第12話 五月四日 幕間

 五月四日、みどりの日、祝日。


 世間はゴールデンウィーク真っ只中だが、明日は満月だ。つまり、稔は明日、休日出勤をしなければならない。


 稔はベッドから起きだす。大学時代から一人暮らしを始めて七年目に突入した現在、代々木の1DKアパート暮らしの稔は手際よく朝食を作り、適当に準備をしながら食べて、テレビを点ける。時刻は午前七時五十分、休みの日なのに早く起きすぎた。たまには外に出て買い物でもしようかと思いつつ、稔がTシャツとパンツ姿から着替えようとしたそのときだった。


 玄関のチャイムが勢いよく鳴らされた。


 一度ではない、二度、三度、四度、五度としつこく鳴らしてくる。稔はテレビを消し、何事かと怒り半分慌て半分で玄関へ向かう。古いアパートなので、カメラ付きのインターホンなどというものはない。直接玄関の扉の覗き穴から外を見る。


 そこにいたのは、服部だった。相変わらずのスーツ姿の服部を見て、「あれ? 日付間違えたっけ?」と稔は呟きながら、扉の鍵を開け、ドアノブを捻る。


 外側から思いっきり扉を引き、服部はご機嫌そうに挨拶してきた。


「よう、おはようさん!」

「は? え?」

「おはよう」


 蔵野もいた。ポロシャツにチノパンというラフな姿は珍しい。稔は条件反射で頭を下げる。


「お、おはようございます! 今日はその、何のご用でしょう?」

「ああ、今日は私用だ。玄関先で話すことでもない、上がってもいいか?」


 いきなりの訪問、いきなりの上司、そして先輩同僚。


 しかし、稔の頭の中の天秤は、即座に上司の意思を尊重する方向に傾いた。


「汚いところですが、どうぞ」


 社交辞令で謙遜しながら、稔は二人を部屋に招き入れた。


 部屋が汚いわけではない。物も少ないし、本棚とこたつ兼用ちゃぶ台とベッドとテレビで一部屋は構成されているし、稔は綺麗好きだと自負している。基本的に何もかも収納したい性格なので、ベッド下収納やクローゼットに細々としたものは、すべて整理して並べてある。


 三人はそれぞれちゃぶ台の三方に座り込んだ。服部は物珍しそうにきょろきょろと部屋を見ていた。今日は長い包みを持っていない。


 ——あ、お茶を出さなきゃ。


 稔は立ち上がって、台所に向かおうとした。


「ああ、お茶はいらねぇぞ。すぐ出ていくから」

「え?」

「まあ、座ってくれ。実は相談があって来たんだ」

「相談、ですか。僕に?」


 蔵野は頷く。稔はもう一度、座りなおした。


 蔵野は深刻そうな表情で、稔をじっと見て、こう言った。


「実はな……服部を一人暮らしさせようと思うんだ」


 蔵野は至って真剣だ。


 真剣だからこそ、服部が現在一人暮らしをしていない事実の驚きのほうが、社交辞令よりも稔の中では優った。


「一人暮らしするって、今どこに住んでるんですか!?」

「課長の家」

「うちに泊めているんだが、色々問題があってな」

「も、問題ですか」

「あ、誤解すんなよ。課長の奥さんはいい人で、いつまでもいてかまわないって言ってくれるんだけどな……問題は課長の娘さんがただよ」


 ——蔵野課長の娘さんがた? 複数形だぞ。何人いるんだ?


「四人いてな。一番上が十八で、一番下が七歳だ」

「マジですか!?」


 びっくりどころではない。強面の蔵野に、そこまでの甲斐性があったとは、本気で稔は驚いた。


 服部は呆れつつも説明する。


「マジだよ。で、間の十五歳と十二歳が思春期真っ只中で、知らねぇ男と一つ屋根の下に暮らすのはもう限界だ、って直訴しに来たんだ。いやまあ、俺も問題だと思うんだけどな? ただ、よく考えなくても、こっちの世界じゃ俺まだ未成年なんだわ」

「あっ……そういえば、そうでしたね」

「戸籍上、そうなっている以上、特例を認めるにも時間がかかる。家族に事情を話すのはまだ避けたいという局長と上の判断もあって、実家に帰すわけにもいかない」

「課長の娘さんがたにそのへんの事情を話すわけにもいかねぇしな。話したって信じてもらえねぇだろうし」

「それはそうでしょうね」 

「それで、私が保証人になって、服部に一人暮らしをさせよう、という考えでここまで来たんだが……君が代々木に住んでいるという話を倉橋から聞いてな。まだこちらの生活に慣れない現状、どうせなら、同僚と近い場所に置いておくほうがいい、と思うんだが、どう思う?」


 稔は、何故そこで自分の個人情報が漏れたのか、よりも、自分より年上の服部の面倒を見るよう上司にさりげなく強要されている現状に頭を悩ませた。


 いや、そうじゃない、と稔は考えなおした。最悪のケースは、服部と同居だ。服部には悪いが、稔はプライベートな時間や空間を他人に邪魔されるのが嫌いだった。今回は上司の頼みだから二人を家に上げただけだ。だから、たとえ戸籍上未成年の服部が困っているとしても、大学時代の彼女さえ自宅に招かなかった稔は、何としても最悪のケースだけは避けなければならない、と本能的に察知した。


 察知したので、稔は自分も世話になっている地元の不動産屋の情報を教えるとともに、なるべく早く二人を追い出さなくてはならないのだ。


「近くに不動産屋がありまして、そこで僕も世話になったんですよ。穴場ですので、そこに行ってみてはどうでしょう?」

「おお、そうか。助かるよ」

「いえ、すぐそこですから、案内しますよ。でも……服部さんの人相では、貸してくれないかも」

「ああ、私もそこが気になっていたんだ」

「どーいう意味すか。俺は真面目で健全な人間っすよ」

「公務員の身分を保証するものがあれば何とか行けるかも」

「確かに。よし、服部、身分証は持っているか?」

「持ってますけどー、もしかして俺、犯罪者か何かと間違われ」

「いえ、ヤのつく自営業の方と間違われるかと」

「まあ、私の元の身分は警察官だから、保証人としては大丈夫だろう」

「うーえーだー」

「何ですか! 本当のこと言っただけじゃないですか!」


 服部がジト目で稔を睨む。蔵野は何かに納得したように頷いている。


 ——何だか、大変なことになってきたぞ。


 稔は急いで着替えて、二人を不動産屋まで案内した上に、結局中まで同席する羽目になった。


 そして、最終的に週末に稔の隣の部屋へ服部が引っ越してくることが決定し、稔は何かを間違えたような気がしていた。どこで間違えたのだろうか。

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