第9話 四月二十一日の業務 その二 《京都行き編》

 午前八時十分。


 稔と服部は京都駅に降りたち、ホームで早速ベンチに座っている坂東を発見した。


 もう霊魂の数がすごい。お札をつけていると紫色の靄で坂東の姿が見えないくらいだ。稔はお札をスーツの内ポケットから出し、服部に渡して、純粋に目で見て坂東の姿を確認する。


 倉橋が稔のタブレットに入れてくれていた画像と同じ人物が、そこにいた。四十過ぎのスーツ姿のサラリーマン風の男性、間違いない。念のため、稔は話しかけてみる。


「あの、あなたが坂東さんで間違いありませんか?」


 男性は顔を上げ、稔の顔を覗き見る。そして隣の服部に目を寄せ、何かに納得したように頷く。


「僕は四月から異世界通行管理局に異動になりました、上田と申します。初めまして」

「初めまして。管理一課の坂東一重です」


 姿に似合わず、と言っては失礼かもしれないが、しっかりした声で坂東は答えた。


「それにしても坂東さん、何かあったんすか。ニニ局長が連絡がつかないっつって俺らを派遣したんすよ」

「ああ……ええと、昨日は大変な騒ぎでね」

「騒ぎ?」

「乗降客の中に霊感の強い女性たちがいて、私の姿を見るなり取り乱して騒ぎはじめたんだよ。多分、周りの子たちが見えちゃったんだろうねぇ。それでまあ、私は駅員室に連行されて、説明するのに大分時間がかかったんだよ。何せ、霊魂がいます、なんて言って信じちゃもらえないだろう? 異世界通行管理局のお墨付きがあるとはいえ、そんなもんさ」


 稔の目には、坂東の頭のてっぺんからつま先まで、哀愁が漂っているように見える。いくら重大な任務だから、上司の命令だからとはいえ、毎日駅のホームで座りつづける仕事というのは、いかがなものだろうか。


 そんな稔の心配に気づいたのか、坂東は手をひらひらと振る。


「まあ、ここは居着けばけっこう楽しいもんだよ。駅弁もあるし、駅員さんが差し入れをしてくれるし」

「あ、そ、そうでしたか」

「でも問題は、異世界に繋がる手がかりがほとんど見つからないことなんだよなぁ」

「ほとんど? どういうことすか?」


 そう聞いたのは服部だ。服部自身、思うところもあるだろうからか、若干きつめの口調になっていた。


 坂東は気にしたふうもなく、頭を横に振る。そして、立ち上がった。


「ちょっと見せたいものがあるから、こっち来て」


 坂東はそれだけ言って、すたすたとホームの最後尾まで歩いていく。稔と服部もその後ろに続く。


 何の変哲もないホームドアの鋼鉄板と、床のわずかな隙間を坂東は指差した。


「そこだけ残ってたんだよ。本当に欠片だけなんだけど」


 稔と服部はしゃがみこんでを見た。


 黒く、粘り気のある液体か何かが固まった、ほんの一ミリほどの塊が、ガムのように隙間にへばりついていた。


「よーく見て。動くから」


 ——動く?


 服部は凝視したままだ。稔も目を凝らす。


 すると、黒い塊はごくゆっくりとだが、左右に揺れていた。新幹線が通ったわけではない、目の錯覚でもない。動いた跡がはっきりと、尾を引くように床に黒い液体を残して——それもすぐに塊部分に集合するのだが——動いていた。


「坂東さん。これが、魔法陣の一部すか?」

「敬語はもういいよ。うん、これが京都駅修学旅行生大量失踪事件のときの魔法陣の残骸だと思う。当時はすぐに神社仏閣の関係者が飛んできて消しちゃったから、残ってないかと思ったけど、しぶとく生き残っている部分もあった、というところかな。今朝、というかついさっき見つけたばかりなんだけどね」

「ついさっき!?」

「いやぁ、運がいいよ。これで東京に帰れる」


 それは運がいいのか。はたまた稔と服部が来たタイミングで見つかったことに触れるべきか。稔は黙っていることに決めた。服部も坂東に悲哀を感じたのか、黙っている。


 稔は、とりあえず坂東に、ニニへ連絡するよう促した。坂東からの連絡が途絶えたから、ニニが二人を派遣したということを教えると、慌ててスマホを取り出し、ニニへ謝罪と手がかりを見つけたので東京に帰還する旨を伝えていた。


