花は強く杖を握りしめた。その目はまた涙が溢れそうになっていて、稔はポケットから取り出したハンカチを手渡す。


「ありがとう、稔お兄ちゃん」

「どういたしまして」


 ——目の前の女性が清花だと分かっているのに、自分よりはるかに年上の女性からお兄ちゃんと言われると、何だか複雑だ。


 自称、波木清花は、ハンカチで目を拭い、ゆっくりと息を吐いて自分を落ち着かせているようだった。こんなに涙もろい子だっただろうか、と稔は思い出を振り返る。とはいえ、稔にとってはもう何年も前のことだし、自称、波木清花本人からしてみれば二、三十年以上前の話だ。人は変わる。変わらないのは、何だろう。


「とにかく、その五名以外の消息は不明、ということだな」


 ニニは問いかける。


「はい。その五人は、生きています。ただ皆、もう家庭を持って、向こうの生活に馴染んでいますから、こちらの世界に戻る気があるかどうか」

「君にはその気があったのだろう?」

「私は……とにかく母が気がかりで、子離れできない人でしたから、どうしているのかずっと心配だったのです。魔法の研究に打ち込んだのも、それが理由でした」


 稔は、清花らしい理由だ、と心の中で安堵した。稔にとっての伯母、清花の母は、一人娘のさやかをとにかく可愛がっていた。傍目にも子煩悩という言葉がそっくりそのまま当てはまる親で、逆に清花が早いうちからしっかりしてしまった、という逆転現象が起きるくらいだった。


 だからこそ、稔は清花がいなくなった後の伯母の憔悴ぶりが、見ていられなかった。何度も京都駅に行き、魔法陣に関する情報があれば娘が戻ってくるのではないかと期待し、落胆するの繰り返しだった。堪えきれなくなって稔の母のもとにも来て、話をした後、泣きながら帰っていくという話を稔は母から聞いていたし、未だにそれは変わらないだろう。稔も伯母には、異世界通行管理局に異動になった話はしていない。もししてしまえば、何の無茶を言われるか分からないからだ。


 きゅう、と腹の鳴る音がした。


 しばしの沈黙。その後、自称、波木清花が恥ずかしそうにしていた。


「あの……何か、食べ物はないでしょうか」

「あ、ごめん! ニニ局長、僕、コンビニに行ってきます!」

「うむ、頼んだ。すっかり失念していた」


 稔は局長室を飛び出し、管理一課の課室に戻って財布を取り、二階のコンビニまで駆けていった。

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