「でかした!」


 電話口のニニは、周りにいる稔と服部にも聞こえるほど大きな張りのある声で、そう言った。


 その後、三人は一度京都駅から出て、三手に別れる。坂東は泊まっているホテルから荷物を持ち出し、チェックアウトする。そして稔は近所の百円ショップで透明なチャック付きビニール袋とピンセットを買い、もう一度京都駅に戻って例の黒い塊を採取した。服部はというと——律儀に抹茶味の生八ツ橋を買ってきていた。


 坂東はホテルで買ったらしき菓子折りを世話になった駅員に渡し、挨拶を終えて、それから三人で十一時八分発の新幹線のぞみに乗った。これで昼過ぎには東京に着くはずだ。


 稔はカバンのポケットに、何重ものチャック付きビニール袋で包んだ黒い塊を入れていた。肌身に触れさせるのは何となく嫌悪感があるし、服部は持ちたがらないし、坂東は疲れたのかとっくに眠っていたからだ。


 ちなみに、坂東は自由席に拘った。何でも、指定席では周囲の霊魂たちが周りに迷惑をかけるから、ということで、稔と服部も自由席に座る羽目になった。周りの席には見事に誰もいない。


 服部はぼそりと呟いた。


「結局、観光の時間もありゃしなかったなぁ」

「いいじゃないですか。手がかりは見つかったんですし」

「まあな。後は、ニニ局長がどこまでやってくれるかだな」


 すでに生八ツ橋の箱を開けている服部は、もちゃもちゃ食べながら話す。食べるか話すかどちらかにしてもらいたいところだ。服部は稔の膝へ生八ツ橋の箱を置いて、食べるよう無言で勧める。


 稔は抹茶味の生八ツ橋がどんなものか、と一口、口に含んでみた。白い皮に緑色の白餡だったものに、少しだけ抹茶が振りかけられている。少なくとも、ニニがそこまで喜ぶものではないだろうな、という印象だった。とはいえ、上司のご所望の品なので、生八ツ橋はもう二箱予備がある。一つはニニ、もう一つは倉橋への土産だ。蔵野へは普通の八つ橋だった。そこはベーシックなものを買うよう、稔が服部に助言しておいたのだ。


「つぅか、土産物売り場で外国人扱いされた」

「そりゃそうでしょうね」


 稔は適当に相槌を打ちつつ、残っていた生八ツ橋を食べきる。


「こっちだって苦労してんだよ。染めるのも面倒くせぇしなぁ」

「髪伸ばしてるのはいいんですか?」

「あー……願掛けみたいなもんだ」

「願掛け?」

「こっちの世界に戻って来る前に、俺の担任の教師がドラゴンにやられて死んだんだわ」


 そういえば、服部の証言録にそんなことが書いてあったことを、稔は思い出した。確か、こちらの世界に戻って来る直前に死亡した、服部のクラスの担当教諭のことだ。


「俺のクラスで、最後まで生き残ってた生徒が俺一人ってこともあって、けっこう大事にされてな。兄貴分みてぇな存在だったよ。その人が、髪伸ばしててな。何でかって聞いたら、一人でも多く元の世界に戻れるように願掛けだ、っつってた。まあ、それを受け継いでっつぅか、別のクラスのやつが戻ってきたら、髪切ろうかと思ってな」


 意外にも、真面目な理由だった。聞いてはいけないことだったのかもしれない。稔はすぐさま謝る。


「すみません、不躾に聞いてしまって」

「あ? 何だよ、今更だっての。それよりお前のお札返しとくわ」


 服部はそう言って、スーツのポケットからごそごそと今朝渡したお札を稔に渡す。


「あっ、預けたままでしたね。ありがとうございま」


 す、というところで、お札を受け取った瞬間、新幹線の車両内にぎゅうぎゅうに詰め込まれた紫色の靄の霊魂たちが、稔たちを見ていることに、稔は気づいてしまった。


 稔はギリギリのところで叫ばなかった。自分で自分を褒めたいとさえ思った。それでも顔の間近を通る紫色の靄を吸い込まないように、思いっきり口を閉じて、一刻も早くのぞみが東京に着くことを願うばかりだった。


 稔にとって、坂東は密室に一緒に置いてはいけない人物だということを認識した、初めての日だった。

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